Bene mio 2



物言いた気なばあやの方を極力見ないようにしてバスルームに飛び込んだわ。
熱めのシャワーを浴びて、急いで身支度をしていたら、ノックの音がした。
誰とも話をする気分ではなかったから無視してしまった。
ほっとしたやら、恥ずかしいやら、なんとも腹立たしいやら、
美しいお顔を三つも間近で見てしまってドキドキしてるのが止まらないやらで、
なんにも考えられなかったし、なんにも考えたくなかった。
少しして、またノック。
無視よ。無視。
今日だけは不作法をゆるしてもらわなくちゃいけないわ。
三度目のノックも無視していると、ばあやがそっとわたくしに
「お嬢様、守護聖様がお見えになってますよ。」
と言って、わたくしの応えも聞かず、扉を開けてしまった。

聞き慣れた衣擦れの音と、気配。
見なくたってわかるわ。
わたくし、下を向いて口を開かなかった。
「あの~、ですね…」
ほら、やっぱり。

「その、申し訳ありませんでした。それだけです。」
変な声だった。

「何を怒っていらっしゃるのですか?」
思わずそう言って顔を上げると、ふて腐れた様な顔をしていらっしゃる。
わたくしもカッとしてしまって
「怒りたいのはわたくしの方のに。」
と詰めた。
ふくれっつらで見つめ合っている(にらみ合っている の方があってるかしらね)
わたくし達を見比べてばあやが心配そうにオロオロしていた。

そう言えばこの方の怒った顔って初めて見るかもしれない、とわたくしは思ったわ。
わたくしだってカンカンに怒っているのだけれど、段々冷静になってしまう。

わたくしはため息をつくと、ばあやを下がらせた。
きっともうわたくし、いつもの顔になってると思う。そう。いつものロザリアに。
「何を怒っていらっしゃるの?」
今度は静かに尋ねた。
怒るとこんなお顔になるのね。ちょっと子供みたいね。若くなるっていうのかしら。

ふと、わたくしの緊張が解けた。

ルヴァ様は目を伏せて、でもやっぱり聞き慣れないお声で
「…悪いのは、私ですから。あ~、貴女が怒るのは、当たり前です。」
とおっしゃった。
わたくしはどうしたものかわからなくて…(ああ、本当に今日は混乱の連続…)
取りあえず、座っていただくことにした。
カップボードで緑茶をいれる。
本当は濃い目のミルクティが飲みたい気分なのだけれど、
緑茶は落ち着くと、前にルヴァ様おっしゃっていらしたし。
ふくいくとした香りが部屋中に広がって行く。
二人分の湯のみをお運びして、わたくしも椅子に座り、ルヴァ様の方を盗み見た。
同じことをしていらした様で、目が合った。
湯のみを両手で持って、ルヴァ様がぽつりとお話し始めた。

「…まさか、…思いませんでした…」
よく聞こえなくて、席を近付けてみる。
「…まさか、あんな、思いませんでしたよ。あの、三人に、貴女が。」
「なんですの?」
「あんなことを、するなんて。頬に。」
「…しかたありませんわ。処罰を取り消していただくためですもの。」
「あんなの冗談に決まってるじゃありませんか!」
一気にそうおっしゃられて、びっくりしてしまったわたくしに、
「あの人達は、からかってただけですよ! あんなことしなくたってよかったんです。」
と、捲し立てられる。
「人の気も知らないで。貴女は…」

ぽかんと聞いていたわたくしだったけれど、また無性に腹が立って来た。
「どなたのせいだと思っていらっしゃるの!?」
声が大きかったかもしれない。
でもルヴァ様も引かない。
「私のせいですよ。ええ、私の。」

自棄になっておられる。おかしいわ。妬いておられるみたい。
…おかしくない。妬いていらっしゃるんだわ。
「あの、伺ってもよろしくて?」
注意深く、なるべく大人しく尋ねる。
「夕べはわたくし、いぎたなく寝こけてしまって、…失礼な事致しまして?」
「…きたなくなんかなかったです! お人形みたいでした。」
あ・そ、と、わたくし、心の中でオリヴィエ様みたいにつぶやいてしまった。
「あ~、あの、私も酔ってました。ただのジュースだと思ってたんですが、」
「カシスのソーダですわね?」
同じ物を飲んでいたんだわ。
「…それで、あ~、つい、膝枕、してました。」
「わたくしちっとも気付きませんでした。」
「あ~、よく眠っていらっしゃったから…」
「一晩中そうしていらしたの?」
「そうみたいです…」
足が痺れても。
わたくしはなんだかおかしくて、つい本音を出してしまった。
「残念ですわ。」
ルヴァ様はさっと悲しそうな顔になる。
だからわたくしは親切に言ってさしあげたの。
「眠ってしまってて、わからなくて、残念ですわ。」
今度はさっとお顔が朱に染まる。きっとわたくしも赤いだろう。
でも、これで終わりにはしてさしあげない。
「そして?」

