お寺を知ろう (2)

仏事の知識 暮らしの中の仏教語 説 話
1 お線香は何本立てる? 1 「安心」・「意地」・〈あみだ〉 1 毒蛇の涙
2 のし袋には何て書くの? 2 「有頂天」・「縁起」・〈無学〉 2 馬鳴菩薩
3 お数珠を持ちましょう 3 「食堂」 3 ウサギの布施
4 年 回 法 要 の 話・上 4 「地獄」 4 ひなの祈り
5 年 回 法 要 の 話・下 5 檀那様はドナー? 5 キンスカの木
6 塔 婆 の は な し 6 「人間・人道・人類・人情・人気…」 6 くしゃみのまじない
7 精霊棚のはなし 7 「普請」・「ほらを吹く」 7 クラーマの堪忍
8 お墓参りの話・あれこれ 8 「卍」 文字?記号? 8 名前を捜し歩いた少年 
9 お給仕=居ますがごとくお仕えする 9 滅相な・滅相も無い
10 お仏壇=ご本尊をお祀りする 10 安楽・娯楽・快楽  −楽−
11 お札・お守り 11 劫・阿曽祇・刹那 −時間−
12 仏壇やお墓を新しくするのは 12 醍醐味・善哉・甘露 −食−
13 仏様にお供えする花 13 精進料理
14 仏様にお供えする花(二) 14 往生
15 位牌の話
16 お灯明(ローソク)の話



名前を捜し歩いた少年                                  説話 (8)
徳の高い教師がいて、500人の弟子を持っていました。
その中に「悪者」という意味の名を持つ少年がいました。「悪者よ、ちょっと来てくれないか…」「これをどう考えるかね、悪者よ」周りの者たちも、こんな風にからかったので、その少年は、人から名前を言われるたびに気が重くなりました。

そこで、ある日のこと師の元へ行き、名前を変えてもらうことにしました。「なんとかして、ほかの名前にしていただくわけに参りませんでしょうか」「いいだろう。ではこれから国中を歩き回って気に入った名前を探してきなさい。良い名前が見つかったら、すぐお前の名前をそれに変えてあげよう。」

少年は喜んですぐ旅に出ました。ある町にたどり着いた時、葬送の行列に出会いました。
「亡くなった方は何という名前だったのですか。」少年は自分のわけを話して尋ねました。
「この人は『命あるもの』という意味の名前だったよ。」
「『命あるもの』という名前なのに死んだのですか」
「それはそうさ。人間、生まれてくれば必ず死ぬさ。名前は符牒に過ぎないからね。」

次に出会ったのは、『宝守』という意味の名前を持っているのに、借りたお金を返せないほどの貧乏な女の人でした。
そしてまた道を進むと、途方に暮れた様子で歩いている旅人に出会いました。
その人は、「旅をしているのですが、道に迷って困っています」と言いました。
「あなたの名前は」
「私は『旅慣れ』という意味の名前です」
「そんな名前なのに迷うのですか」「名前なんて符牒に過ぎないからね」

少年はここで初めて、この旅がいかに無駄であるかを知りました。
そこで急いで師のもとに帰り、旅で出会った人々のことを話し、
「先生、名前だけに囚われていた私は愚か者でした。本当に大切なのは名前ではなく、その人がいかに正しく生きるかということなのだと分かりました。旅に出していただいたおかげで大切なものを見つけることができました。ありがとうございました。」と深々と頭を下げました。


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クラーマの堪忍                                    説話 (7)
昔インドのある国でカラープ王が国を治めていた頃のこと。クラーマという意思が強く、優しく、考え深くあらゆる学芸を修めた青年がいた。両親が亡くなって莫大な財産が彼に残されたが、全財産を貧しい人に分けて無一文となって、修行者としてヒマラヤ地方に向かった。
     ◇
数年後、山での修行を終えて都に出てくると、熱心に托鉢して家々を回った。そのひたむきな姿に人々は感心し、彼を敬うようになった。ある軍隊の隊長は彼を家に招き宮庭に住まわせた。
ある日のことカラープ王は酒を飲み、女たちを引き連れて宮庭に出て遊んだが、女たちは王が眠ってしまったので花を摘んだりして楽しんでいた。庭園にサーラの木があり今を盛りに花を咲かせていた。木の下には修行者クラーマが一人静かに座っていた。
「ねえ皆さん、木の下に座っている行者さんは、なんと深い澄んだ眼をしていることでしょう。王様がお目覚めになるまでお話を伺いましょう。」女たちは彼を礼拝し、周りに座った。クラーマは女たちのために説教を始めた。やがて眼を覚ました王は女たちが行者の話を聞きに行ったと知って、すごい形相で刀を手にとってクラーマのそばへやってきた。
     ◇
「クラーマ、お前の教えは何宗だ。」「王様、堪忍宗でございます。」「それはいったいなんじゃ。」「どんな悪口を言われようと、殴られようと、腹を立てないことでございます。」
それを聞くと王は唇をゆがめて「お前が言う通りの堪忍ができるか、調べてやる。」と言って、首切り役人を呼び「この行者を引きずり倒し、とげつきのムチで二千回ぶったたけ。」と命令した。クラーマの皮膚は破れ肉は裂け、血があふれた。
王は大声で「お前の教えは何宗だ。」と聞いた。「王様、堪忍宗でございます。王様は堪忍が皮膚の内側にあるとお考えなのでしょう。でもそうではなく、堪忍はご覧になることのできない、私の心の奥深い所に大事にしまってあるのでございます。」
「ぶつのでは足りない、両手も両足も切り落としてしまえ。」王はまたも尋ねた。「お前は何宗だ。」「堪忍宗でございます。王様は堪忍が手足の先にあるとお考えなのでしょう。…」「畜生め。こいつの耳と鼻を断ち切ってしまえ。」そしてまたもしつこく聞いた。「お前は何宗だ。」「堪忍宗でございます。堪忍が耳や鼻の先にあるとお考えになってはなりません。私の心の奥深い所に大事にしまってあるのでございます。」
王は血みどろのクラーマにペッとつばを吐きかけ、悪態をついた後、足蹴にして立ち去った。
     ◇
王が庭園から外へ出ていくと、にわかに大地はバリバリと音を立てて破れ、地獄の底から血のような水がどくどく溢れ出てきた。そして、真っ赤な毛布で包み込むようにして王を地獄に吸い込むや、その裂け目は一瞬のうちにふさがってしまった。
クラーマはその日、静かに死んだ。

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くしゃみのまじない                                説話 (6)
ある日お釈迦様が王園精舎という寺院で弟子たちを集めて法話をしている時でした。話の途中でお釈迦様がくしゃみをなさいました。すると弟子たちは慌ててみんな大声で「お釈迦様、クサンメ。仏さま、クサンメ」と叫びました。この騒ぎのために法話は中断しました。
これには訳があって、この地方ではだれでもくしゃみをしたら「クサンメ、クサンメ」と叫ばなければ人は死ぬという言い伝えがあったからです。
「クサンメ」とは、梵語で長寿という意味です。
     ◇
お釈迦様はその言い伝えについて次のような話をされました。
ある宝石商の親子が行商に出て宿を探した時、1軒の空き家を紹介された。実はそこは夜叉の家だった。
夜叉は人を取って食う魔物だが、毘沙門天に「おまえはみだりに人を食ってはならぬ。もしどうしても食べたい時はこの屋敷に侵入した者の中で、くしゃみをしたときすぐに『クサンメ』と言わないものに限って食べてもよい。」と約束させられてこの屋敷をもらっていた。
さて、親子が屋敷に入って夜になったとき、夜叉は天井から二人が眠っているのを確かめ、印を結んだ手のひらから白い粉を散らした。父親と息子は一緒にくしゃみをしたが『クサンメ』とは言わなかった。「しめしめ、二人とも食える。」夜叉はにやりとした。
ところがその時、息子が鋭い声で「百年生きよわが父よ/生きよさらに二十年/鬼人よ食らうな我々を/百年生きよわが父よ」と歌った。『クサンメのうた』だった。
仕方なく夜叉が今度は父親のほうへ向かうと、やはり父親が『クサンメのうた』を叫んだ。夜叉はたいへん驚いて、この親子は只者ではないと、すっかり兜を脱いだ。
     ◇
「夜叉はこの親子に諭され、すっかり改心して人を食い殺さなくなったのだよ。」とお釈迦様は話し終わりました。
みんなはこの話を聞いてくしゃみのまじないの起こりと、まじないは生死には関わりないことを知りました。
 

*鎌倉時代の随筆「徒然草」の第47段には次の話が書かれています。

ある人が清水寺にお参りに出かけたとき、道すがらずっと「くさめくさめ」と唱えながら歩いている高齢の尼に出会った。不思議に思って尋ねると、「くしゃみをした時、こういうふうにまじないをしないと、くしゃみをした人は死んでしまうと言われているんです。私の大事な若君が今、くしゃみをするかもしれないから……」

遠いインドと日本、年代は二千年も離れているのに、脈々とつながるものがあるのですね。

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  キンスカの木                                        説話 (5)
昔、ある王に4人の王子がいた。ある時、王子たちが話をしているうちに、いつしかキンスカという木の話になった。しかし、4人ともその木を見たことがなかったので、キンスカの木を見に行こうと相談し、年寄りの御者の所へ行って頼んだ。
   ◇
「よろしゅうございます。でもこの車は私のほかに一人しか乗れません。それに、大変忙しいので、私の都合の付くときに一人ずつお連れすることにしましょう。」御者はそう言って、まず第一の王子を馬車に乗せて森へ連れて行った。「はい。これがキンスカの木でございます。」木はちょうど、芽を吹いている時だった。
第二の王子は、、若葉が盛んに茂っている頃に、第三の王子は、花の咲くころに、第四の王子はもう実がたくさんついているころ連れて行ってもらった。
   ◇
その後、4人がまた集まってキンスカの木について話し合った。
第一の王子は「キンスカの木って、赤い芽がきれいだ。まるで柱が燃えているようだった。」第二の王子は「いや、たくさんの若葉が茂った大きな木だったよ。」と言った。第三の王子が「わたしは真っ赤な肉のかたまりみたいだと思いました。人の手のひらみたいな形で、少し気味が悪かったけれど。」と言うと、第四の王子は「そうじゃないですよ。シリーサの木にそっくりでした。見事な実を結んで……。」と言った。(右図:インドに咲くキンスカの木
   ◇
4人は各々、自分の意見を譲らなかった。そこでみんなは父王の所へ出掛けて行った。「お父上。私たちは皆、御者からキンスカの木を見せてもらったのですが、お互いに言うことはまったく違っています。どうしてでしょう。いったいキンスカの木って、本当はどんな木ですか。」
   ◇
王は、言った。「みんなは確かにキンスカの木を見たのだ。でも、その見せてもらったとき、これはキンスカのどんな時の姿なのか、時期によってどう違うものなのかを、どうしてしっかり聞いておかなかったのだ。目の前のことだけを見て帰るから、部分的なことしか分からず、キンスカについて完全な知識は得られないのだ。
キンスカばかりではない。物事はみんな、あらゆる自分の知恵を絞って、完全な形でとらえたり考えたりしなければいけないのだ。
そして、分からないことはよく聞いて、自分の疑問を一つ一つ消していくと、物事の本性がはっきりと見えてくるものなのだ。」
4人の王子は、なるほどと心から感心した。そして、大切なことを教えてくれた父王に丁寧に礼をして、その場を下がった。

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  ひなの祈り                                        説話 (4)
 ひなの祈り

昔マガダ国のある森で、かわいいウズラのひなが生まれました。ウズラの両親は、この月のような丸々としたひなが、かわいくて仕方ありませんでした。「どう、おいしいかい。たくさん食べて早く大きくなっておくれ。」と毎日ひなが喜びそうな餌を運びました。
     ◇
そのころ、この森にはよく山火事が起きました。すっかり乾ききった森の木々は、ふとしたこすれ合いにも火がつき、瞬く間に燃え広がるのです。
「なんだか、向こうの空が赤いわ。」母ウズラが空を眺めました。
「どうも煙の臭いがするな。」父ウズラも不安そうにつぶやきました。
「どうしましょう。坊やはまだ飛べませんよ」
「まだ、走って逃げることもできないよ」
しかし、両親は次第に火の勢いが強くなると、小さくかわいい子ウズラを巣に残し、あたふたと飛び立ってしまいました。
     ◇
「わあ、苦しいよ。助けて」ひなは叫びました。しかしどうやらここにいるのは自分だけのようでした。初めはやたらうろたえていましたが、どうにか助かる方法はないものかと必死に考えました。
「死ぬのはいやだ。どうにかして助かりたい」とつぶやいているうちにだんだん祈りの言葉に近くなって行きました。
「僕は誓います。昔からいらっしゃったという仏さまのように、戒めを守り、真実に生き、慈悲の心を持って生きます。ですからどうぞ僕を助けてください。そして父さんも、母さんも、それから森のみんなも……」
自分のことだけでなく、両親や他の動物たちの無事も、無我夢中で祈りました。
     ◇
それはどのくらいの時間だったのか。あれほど燃え盛っていた火が、ひなのいる森のわずか手前で、いちどきにたくさんの冷水を浴びたように、たちまち消えてしまったのです。
小さなひなは驚きと感動に打たれ、この光景に見入りました。
―なにか、偉大な力が僕たちを守ってくれている。

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ウサギの布施 説話 (3)
今回は、「ジャータカ」と呼ばれる、お釈迦さまが前世において菩薩であった時のご修行の姿を集めた物語を紹介します。
  ウサギの布施
昔ある深い森に賢いウサギが住んでいました。ウサギにはサルと山犬とカワウソという友達が居て、仲良く暮らしていました。ある日のこと、ウサギは三匹に言いました。

「明日は食を乞う人に施しをする日だよ。しっかりと教えを守って施しをすればきっといいことがあるよ。」
翌日になるとカワウソは獲物を探しにガンジス河の岸にやって来て、一人の漁師が隠しておいた魚を見つけ持って帰りました。山犬も田んぼの中の番人小屋から肉と大トカゲと牛乳の入ったつぼを、サルは山へ出かけてマンゴーを持ち帰りました。

ウサギは季節がら自分の食べるものにも事欠いていました。「食事の時間になったら寝床に敷いてあるダッパ草を食べよう。」「もし修行者が托鉢に見えても何もないから私の体の肉を差し上げよう。」

さて、天界ではウサギの気持ちが伝わり、帝釈天はウサギの気持ちを試してみようとバラモン僧の姿になって下界へ下りました。まずカワウソの家の前に立って施しを求めると、カワウソは「はいわかりました。」と言って例の魚を布施しました。次に山犬を、そのあとサルを訪ねるとどちらも「はいわかりました」と言って用意したものを布施しました。

最後にウサギを訪ねて施しを求めると、ウサギは「あなたは戒めを守る方で、生き物を殺すことはなさらないでしょうから火を起こしてください。私はその火の中に飛び込んで私の体の肉を布施しましょう。」と言いました。バラモン僧はそれを聞くとうなずいて神通力で火を起こしました。ウサギは自分の体を施そうと真っ赤な火の中に身を投じました。

しかしどうしたことでしょう。真っ赤な火はウサギの毛穴一つも焼きません。ウサギは唖然としてバラモン僧を見ました。バラモン僧は「どうか許して下さい。私はあなたを試したのです。」と言って両手を合わせました。そして「どうか、あなたの立派な行いが、世界のどこにも知れ渡りますように。」と言いながら周囲の山々に手を差し出し、山から汁を絞り出すとその汁で月の表面にウサギの姿を描きました。

バラモン僧はウサギを招き、森の中に若い柔らかなダッパ草で寝床を作って休ませ、それから帝釈天の姿に戻って去って行きました。

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馬鳴菩薩 説話 (2)
  馬鳴菩薩

現在の多くの釈尊伝は『仏所行讃』(著者「馬鳴」)を原本にしています。今回はその「馬鳴」の逸話をお伝えします。
      ◇
皆さんは七年前、アフガニスタンのバーミヤンで、岩屋の中の仏像がタリバーンに爆破された事件をご記憶でしょうか。あの辺りは、約二千年前に中国や日本に伝わつた大乗仏教や、初期の頃の仏像が生まれたところであり、その頃篤く仏教を庇護していたカニシカ王が治めていた地です。
      ◇
そのカニシカ王が、インドの王様から仏鉢と辯才という二人の名高い優れた僧侶を譲り受けました。
ところが、カニシカ王の臣下の中で「仏鉢はいいが、耕才は噂ほど優れているのか」という疑問の声があがりました。

それを知ったカニシカ王は、 七匹の馬を集め、飼料を与えず腹を減らさせました。そして六日目の朝、十分に腹の減った馬たちの前に内外の人を集めて耕才を招き、法を説かせました。すばらしい教えだつたのでこれを聞いて開悟しない人は一人もいませんでした。

そこで頃は良しと、王は腹をすかせた馬たちに一番好きな草を与えました。ところが馬たちは涙を流して耕才の説く法を聞いていて、草には見向きもしませんでした。

この様を見て人々は大いに驚き、馬も教えを聞いて涙を流し鳴いたといぅので、この耕才貯汚を、誰言うとなく「馬鳴」と呼ぶようになり、馬鳴菩薩と崇めるようになりました。

(鳩摩羅什訳『馬鳴菩薩伝』より)