わたくしに何をなさったの?
「どうしてあんなに、
 ジュリアス様は怒っていらして、
 クラヴィス様は意地悪で、
 オリヴィエ様は面白く無さそうでいらしたの?」
「あの、本当によくは覚えていないんですが…」
言い淀んだルヴァ様は、お茶をごくりと一飲みして、
「…クラヴィスが教えてくれたことには、あの…」
しばらく口だけをモゴモゴと動かして、ようやく教えてくださった。
「…貴女に、キスしたそうです。」

なんとなく、そんなことだろうという予測はついていたから、
たいしたショックも受けなかったわ。
馬鹿馬鹿しくなって力が抜けて行く。きっと顔に出てしまっているだろう。

「おかしな方ですこと…」
わたくしのつぶやきに、ルヴァ様もお気付きになる。
「そんなことしておいて、どうして、
 たかが『おはようの挨拶』なんかに、あんなにお怒りになるのかしら。」


はあ、と息をついて、ルヴァ様も力が抜けたお顔になられた。
片頬を指で押さえて、少しお考えになって、そうして
「…なるほど、こんな風になってしまうんですねえ。いや~、そうですか。
 焼きもちを妬くというのは、こんな、荒れ狂う感情を言うんですか。はあ。」
なんて、一人で納得していらっしゃった。
「なるほどねえ、なるほどこれは、普遍的な感情なんですかねえ。道理で…」
勝手に納得していらっしゃい、と、わたくしはお茶を飲んだ。
もうすっかり冷めて苦くなってしまっていたけれど。

気まずそうなご様子だったけれど、わたくしは知らぬ振りをしていた。
「あの~、ロザリア?」
「なんでしょうか。」
わざと、つんとした。
「あ~、あの、…怒っていらっしゃいますね?」
「怒っていらっしゃるのは、ルヴァ様でしょう。」
「…申し訳ありませんでした。ほんとに。」
「『何が』です?」
ちょっと意地悪過ぎるかしら。
…ほら、困っていらして何もおっしゃらない。

でも、わたくしだって大変だったんだから。
知らない内に色々あったみたいで、
三人の守護聖様に『おはようのキス』なんてさせられて、
嫉妬されて怒られて、
…わたくし折れてなんてさしあげませんからね。

「ロザリア、」
応えるかわりに、じっと見つめてさしあげた。
ルヴァ様も目をそらさない。
「キスをしましょう。私達も。」
突然何をおっしゃるかと思えば!
わたくし、アンジェ言うところの『ズッコケて』しまいそう。
それでかまた、おや?というお顔になられた。
なんでそんなにも探究心丸出しのお顔をされるのかしら!
いくらこの方の司るものが『知恵』や『知識』だからといって。
「いやですわ。」
と、お断りすると、しょんぼりしてしまわれる。
仕方が無いから、してさしあげる。…頬に、ひとつ。
いやだわ。なんて嬉しそうなお顔をされるのかしら。
こちらが恥ずかしくなってしまうじゃないの。

手首を掴まれて、急に引き寄せられた。

唇に、ひとつ。

触れただけなのに、寒いわけでもないのに、体ががたがたと震えてしまって、
椅子から落ちそうになるのをしっかりと抱きとめられた。
「…覚えていないなんて、本当に勿体無いことをしました。」
なんておっしゃるものだから、ひっぱたいてさしあげたくなったのだけれど、
「もう他の人達にしてはいけませんよ。」
こんなに間近で言われて、わたくしは頷いてしまいそうだった。
でも嫌だわ。今は。

「存じません。」
「そんなことを言わずに。」
「わたくしの勝手ではなくて?」
凄い力で抱き締められて、
「…あ~、あの、他の人の方がいいんですか、貴女は?
 ジュリアスの方がいいですか、オリヴィエや、クラヴィスの方が?」
お尋ねになられたって、とてもじゃないけど声なんてだせない。
「わ、私はそんなのは嫌です。」
わたくしは息が止まりそう。
またキスされて、それはさっきよりずっと長い時間で乱暴で…
「…」
なんだかもう涙が出てしまった。
わたくしはルヴァ様の肩に額をくっつけて、視界がどんどんかすんでいくのを
ぼうっと見てた。
顔を持ち上げられて、少しささくれた指がわたくしの頬をなぞっていく。
自分まで泣き出しそうなお顔をされるのね。
ああもう、調子が狂いっぱなし。
「貴女は随分と、私の気持ちをかき乱すんですね。」
どっちが。

だからとうとう、わたくしは白状した。
「こんなこと、貴方以外にはゆるしませんわ。」

「…だからもうお離しになってくださらない?」
「嫌です。」
意地悪くおっしゃった。
「貴女が女王になったって、手放すものですか。」


それでわたくしは、あの三人の守護聖様が、
お怒りになられてたり、
意地悪く見下していらっしゃったり、
つまらなそうにそっぽ向かれていたことを、

なんだかどうでもよくなっていったわ。


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