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毒蛇の涙 説話 (1)
  毒蛇の涙

昔、雲浄という僧がいた。若い頃から法華経を信奉し、日夜修行を続けていた。
ある時、雲浄は熊野に詣でようと旅立った。志摩国を通っているとき人里離れた海岸で日が暮れてしまった。ふと見ると崖の下のほうに洞窟があったので、一夜を過ごすことにした。
洞窟の入り口は木々でふさがり、澱んだ空気が体にまとわりついて薄気味悪く、雲浄は不安を振り払おうと一心に法華経を唱えていた。

ふと気がつくとあたりにはなにやら生臭い匂いが漂っている。気味悪さに身体を硬くしてあたりに気を配っていたが、生臭さは耐え難いほどになって雲浄を押し包んだ。

そして、得体の知れない大きなものが岩を伝い、重いものを引きずるように近づいてくる気配がした。じっと目を凝らしてみると、それは紛れもなく大きな毒蛇であった。

息がつまり、全身に冷や汗が流れた。雲浄はもはやこれまでと観念し、一心に法華経を唱え続け、心の隅で祈った。――私はここで毒蛇のために命を落とすことになろう。だが、法華経のお力により、なにとぞ浄土に生まれ変わりますように……。

不思議な静けさに目を開けると、いつの間にか毒蛇も生臭さも消えていた。と同時に雷鳴雷光とともに大雨が降り風が起こり嵐となった。ところがしばらくすると嵐はうそのようにやんだ。

雲浄は不思議に思いながらもなお一心に法華経を唱えていた。するとまもなく一人の男が現れ、雲浄に向かって礼をし、黙って歩み寄り、静かに語り始めた。

「私は長年ここに棲み、ここに入ってきた人を食っていた毒蛇でございます。先ほどもお上人様を飲もうとしたのですが、法華経を唱えていらっしゃるのを聞いているうちになぜか悪心が消え去り、思いもよらない善心が湧いてきたのでございます。さっきの大雨は私の悔いと痛みの涙でございます。これからは決して悪心は起こすまいと心に誓いました。どうぞ今夜のご無礼はお許しください。」
こう言い終えると、男の姿はかき消えた。
〔「大日本国法華経験記」より〕

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「大往生」・「立往生」 暮らしの中に生きる仏教語 (14)
  「大往生」・「立往生」

 今回は、最終回として「往生」を取り上げます。

 往生とは文字通り、この世を去って他の世界に往き生まれることです。ですから、地獄へ落ちることを往生と言っても誤りとは言えませんが、地獄へ落ちることは「転生」という言い方をしますので、「往生」は仏・菩薩の浄土に生まれることを意味します。
 お釈迦様のいらっしゃる霊山浄土、観音様の補陀落世界、薬師如来の浄瑠璃浄土、弥勒菩薩の兜率天など、往生すべき浄土はたくさんあります。
 中でも阿弥陀如来の極楽浄土への往生は、中国に仏教が伝わって以来盛んになり、日本でも平安時代に源信僧都が『往生要集』を著わして極楽往生を勧め、法然上人が専修念仏を提唱して浄土教の隆盛が決定的なものになり、往生と極楽は同じ意味を表すほどになりました。浄土教がどれほど盛んだったかは、以前京都へ団参をした際にも見学した、宇治の平等院の壮麗さでも想像できます。
 浄土教が大衆に浸透するにつれて、往生という言葉は仏教から離れて@死ぬことA諦めておとなしくなることB困り果てることなどの意に用いられることになりました。
 立派な死に方を「大往生」、その反対を「往生際が悪い」などと言います。「往生際が悪い」は、今では専ら諦めが悪いときに使われています。
 「立往生」は、武蔵坊弁慶が奥州衣川の戦いで見せたという仁王立ちしたままの死に方ですが、現在は進退が窮まったという意味で使われています。渋滞に巻き込まれて…、嫁姑の間に挟まれて…、国会では与野党の主張が対立して審議が…、 という具合に使い方が広まっています。
さて、全十四回、足掛け五年にわたって連載してきましたこのコーナーも大往生を遂げて次の世界へ生まれ変わります。「暮らしに生きる仏教語」(今成元昭著)「日常仏教語」(岩本裕著)は参考書として大変お世話になりました。
次回からはお釈迦様や法華経に関する物語・説話をお届けする予定です。

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精進料理 暮らしの中に生きる仏教語 (13)
前号で予告したように今回は精進料理についてのあれこれをご紹介します。

  仏教の戒律・不殺生戒と食事
生き物を殺すこと・生命あるものを殺すことは仏教の罪の中で最も重く、在家者もこれを犯してはならないとされます。ちなみに不殺生はただ殺さないというだけではなく、その生命をより良く生かしきるという積極的な意味も含んでいます。
中国や日本に伝わった大乗仏教では肉食が禁止されていたため、野菜や豆類、穀類を工夫して調理する精進料理が発達しました。
日本に仏教が伝来したのは聖徳太子の頃(7世紀)ですが、精進料理が本格的に発達したのは禅宗が伝わってきた鎌倉時代( 12世紀)です。禅宗の精進料理は菜食であるが味がしっかりとしていて身体を酷使する武士や庶民に広く受け入れられました。
  精進料理の特徴
@ 野菜・豆類を加熱料理するため、あく抜きや水煮など時間のかかる下処理をする。
A 極めてシンプルな食材を多くの制約がある中で調理するため、様々な1次・2次加工が施される。
大豆は栄養価が高く菜食では不足しがちなタンパク質を豊富に持つので積極的に取り入れられましたが生食が困難であるため、様々に加工され、長期保存や飽きさせないことを目的として味噌・醤油・豆腐・湯葉・豆乳・納豆・油揚げなどが生み出されました。
このほか、こんにゃくやゴマという食材、すり鉢のような調理器具、根菜類の煮しめといった調理技法が日本料理の中に定着しました。
B 「もどき」料理と呼ばれるものがある。
植物性原料を用いて動物性の料理に似せて作ることです。たとえばきのこを用いてあわびのスープや炒め物を作ったり、山芋でうなぎの蒲焼を作ったりします。
他に点心(おやつ)として伝わった饂飩ウドン・素麺ソウメン・饅頭などもあります。(上図:そうめんを中心とした夏の膳)

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「醍醐味」・「善哉」・「甘露」 −食− 暮らしの中に生きる仏教語 (12)
 「釣りの醍醐味はやはり石鯛を釣り上げた時だね」とか、「古河の名物は甘露煮だ」という具合にふだん何気なく使っていますが、この中にも仏教語が入っています。今回は食に関する仏教語を取り上げます。   

   醍醐味 
 牛乳を熟成する過程における五段階の味、すなわち乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味で「最上級の味」を指します。
仏教で、仏の教えが衆生の能力に応じて順次深くなっていくのに喩えられ、最も悟りに近づいた境地を示す語です。

   善哉
 「善哉(ゼンザイ)」とは元々「善き哉(いいなぁ!)」と言う普通の語です。「欲令衆」に「その時に宝塔の内より大音声を出だして褒めてのたまわく、善哉善哉釈迦牟尼世尊……」とあるなど、お経の中でよく使われています。
どこかのお坊さんが、小豆を甘く煮たおいしい食べ物を食べて、思わず「善哉」と叫んだので、その名になったという話があります。 (右写真:ゼンザイ)
   甘露 
 「甘露」とは、仏教では世界の中央にそびえる須弥山の頂上にある 利天(帝釈天の治める世界)から降ってくる不老不死の霊液と言われ、仏法を象徴するものとされます。涅槃の世界を甘露城、如来の食べ物を甘露飯などともいいます。
 そこから一般にうまい食べ物をたたえる言葉として用いられ、時代劇でお侍さんが「うまい」と言う代わりに「甘露、甘露」などといっているシーンにご記憶のある方もいるでしょう。
 また、砂糖水を煮て冷ましたものを「甘露水」、砂糖とみりんで煮た小魚を「甘露煮」と言うなど、甘い食品の名に冠しても使われます。
   
 さて、食は「食(ジキ)」と言います。食は大きな欲望ですから、仏教では厳しい規制を設けています。
・生命を保ち修行を積むに足る最小限の食物以外は口にしてはならない。
・食事は1日1回、午前中に摂る。(これをトキと言う)
・肉食を禁ずる。(殺生戒)
・臭気が強く、精力を増して修行を妨げるものとして五葷クン・五辛シン(ラッキョウ・ねぎ・にら・にんにく・山椒)を禁ずる。
 この結果生まれた食事が精進料理と言われるもので、仏教の渡来と共に日本にも伝えられました。
精進料理に関しては次号に書きます。

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「劫」・「阿僧祇」・「刹那」 −時間− 暮らしの中に生きる仏教語 (11)
 「この頃何をするのも億劫で」 「じゅげむじゅげむ五劫の擦り切り……」などと使われる「劫」。今回は、「劫」という時間の長さと、お経に出てくる「数字の単位」のお話です。

 私たち日蓮宗の檀信徒は、お経があまり読めない人でも「開経偈」の「無上甚深……百千万にも遭い奉ること難し……」というところや、「自我偈」のはじめ「自我得仏来 所経諸数 無量百千万 億載阿僧祇 常説法教化 ……」のあたりは、とても耳に馴染んでいます。
 「劫」とはどんな長さでしょうか。一辺が一由旬(ゆじゅん・7 Km)の大きな岩に、天女が百年に一度降りてきて衣の裾でその岩を撫でる。そうして、その岩が磨り減ってなくなるまでの長い時間を言うそうです(磐石劫バンジャクコウの譬え)。
 あるいは、同じく一辺が一由旬の城壁に囲まれた大城の中に芥子の実をいっぱい詰めて、長寿の人が百年に一度来てその実を 粒ずつ持っていき、それがなくなるまでの時間とも言います(芥子劫ケシコウの譬え)。
 その「劫」に億・五・百千万などの数字が付いていっそう長い時間を表し、仏様の永遠性を表す表現となっています。(図:インド・ブッダガヤの釈迦像)
ところで、「一」劫だけでも気の遠くなるようなのに、「億」劫ではもはや想像しただけでも気後れがして何もする気が起きなくなるので、そのような心理状態を「億劫(おっくう)」というわけです。
 さて、大きな単位を表わす語には「恒河沙(ごうがしゃ)」(ガンジス河の無数の砂の意)・「阿僧祇」・「那由多」・「不可思議」・「無量大数」があります。「阿僧祇」は の10の56 乗という数だそうで、万は 10の4乗、億でも 10の8乗ですからその大きさはほとんど無限大と言うしかありません。
反対に小さな数には「須臾シュユ」「瞬息」「弾指」「刹那セツナ」などが並んでいます。ちなみに「刹那」は75 分の 1秒というとても短い時間の単位です。
 このような数や時間に対する豊富な語彙を見ると、古代インド人の宇宙や自然に対する想像力の豊かさが感じられます。

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安楽・娯楽・快楽 −楽− 暮らしの中に生きる仏教語 (10)
 「テレビの前に安楽椅子を据えて娯楽番組を楽しみ快楽を得る毎日を過ごす。」この文中の安楽・娯楽・快楽は仏典の中に出てくる語です。今回は「楽」についてご紹介します。

 楽は欲楽法楽とに二大別されます。欲楽とは眼・耳・鼻・舌・身が、その感覚対象すなわち色・声・香・味・触により受ける官能的な喜びのことを言います。
 それに対して法楽は仏法の悟りの境地である絶対的の喜び(法悦)です。法楽によって得られる無上の安らぎの境地を安楽といい、安楽土・安楽国とは極楽浄土の別名です。普通の椅子にひじ掛けをつけただけで安楽椅子などと使うのはちょっと「安楽」に対して失礼かもしれませんね。
 そして、娯楽は元々は「自分自身を観じて心休まること」。快楽(仏教では、「けらく」と読む)は心地よい・楽しいの意です。どちらも宗教的・精神的な楽しみを含めていいます。
 さて釈尊の時代、教団では離歌舞観聴戒という戒律によって音楽・歌・演劇などを自分で行っても見たり聞いたりしてもならないことになっていましたが、教えの句に節をつけて歌うように唱えることだけは許されていました。
 そして、紀元前後頃大乗仏教が起こると、民衆を対象に説教したりする機会が生じ、礼拝供養に音楽・合唱・演劇などが用いられるようになります。
 中国に仏教が伝わると、説教に節をつける「語り物」がうまれ、名園・牡丹花などで市民の目を楽しませるなど、寺院は一種の民衆文化の中心地となり、現在の用法の娯楽の要素が強くなっています。
日本では、鎌倉時代、空也上人の創始した念仏踊りは時宗の一遍上人の踊念仏となり日本全国に広まりました。この段階では法楽と快楽と娯楽が一体となっています。
 この念仏踊りは出雲の阿国によって始められた歌舞伎に大成し、音楽や劇・舞踊を総合して民衆娯楽の中心となります。
ここに至って娯楽や快楽という語には法楽の内容はほとんど失われました。                (上図:出雲の阿国像)

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滅相な・滅相も無い 暮らしの中に生きる仏教語 (9)

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」
有名な「平家物語」の語り出しです。祇園精舎も沙羅双樹もお釈迦様と深いかかわりのある語句ですが、この中の諸行無常の現象は、生相・住相・異相・滅相の四相として捉えられています。この四相を生物にあてはめると、生・老・病・死となり、これを四苦といいます。

さて、滅相は〈この世に存在するものが消滅してゆく様相〉(=死)ということです。そこから、滅相などということは有って欲しくないことなので「滅相な・滅相も無い」は、「とんでもないこと・有ってはならないこと」となり、「法外なこと・はなはだしいこと」を意味するようになったと考えられます。
「とんでもないこと」という意味では滅法という語もあります。滅法とは、人の考えや力の及ばない状況を言います。この語は「めちゃくちゃ」とか「めったやたらに」の意で副詞的に用いられます。

ところで、仏教における無常の捉え方が分かる参考を一つ。
例えば、死が悲しいものであるとすると、生まれて死なない者はいないのだから、生まれることは死という悲しみの種が一つ蒔かれることであって、誕生も悲しみであるということになる。
また、死が悲しいものであるとすると、人が死ぬのは悲しみの種がひとつ無くなるのだから喜ぶべきことだといえる。
結局、無常は喜ぶべきことでも、悲しむべきことでもなく、そこにあるのは「万物は流転する」という実相だけだという考え方です。
                          (右写真)祇園精舎の中にある、釈迦の居所の遺跡で瞑想する僧

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「卍」 これは文字なのでしょうか。記号なのでしょうか。 暮らしの中に生きる仏教語 (8)

 卍は仏教のシンボルとされ、地図でも寺院を表します。これは文字なのでしょうか。記号なのでしょうか。
 卍は中国清朝の辞書、康煕字典で部首「十」の 画の個所に収められています。また、日本の漢和辞典にもあり、漢字の一つと見なせます。
 「万徳(あらゆる徳)が集まる」という意味を込めて、中国でこの形を万の字に当てたため「まんじ」と呼びます。
 形の起源は古代インドで、太陽が光を放つ様子を表したといわれ、とても縁起のいい形と言え、ヒンドゥー教の最高神ビシュヌ神の胸に渦巻く毛、仏教では釈迦の胸や足裏にある印とされます。
 日本では左向きの形が主流ですが、逆向きも見かけます。右向きが尊ばれるインドと違い、日本では厳密な区別がないためです。
 その右卍と同じ形がナチスのカギ十字・ハーケンクロイツですが、こちらは十字の変形とされ、直接の関係はなさそうです。
 卍は、とても縁起のいい形ということで、お寺の欄干にもこの形が取り入れられています。有名なところでは法隆寺中金堂・万福寺開山堂などがその例です。
 法隆寺の欄干の卍崩しは、虎屋という老舗のお菓子屋さんで作る「推古」という、江戸時代以来の菓子のデザインにも用いられています。


                                  上図:万福寺の卍の欄干、 下図:法隆寺の卍崩し文様の欄干

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「普請」・「ほらを吹く」 暮らしの中に生きる仏教語 (7)
 「我が家もやっと普請に取り掛かります。」とか、「あいつはいつもほらばかり吹く。」など、普段の生活に何気なく使うこれらの語句も仏教の中から生まれました。

  普 請 
 今では家屋の建築や土木工事を意味する(道普請などと言いますね)この言葉は、「普く請ずる」という意味で、禅寺で「広く大衆に請うて労役に従事してもらう」という語でした。

 労役の内容は書物の虫干し・茶摘み・煤払い・大掃除など、種々人手を要する仕事が上げられています。以前は当山でもお墓掃除やら茶摘やらにお手伝いをお願いしていたようです。また、今でも年末の風物誌で、本願寺の煤払いに大勢の信徒さんが集まって、竹の棒や大きなうちわで掃除している様子がテレビで写し出だされます。
 後には特に多人数の労役協力が必要であった、寺院における「堂塔の建立」を意味するようになり、転じて一般の建築も指すようになりました。

  ほらを吹く
 「ほら」は「法螺」と書きます。法螺は巻貝の端に笛をつけた一種の楽器で、インドでは人を集めるのに用いられたそうです。
 法螺の音が大きいので、仏の説法の比喩に用いられ、仏の説法の声が轟き渡ることを、この楽器の吹奏に喩えました。千手観音の持ち物の一つであり、山伏の携える道具の一つでもあります。
 そして、「大げさに言うこと」あるいは「でたらめを言うこと」を「ほらを吹く」というのも、法螺の音の大きいことに由来しています。


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「人間・人道・人類・人情・人気」 暮らしの中に生きる仏教語 (6)
「人間・人道・人類・人情・人気」…これも仏教語? 

仏教では本来、人々の住む(煩悩に苦しみながらその克服に努める、反省の)世界を『人間』といいます。
それが平安時代の後期からひとりの人をも人間というようになったようです。
もともとの意味と新しい用法との違いはいろいろなところで見られます。
たとえば、人非人というのは仏教では「人の形で出現するが、人ではないもの」すなわち仏法を守護する天神・竜王・阿修羅などの八部衆を指す語であって、現在の
ような「極悪非道な人」という意味ではありません。
また、人道とは冥界六道のひとつとしての人間界であるし、人類とは人間の部類という言葉の省略形で、単に人の形をしているものということです。
今日では、人道主義とか人類は万物の霊長であるなどと使われますが、元の意味からするとずいぶん出世(?)した感じですね。
これらは明治以降、西洋の思想を輸入したとき、その訳語にふさわしい言葉をお経の言葉に求めた結果だとも聞いています。
『自由』という語も同じようにそのとき仏教から援用されたものです。     写真:阿修羅像(奈良・興福寺蔵)

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檀那(旦那)様はドナー? 暮らしの中に生きる仏教語 (5)
 先日TBSテレビの「世界不思議発見」という番組で、カラ・テパという中央アジアの仏教遺跡がテーマになり、、その中で今回取り上げた仏教語「檀那」がクイズに出ていました。これは面白いと思ったのでご紹介します。
  檀那(旦那)様はドナー?
 この頃はご自分の連れ合いを「檀那様」とは呼びかけませんが、歌にある「だんな様」は良く歌われていますね。
 仏教語で檀那は、梵語(サンスクリット語)のダーナの写音で、意味は【贈り物】です。お布施のこととして使われます。
 そこから、財物を施してくれる人(信者)を僧が呼ぶ呼び名となりました。すなわち施主です。
 妻が夫をだんな様と呼び、商家などで使用人が主人を旦那様といい、商人が得意先の客を旦那といい、ついには盛り場などで呼び込みの人が「そこのダンナ」などと呼びかけるのも、みなここから発しています。
 また、各家の菩提寺のことを「檀那寺」という言い方もします。自分の家の墓があり、仏事をすべて任せ、財物を布施してその経営を援助する寺だからです。
 さて、梵語のダーナは中国(東)へ来ると檀那になり、ヨーロッパ(西)へ行くと「ドナー」という語になりました。

 この頃テレビでよく「骨髄バンク」のコマーシャルをやっています。 歳の夏目雅子さんが映るあのCMですね。そのとき「ドナー」という言葉が聞かれますが、この場合は骨髄液の「提供者」という意味で使われています。
 檀那とドナーは同じ言葉から生まれているのですね。


 この番組ではその時「和尚」と「かわら」も梵語から発生した語であると紹介されました。「かわら」は寺院建築と共に日本に入ってきました。
 ちなみに、和尚は「オッジャー」かわらは「カラカ」が元の音だそうです。
瓦の伝来以来1400年の伝統、本葺き工法で葺かれた寺院本堂の屋根


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「地 獄」 暮らしの中に生きる仏教語 (4)
 「聞いて極楽、見て地獄」「地獄で仏」「地獄耳」「(別府の)地獄めぐり」など、「地獄」は日常の言葉に多く使われています。
 仏教では六道の最低の世界で、極悪の罪を犯したものが死後に責め苦を受ける所とされています。地獄の種類は多く、例えば八熱地獄の中には叫喚・大叫喚・焦熱・大焦熱・無間などの八大地獄があります。そしてこの大地獄の四方の門の外に各四つずつの小地獄があって、罪の大小によって行く所が異なるのです。
 地獄からは炎に包まれた車が迎えにきます。これが「火の車」で、今は家計の苦しい様を言います。
 日本で「地獄」が強く意識されるようになったのは
、平安時代の中期で、「極楽」の対極にある苦の世界として恐れられました。「地獄絵」も盛んに描かれ、熱湯や熱気の噴出するところを現実の地獄とする信仰も生まれました。(地獄めぐり)
江戸時代以降は
 (イ) 捕らえ殺す意→「地獄落し」(重い板が落ちて殺す仕掛けのネズミ捕り)
 (ロ) 苦悩の境界の意→「聞いて極   楽、見て地獄」「地獄で仏」
 (ハ) ひどい扱いの意→「地獄詰」(隙間なくぎっしり詰める。)
 (ニ) 超人的能力の意→「地獄耳」、「地獄覚え」(並外れた記憶力)
 (ホ) 悪事を働く意→「極道」(正業につかず放蕩を尽くす)
などの、地獄を素材としたいろいろな言葉を生むようになりました。
上図:無間地獄の様子 (「地獄草紙」より)

 さて、「地獄」は梵語でナラカと言います。これを音写したのが「奈落」で、物事のどん詰まりを「奈落の底」、劇場の舞台の床下を「奈落」というのもここから出ています。   (参考「暮らしに生きる仏教語」)

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【食堂】(じきどう・しょくどう) 暮らしの中に生きる仏教語 (3)
 安心・玄関・○○三昧・ないしょ(内緒・内証)話など、私たちが日常何気なく使っている言葉の中にも仏教から発しているものがいくつもあります
 今回もそうした暮らしの中に生きる仏教語をご紹介します。
 【食堂】(じきどう・しょくどう)
 寺院の建造物を伽藍といい、中でも七堂伽藍というと立派な威容を誇る大寺院を示します。七堂は古く奈良の寺院では、金堂(本堂)・講堂・塔・鐘楼・経蔵・僧坊・食堂をいいました。この中で、講堂・食堂は名称も機能もほとんど変わりなく一般社会に広まりました。
ほかに、僧侶の学問所であった書院は、現在は出版社・書店の別名のようになっています。
 また、どこの家にもある玄関は、単なる入り口ではなく、本来「仏
法の玄妙な境地に入る関門」でした。
 その語が寺院で、書院や客殿の入り口の名に転用され、やがて一般家庭の入り口を指すようになりました。

  話の縁側

  がらんどう
 伽藍内部の広い空間と静寂さは「中に人も物もない」ガラーンとした様子を示すことばになりました。

  堂々めぐり
写真: 大徳寺玄関(重文)へのアプローチ


「堂の周囲をまわって祈願する」のが元の意味ですが、今は果てしない議論の様子や、国会での投票風景などの描写に使われています。

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「有頂天」・「縁起」・〈無学〉 暮らしの中に生きる仏教語 (2)
【有頂天】「あいつはこの頃彼女と上手くいっているので有頂天になっている。」などと使う「有頂天」は仏教では「有の頂にある天」すなわち「天の中の最高の天」を言います。
有頂天に上り詰める・絶頂を極める意から転じて、喜びで夢中になることを「有頂天になる」と言うようになりました。

【縁起】「縁起がいい」「縁起が悪い」など、吉凶の前兆の意に使われることばですが、本来は、この世に於ける一切のものは因(結果を生む直接のもと)と縁(結果に導く間接のもと)によって生ずるという言葉「因縁生起」の略です。縁起をかつぐ、縁起を祝う。縁起物、縁起直しなど広く使われます。
もともとの「縁起」は、転じて物事の始まりを意味し、特に寺社などの由来を指すことばになります。皆さんもお参りしたお寺で「○○寺縁起」というパンフレットなど戴きますね。
ついでに、「げんをかつぐ」「げんが悪い」という時の「げん」も、もとは「縁起」で、江戸時代大阪辺りで「ぎえん」とひっくり返して使ったのが始まりだそうです。

話の縁側 (ここでちょっと軽い話題を)
無分別で無学の人は困った人でしょうか?それとも素晴らしい人でしょうか?
仏教では《無》は好ましい状況をいう語で、「無学」の人は、もはや学ぶべきものがない悟りの境地に達した人なのです。
うかつに「私はまったくの無学で」なんて言えませんね。

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「安心」・「意地」・〈あみだ〉 暮らしの中に生きる仏教語 (1)
 安心・玄関・○○三昧・ないしょ(内緒・内証)話など、私たちが日常何気なく使っている言葉の中にも仏教から発しているものがいくつもあります
 今回から暫くの間、そうした暮らしの中に生きる仏教語をご紹介します。

【安心】「やっと一安心」とか、「安心してぐっすり寝る」とか、よく使う語ですがこの字は仏教語では「あんじん」と読みます。
      信心によって心が動揺しないこと、また、そのような境地を言い、「安心を得る」といった言い方をします。
      経を読みお題目を唱えて安心して生活したいものです。

【意地】仏教では「心のはたらき」が重視され、「意」は認識機能の拠り所として六根の第一とされます。目・耳・鼻・舌・身(これを五根という)
      の認識作用の根源であり、地盤であるということから「地」といいます。
      ここから「意地」はこころ・意思の意となり、「意地悪」「意地を張る」「意気地なし」などの表現が生まれました。

 話の縁側(ここでちょっと軽い話題を)
 「あみだくじ」はご存知ですね。今では縦線と横線の組み合わせですが、初めは放射状に引かれた線の中心部に賞金の額が書かれていて隠されており、それを選んでくじ引きをしたそうです。
 その放射状に引かれた線が「阿弥陀仏」の後光に似ているところから「あみだくじ」といわれるようになりました。
 帽子を「あみだにかぶる」の「あみだ」も「阿弥陀仏」の後光からきています。

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お灯明(ローソク)の話 仏事の作法 (16)
 仏壇にあるローソクは、お線香を上げるとき火をつけるためのものと考えてはいませんか。
上図:五具足 下図:三具足

 今回は花・線香と並んでなぜローソクが三具足として仏壇に置かれるかをお話します。
     ◇
 今はあまり起きませんが、嘗てよく停電があり、そんな折、暗闇を照らすローソクの明かりをどれほどありがたく思ったことでしょう。
 ローソクは自分の身を燃やしてあたりを照らし輝きます。そして、闇をなくし、不安におののく人の心に安堵感をもたらすところから、灯明は仏様の慈悲と智恵の象徴とされます。
     ◇
 また、こんな話が残っています。釈尊が晩年に大病をした時、釈尊がいなくなった後を案ずる愛弟子の阿難陀に、「自分自身を灯明とし、自分自身を拠り所とするがよい。法を灯明とし、法を拠り所とするがよい。他に頼ってはならない」と諭されました。他の人の判断をあてにせず、自分で考えなさい、正しい教え(法)に従って行動し、ものを考えなさいという教えです。これを仏教では「自灯明・法灯明」といいます。
     ◇
 ところで、「貧者の一灯」という話をご存知ですか。
 昔インドで貧しい老婆が「百劫の間に一度だけだと聞いている、仏様の世に生まれた幸せに感謝し、せめて心ばかりの一灯をささげたい。」と、道行く人にわずかずつお金を恵んでもらい、一灯をささげました。
  老婆のささげた灯明は王様達の幾百の灯明に混じって揺らめいていました。やがて風が出てきて他の灯は次々と消えていきましたが、ただひとつ老婆の灯明だけはあかあかと灯っています。夜が明けて、消そうとして僧達があおいでも消えず、ますます輝きを増しました。
 仏様に供養をささげたいという一途な真心は、何者も妨げることはできなかったという話です。
    ◇
 ローソクは灯明であり、仏様の教えと深く結びついていることがおわかりいただけたでしょうか。

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位 牌 の 話 仏事の作法 (15)
 三宅島の方々が火山の噴火で全島難する時、まず位牌を取り出している姿が映されました。昔から「いざという時はまず位牌を持って逃げろ」というのを聞きます。位牌はそれ程大事なものとされてきたのです。
   ◇
 ところで、位牌の起源は中国の儒教で2〜3世紀ごろからの風習といわれます。一般庶民に広く祀られるようになったのは江戸時代に入ってからです。
 位牌も、古くは木板に台を付けただけのものから徐々に装飾を施すようになり、形も複雑で漆塗りや金泥仕上げのもまで見られるようになりました。
   ◇
 葬儀のときに用いる位牌は白木のもので、内位牌と野位牌があります(都会では内位牌だけの場合が多い)。
 野位牌は火葬場や墓所に持って行き、そこに供えます。
 位牌は葬儀のときは祭壇に祀り、その後四十九日忌の忌明けまで仏壇とは別に設けた壇に祀って供養し、四十九日忌までに漆塗りなどの本位牌を作ります。
 本位牌は、開眼のお経を上げてもらった後で仏壇に納めます。
   ◇
 仏壇に位牌を安置する場合、正面中央に祀られたご本尊の両脇、あるいは一段下の両脇に置きます。この時の置き方は、正面向かって本尊の右側、次に左側、一段下がって右側手前、左側手前というように、年月の古い順にします。
   ◇
 位牌には他に、今回当寺で皆さんにご案内した「祠堂位牌」や、「繰り出し位牌」といって、箱の中に何枚かの板が納められるようになっているものもあります。仏壇に何本もの位牌があって手狭になった場合、まとめられるようになっています。ご自宅の仏壇を見て、白木のままのものがあったり、たくさんあって狭く感じられるようでしたら考えましょう。

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仏様にお供えする花(二) 仏事の作法 (14)
天空より花を降らせる
 今回はお葬式に関わる花(一本花・施主花)と、施餓鬼会法要などでまかれる「散華」について書きます。
      ◇
 人が亡くなるとその枕元にまず手向けるもののひとつに、樒(しきみ)や菊をさした「一本花」があります。そして葬儀の祭壇の両脇に施主花を飾ります。「一本花」も「施主花」もお釈迦様と関係があります。
      ◇
 お釈迦様の弟子大迦葉が、お釈迦様の元へ急いでいた時、一本の花を持って歩いてくる一人のバラモン(修行者)に出会い、お釈迦様のお亡くなりになられたことを知らされました。「一本花」はこれに由来すると言われます。
      ◇
 また、お釈迦様がクシナガラという地の沙羅双樹の下で亡くなられた時、その沙羅の樹が一時に枯れて白くなり、遠くから見ると鶴がとまっているように見えたという故事によって、「施主花」は白紙又は銀紙で作られています。ただしその形は沙羅の樹ではなく蓮華の常花となっています。
      ◇
  「散華」は、仏や菩薩を褒め称える時に天空から花が降るというお経文を表わしたもので、花をまき散らして仏様に供養し、道場を清めて仏を請来するためのものです。

 私達にもっとも身近なお経「自我偈」の中に『雨曼陀羅華 散仏及大衆』という句があります。仏国土では天人が仏(=釈迦)や衆生に曼陀羅華を雨らしている、という意味です。
 儀式の時には花の代わりに紙製の蓮華の花びらを散らします。

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仏様にお供えする花 仏事の作法 (13)
  エジプトのツタンカーメンのお棺の上に、あるいはもっと古く、ネアンデルタール人の墓に花を供えてあった痕跡が残っていたということです。亡くなった人に花を手向けるのは自然の感情でしょう。
   ◇  

 さて、『大智度論』という書物に、お釈迦様が前世において修行していた頃、燃灯仏という仏様にお会いした時に何もご供養するものがないので、近くにいた花売りから五茎の青蓮華を買って供養したことが説かれていますが、これが仏様にお花をお供えする始まりとなりました。
   ◇
 仏様にお花を供えるのは、美しいものをご供養するという心とともに、仏様をお飾りするという意味もありますから、なるべく美しく新しい生気あるものをお供えするようにしましょう。しかし、いくら美しくても、棘のある木の花や臭い花、辛くにがい花は避けるようにと言い伝えらています。
朝夕お参りする時にお花の水を入れ替えて、しぼんだ花や枯れた花
にならないよう心がけましょう。生花は福をもたらし、枯れ花は死を示すといわれます。
 ◇
 ところで、仏様の花といえば蓮の花を思い浮かべるでしょう。
蓮華は、華果同時といって、その花が開いているときに、すでに花の中に実を結んでいることから、凡夫も仏性をそなえていることを象徴するものとして供花の第一とされています。
 お寺のご本尊さまの前に飾られている金色の蓮華は「常花」といい、蕾と花と実がすべて具わって、過去・現在・未来の相を表現しており、経文に記された金色に輝く浄土の蓮華をあらわしています。

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仏壇やお墓を新しくするのは 仏事の作法 (12)
 仏壇を新調したりお墓を建て直したりするとき「やるには決まった日があるか」とか、「この時期にやってはいけないか」という疑問をお持ちの方が多く、質問もよく受けます。
 結論から言うと、思い立ったが吉日でよい事をするのに悪い日はありません。しかしいつでも良いとなると機会を逃しかねません。そこでお彼岸・お盆・ご命日などに合わせるのが良いとお答えしています。
   ◇
 さて、仏壇の中を良く見てください。ご本尊が一番奥の中央に懸かっていますか。白木のままの位牌がいくつも並んでいませんか。 仏壇を新しくするのではなくても、気づいたことがあったらお彼岸を機にお寺に相談してみましょう。
仏壇はご本尊を納めた家庭信仰の拠り所です。ご本尊に守られてご先祖の供養をするとともに、毎日手を合わせて自分自身の心の拠り所としましょう。
   ◇
 また、お墓を建て直す時今までの石をどうしたらよいかという質問も良く聞きます。そんな時は、先代の方が建てた石あるいはその家の歴史が刻まれた石ですから、石塔だけでも新しいお墓のそばに残したらどうかと話しています。
 ところで、お彼岸でお墓参りをすると思います。その時、塔婆立てや外柵の石組みに緩みやゆがみがないかなど、ちょっと点検してみましょう。思いがけず傷んでいる場合があります。
 また、古くて朽ちかけたような塔婆がそのままになっていたら、本堂裏手の塔婆置き場に納めましょう。
   ◇ 
 仏壇やお墓は、「いつでも良い」のではなく、いつも心にかけていたいものです。

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お札・お守り 仏事の作法 (11)
 当山では、「花祭り」、「水子観音例祭」、「お会式」の時にお札を、「星祭」にはお札とお守りをお渡ししています。
   §
お札には、よく見ると、神仏の名や祈願趣旨などが書いてあり、また「南無」とか「擁護」・「守護」とかの文字が書いてあります。
これによって分かるように、お札は、それを受けた家や人を守護するために、木や紙に書いて貼ったり、あるいは所持したりするものです。
この風習は古来からあり、「摩利支天経」や「大般若経」にもお守りに関する記述があります。
  §
日蓮聖人は法華経の要文を書いて、求めに応じて札守りを与えられており、安産・除厄・除病・招福のために授けられたことが、祖伝の中にも数々伝えられています。
中でも伊豆韮山の江川吉久に与えられた棟札は、今も同家に伝わり、七百余年間火災なしということです。
  §
受けたお札はどう扱うかについて、先ほどの「摩利支天経」や「大般若経」には、
「香りのよい袋に入れたり、美しい箱に納めたり身に着けたりする」と書いてあります。
自宅においては、仏壇に納めるのが普通です。
「星祭」のお守りは、肌身に着けて持つように、お守

り袋に入れたり、免許証入れにはさんでいる人もいます。
  §
ところで、仏壇の中に、色の変わってしまったようなお札が何枚も重なっていませんか。
古いお札やお守りは「お焚き上げ」をお願いしましょう。

「お焚き上げ」は、当山でも盆と暮れに行っています。お賽銭程度のものを添えてお持ちください。

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お仏壇 =ご本尊をお祀りする 仏事の作法 (10)
 
仏壇は位牌置場ではない
 仏壇は、本来はお寺のお堂にある須弥壇のことなのですが、現在では家庭の箱型の厨子を指すようになりました。
さて、仏壇にはご先祖のお位牌がまつられています。それで仏壇といえば、亡くなった人の位牌をまつるところと考えている人もいるでしょう。しかし、「位牌壇」といわずに「仏壇」というように、本来は仏様(本尊)をおまつりするための壇なのです。従って、ご本尊が祀られていなければ仏壇とはいえません。仏壇の中にお位牌を安置するのは、仏様の世界に包まれて、ご本尊の世界に教え導いていただくという意味です。
(ご本尊については、いづれ別  稿で記します)

▽仏壇のまつり方     左図参照

▽仏壇の向きはどの方角
仏壇の向きは、どの方角で無ければいけないということはありません。住宅事情も考慮してできるだけ、いつも手を合わせやすいところに安置すればいいと思います。
あえて言えば、日蓮宗では、お釈迦様が「法華経」を説かれた霊鷲山は東方世界にあると教えていますので、仏壇は部屋の東側に(西向きに)安置すると良いともいえます。

▽毎日の信行
毎朝夕、灯明・線香を上げてお題目を唱えましょう。
朝は、水と仏飯をお供えし、戴きものや、季節の初物などは、まず仏様にお供えしてから食べるようにしましょう。
こうしたことは、出来るだけお子さんやお孫さんと一緒にしたいものです。仏様を身近に感じ、御先祖様からの命の繋がりを自然に感じられる、大切な体験となるでしょう。
そして、花の水をこまめに替えたり、仏壇の中を清浄に保ったりすることは、そのまま自分の心を磨くことにもつながると思います。

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お 給 仕=居ますが如く御仕えする 仏事の作法 (9)
  
  今回は日常のお給仕についてお話します。
 先日Kさんがみえて、「仏様に上げたお茶やご飯はいつ下げたら良いでしょう。」と聞きました。皆さんのお宅ではいつ下げていますか。
 インドでは僧侶の戒律に、食事は正午過ぎて食べてはいけないというのがあり、それに準じて一般的には午前中に下げます。しかし、下げた仏飯はそのまま捨てるのではなく、お下がりを頂くことによって、仏様・ご先祖様と命の繋がりを持つことになります。そうすると、特に夏など早めに下げたほうが良いですね。
 また、Kさんのことば。
 「あまり早く下げてしまうと、どなたかお参りしてくれたとき、『ご飯も上げていないのかしら』と思われても困りますね。」
 それも一理あり、と言うわけ
でいつ下げるかと言う問いには一つの答えはありません。
  ◇
 しかし、そこでたいせつなのは「居ますが如くお仕えする」ということです。日常生活の中で、仏様・ご先祖様がそこにおいでになるという気持ちでお仕えする心構えが大切です。
 お水は汲み立てを、ご飯は炊き立てをお供えする。果物やお菓子などの供物も、ご命日に生前好んだものをお供えする。頂きものはまずお供えしてからお下がりを頂く、季節のものや珍しいものが手に入ったらまずお供えすると言うのも同じ所から出ています。
 お花も生き生きとした美しいものをお供えしましょう。生花は福をもたらし、枯花は死を示すと言われています。
 しぼんだ花をそのままにしておかず、いつも清々しい気持ちで拝めるようにしましょう。
 

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お墓参りの話・あれこれ 仏事の作法 (8)
 ◇お墓参りの時は
 お墓参りの時は、先ず本堂(本尊)へお参りしてからご自分の家のお墓へ参りましょう。
 お墓に着いて一番にすることは、お墓の掃除です。石塔・花立・水鉢などを洗い、草取りなどもしましょう。その後で新しい花を供え、水鉢を満たしてお参りをします。

 ◇水はたっぷりと
 石塔に水をかけ、線香を手向け、合掌・礼拝をするのがお参りの手順です。石塔に水をかけるのは、お墓を清めるという意味がありますが、それ以外に、仏教的な解釈としては、餓鬼に施す慈悲の心を表わすという意味もあります。
 餓鬼は食べ物も飲み物も、口へ持っていくと炎に変わってしまって飢えに苦しむという責め苦を味わっていると言われます。でも、お墓にかけられた水だけは、辛うじて口に出来るというのです。
 その意味からも、お墓にはたっぷりと水を手向けましょう。

 ◇お参りが終わったら
 もし墓前にお菓子や果物をお供えしたらそのままにせず、自分でお下がりを頂くか、下げて庫裏へ始末をお願いしましょう。帰りには庫裏へ寄ってお話などして行ってくださると、とてもうれしいです。

 ◇お墓を守る人
 最近は世の中の「少子化」の動きがお寺にも及んできて、子供が皆他姓になってしまったりなど、お墓の跡継ぎのことで相談を受けることが多くなりました。
 そんな時はお寺と相談して、なるべく近い縁筋で承継してくれる人を探しましょう。そういう人が見つからない時は《永代供養》という方法があります。
 お寺へ永代供養料を納めておくと、盆・彼岸の花や盆・回忌の塔婆を上げて供養してくれます。

 ◇お正月はお寺参りを
 間もなくお正月です。古来、お正月は盆と並んで先祖の魂をお迎えする魂祭の行事でした。おせち料理も、神社仏閣へ初詣をする習慣もそれに基づいています。
 大晦日には一年間無事に過ごせた感謝を、お正月には一年間の願いを込めて、お墓にお参りしましょう。

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精霊棚のはなし 仏事の作法 (7)
 

 「精霊棚」の飾り方は、先ず棚の四隅(または仏壇の両側)に笹竹を立て、上の方に縄を張ります。そこにほおずきなどを吊るします。これは「依り代」といって、ここに精霊をお迎えするためのものです。
 棚には真菰のゴザを敷いて、水・「水の子」・ミソハギの束・花・香炉・灯明・きゅうりで作った馬・ナスで作った牛などをお飾りします。
水…蓮の葉に入れます。
水の子…ナスをさいの目に切って蓮の葉の上に置きます。これは、ナスの種が百八つの人間の迷い(煩悩)に比せられているものです。

 お参りするときは、水をミソハギに含ませて「水の子」に注いでから拝みます。これは煩悩を静めるためといわれています。
馬…一刻も早く御先祖様をお迎えしたいという心を表わします。
牛…御土産を持ってゆっくりと御帰りくださいという心です。
 また、お盆の間は遠来のお客様をおもてなしする心で、何か御馳走を作ってお供えをしましょう。

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塔 婆 の は な し 仏事の作法 (6)
  

(一)塔婆の起こり
塔婆は本来「卒塔婆」と言い、梵語のスツーパを音訳したものです。饅頭の形に土を盛り上げた上に傘蓋(かさ)をかたどったものを建て、そこにお釈迦様の御遺骨を納めて供養しました。これがスツーパで、「塔婆」の始まりです。
それが、左図のように時を経て形を変え、現在の塔婆(板五輪塔婆)や五重塔になりました。
(二)塔婆供養の功徳
当山の塔婆の表には、お題目の下に「見二如来」と小さく書きます。
この二如来とは、多宝如来と釈迦如来のことで、お題目を中心に二如来が並座することを意味します。そしてこれは、一塔両尊と呼ばれる日蓮宗の本尊を表わす形です。(寺報第四号参照)
また、裏に経文の一句を書くのは、大切な供養の仕方の一つである写経供養をしてその功徳を手向けるということです。
このように、板塔婆は、塔を建てる功徳と写経供養の功徳を故人への追善供養として手向けることになるのです。

(三)塔婆はいつ誰が上げる
塔婆は、いつ、誰が上げても、亡くなられた方のみならず仏様への供養になります。
実際には、故人の命日や彼岸・お盆・施餓鬼会などの折に亡き人個人あるいは先祖代々へ上げる方が多いようです。
最近、法事には、施主だけでなく兄弟や子供などの近親者の名で塔婆供養する人が増えています。

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年 回 法 要 の 話・下 仏事の作法 (5)
  前号では、忌日には祥月命日(正忌)・月命日(月忌)・年回忌とあるということを書きました。
 今回は、「年回法要」について、実施するときの留意点を中心に書きます。「年回法要」全般に共通しますので参考にしてください。
 (一)お寺への連絡
@ 日取り
 一番基本になるものですから、自分が予定している日の少なくとも一ヶ月前にはお寺と相談しましょう。(招待する人への連絡はその後で)
法要に要する時間は約一時間(墓参を含む)です。
A 人 数
 法要の十日から一週間前には、出席人数を連絡しましょう。その時一緒に、お塔婆を上げる施主の名前も連絡します。
お寺では、塔婆・テーブル・座布団・湯飲みなどをそれに合わせて準備します。
 (二)用意するもの
@ 本堂用
  花〈一束〉
  お盛り物〈果物・酒等生前故人の好んだ物)
A お墓参り用
  花〈一対〉・線香
 (三)当日の心得
@ 仏様に失礼のない服装で参列し、お数珠を持ちましょう。
A 自宅にお客様を迎えるとき  と同じような心構えで臨みましょう。 

 ▽予定時刻の三十分前には来て住職に挨拶をします。〈お墓の掃除も済ませておきます〉
 ▽時間になったら案内に従って本堂に移動します。その時、使った湯のみや灰皿は一処に まとめておきます。

 以上極く簡単に留意点を並べましたが、わからないことは気軽に御相談下さい。

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年 回 法 要 の 話・上 仏事の作法 (4)

 祥月命日(正忌)
 例えば、七月五日に亡くなった人なら、毎年の七月五日が祥月命日です。
 三回忌・七回忌などの年回忌に当たらない祥月命日には、親類や知人を招いて法要を営む必要はありませんが、家族そろってお墓参りをしたり、塔婆を上げたりしたいものです。

 月 忌
 月ごとにめぐってくる命日のことです。
 毎月の月忌に当たる日に菩提寺の住職に仏壇の前でお経を上げてもらうことを「月忌法要」または「月参り」と呼びます。

 年回法要
 これが一般に言う「法事」のことで、定められた年次に行われる追善法要のことです。
 亡くなった翌年の祥月命日が一周忌で、その翌年が三回忌です。回忌は亡くなった年から数え始めます。三回忌以降、七回忌・十三回忌・十七回忌・二十三回忌・二十七回忌・三十三回忌と続きます。
 その後は五十回忌、百回忌と行うこともあります。ただ五十回忌ともなると、故人を知っている人もほとんどいなくなっています。
 そこで三十三回忌を「弔い上 げ」といって、法事の締めくくりとするのが普通です。
 三十三回忌がより盛大に行われるのはそのためです。
 ところで、当寺では回忌に当たるお宅には二〜三ヶ月前にお知らせのはがきを出しています。
 次号では、法事を営む際の心得について具体的に書く予定です。

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お数珠を持ちましょう 仏事の作法 (3)
  数珠は、珠数とも誦数とも書くように、本来はお経やお題目の数を数えるための法具です。しかしまた念珠ともいい、仏様を礼拝するときや、お経やお題目をお唱えするときに手に掛けてお祈りします。

 数珠の功徳
 お経には、「菩提樹の実百八個を糸に通して、行住坐臥身につけて、心を込めて三宝(仏・法・僧)の名をと唱えれば、心の迷いを消すことができる。」と数珠の功徳が説かれています。行住坐臥とは言わなくとも、お寺参りやお仏壇に向かう時には手にしたいものです。

 数珠の扱い方
 日蓮宗では古来、お数珠の玉一つひとつを仏様や菩薩に当てていますので、大切に取り扱いましょう。 
 数珠の形は、宗派によって違います。日蓮宗の数珠は、百八顆の左図のような形のものを用います。手を合わせるときには、数珠を手に掛けたいものです。

 日蓮宗では、お題目を唱えるときとご回向の時は、房が3本付いている方を左手、2本の方を右手のそれぞれ中指に掛けます。(左図参照)
 


普通に合掌するときは、数珠を二輪にして左手の四指に掛けます。(右図)
 
通常は二輪にして左手首に掛けておきます。

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のし袋には何て書くの? 仏事の作法 (2)
 葬儀や法事でお寺へお金を包む時、のし袋には何て書いたらよいのか。こういうご相談をよく受けます。今回はこのことについてお話ししようと思います。
   ▽
 謝礼?それとも報酬?
 本来、葬儀や法事の時お寺にお金を包むのは、お寺にたいするお礼ではありませんし、お経をあげたことにたいする報酬でもありません。
 それでは何かと申しますと、それは「布施」です。
   ▽
 「布施」の心
 布施とは、本来は、仏教徒が一般社会に対して何かを奉仕させていただくというところから生まれたものです。これをあげる代わりに何かを期待するというものではありません。一切の代償を求めないのが布施の心です。
  ▽
 のし袋には「お布施」と
 寺への布施も、読経回向への対価ではありません。(従って、「お経料」という書き方は適当ではありません。)仏様の教えを他に伝え広める仕事のお手伝いをするために、自分の出来る範囲での金品を用立てていただく、というのが寺への布施の本来の心です。
そのような意味を込めて、「お布施」と書くのが正しい書き方といえます。
「御経料」は間違い。

   ▽
 「御霊前」?「御仏前」?
 ついでに、ご近所に持って行くとき迷うものについて。
 「御霊前」は四九日忌まで、「ご仏前」はそれより後の仏事にと使い分けるのが普通です。


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お線香は何本立てる? 仏事の作法 (1)
 「お寺を知ろう」のシリーズが三ページに移りましたので、今号から新しいコーナーを作りました。日頃から質問されることの多いことがらを取り上げて行こうと思います。

 〇「香を焚く」意味
 香を焚くことには、邪気を払い、体や心の汚れを除き、清浄になる功徳があり、経典の中では焼香や塗香を仏様をご供養する大切なものの一つに挙げています。また、お香は仏様の食べ物とも言われます。従って、仏教が日本に伝わった時からお香を焚く習慣も伝わりました。

 〇心を込めて三宝へ
 ところで、お線香を上げるようになったのは江戸時代からです。ですから仏典に何本にしなさいと書いてあるわけではありません。大切なことは心を込めて上げると言うことです。

 私が先代から教えていただいたのは、仏・宝・僧の三宝へ、それぞれお上げするつもりで三本上げると言うことです。但し、行事や法事のように大勢の人が一度に上げるときは、一本を心を込めて上げるようにします。

 〇お焼香の時
 お焼香の場合も同じ考えです。法事の時の作法を順を追って記しておきましょう。
 @ 導師に一礼する。
 A お焼香をする。(お香を取る→額の近くまで持ち上げる→静かに炭の上に置く)
 B 合掌して拝む。
 C 導師に一礼して着席。
Aのお焼香の回数は、お線香の時と同じです。

 〇息は吹きかけないで
 ところで、お線香の火を息を吹きかけて消す人を見かけますが、それはやめましょう。人間の息は不浄なものとされていますから、ローソクやマッチの火を消すときにも吹きかけたりしません。手で扇ぐようにするか、手に持ったまま手前にスッと引くようにすると消えます。(庫裏)     
  

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