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信行会講義(1)

法華経 法華七喩 差定・その他

「妙法蓮華経」成立の経緯 (1)三車火宅の喩 勤行「差定」
法華経について (2)長者窮子の喩 『開経偈」について

便
方便品第二(1) (3)三草二木の喩 「開経偈」(2)
方便品第二(2) (4)化城宝処の喩 宝塔偈




自我偈について (5)衣裏繋珠の喩 奉請
自我偈(2) (6)髻中明珠の喩 運想
自我偈(3) (7)良医治子の喩 欲令衆(その1)
自我偈(4) (*)高原鑿水の喩・王膳の喩 欲令衆(その2)
自我偈(5) 欲令衆(その3)
自我偈の訓訳・構成 四弘誓願




観音経(1)
観音経(2)
観音経(3)
観音経(4)
観音経(5)
観音経(6)




平成11年1月12日(火) 実台寺信行会(第一回)資料
勤行「差定」
 差 定

始 道場偈(*)  我此道場如帝珠 十方三宝影現中 我身影現三宝前 頭面攝足帰命礼
次  勧 請(*)       謹んで勧請し奉る。南無・・・来到道場知見照覧。
次  開経偈        無上甚深(*)微妙法 百千万劫難遭遇 ・・・
次  読 経    (当分の間、方便品と壽量品−自我偈を読誦します。)
                  妙法蓮華経方便品第二(*) 爾時世尊。従三昧・・・
                  妙法蓮華経如来壽量品第十六(*) 自我得仏来。・・
次  祖 訓        日蓮聖人御妙判は、○○○○に示して曰く、(*) 
次  唱題・焼香
次  宝塔偈(閉経偈)   此経難持(*) 若暫持者 我即歓喜・・
 回 向(*)   上来謹み敬って、読誦し奉る大乗妙法蓮華経唱え奉る御 題目等鳩る処の
               功徳を以っては、○○位に回向す。仰ぎ願わくは・・・・・・・・・。南無妙法蓮華経。
次  四 誓(*)    衆生無辺誓願度 煩悩無数誓願断   法門無尽誓願知 仏道無上誓願成
結  奉 送(*)    唯願諸聖衆 決定証知我 各到随所安 後復垂哀赴。

  【注】(*)は、導師が勤めます。


 「差 定」の解説 

差 定   「法要の次第」のこと。(字句の意味は、人を選んで各々役配すること)

道場偈  法要を行うことのの基本は、心身をしずめ釈尊のお悟りの世界に近づくこと です。そのために、
            道場を清浄にし、お釈迦様の影現(ご出現)を念じ、三宝 (仏法僧)の来臨を願うのです。
        *道場とは、菩提道場とも言い、釈尊が悟りを開かれた場所のこと。 仏道を志す人がいれば、
            お釈迦様は必ずそこに影現され、そこは悟りの道場となる。
        *「偈」とは、詩型(リズムを持つもの)のこと。


勧 請    み仏や神様にお出でいただくことを心からお願いすることです。
        *勧請してお出でいただく諸尊とは、主に以下の通り。

     仏部−−お釈迦様とその変化の働きを表わす「十方分身三世の諸仏」等。
     菩薩部−法華経を末法の世に弘める役目の「地湧の菩薩」、人々の苦しみ を救 い、
            仏道に導くために修行されている「観世音」・「薬王」等 の菩薩達。
     弟子部−舎利弗尊者・目連尊者など、釈尊の優れた直弟子たち。
     諸天部−四天王・鬼子母神等、仏道を歩む人々を守護する誓いを立てた諸天善神

開経偈  法華経を読誦するときに必ず唱えます。

  お経を唱えようとするときは、身を整え心をしずめて、これから唱える法華 経にはなかなか
  出会い難いことを思い、一心に唱えようとする気持ちを昂め るようにします。

読 経  法華経の肝要な諸品を読誦します。方便品、壽量品−自我偈(詳細は、後日。)

祖 訓  御書、御遺文、御妙判(妙法の意義をお示し下さった教え)、とも呼ばれます。
       お勤めの際には、適宜選んで拝読し信仰の増進を計るようにしたいものです。

唱 題 南無妙法蓮華経と心からお唱えします。

     *「南無」とは、「帰依・帰命=心からおまかせする」意。
        従って、「南無妙法蓮華経」 とは、法華経に説かれている真理=お釈迦様の教え
        にすべてをお任せします、という意味。

宝塔偈   読経・唱題の後にお唱えします。(「此経難持」・「難持偈」とも呼ばれる)

     *法華経「見宝塔品第十一」に出てくる偈であるのでこう呼ばれる。
        末法における法華経流布の難しさを説く。

回 向  自己の修めた善根・功徳を他の人々のためにも振り向けて、共に仏陀のお悟 りに至れます
       ようにと願います。

四 誓
  仏陀のすべての衆生を救おうという願いとその誓いです。

   私たちも、「四誓」を唱えて、仏陀の大いなる慈悲と救済を確かめ、少しでも 仏陀のお悟りに
   近づきたいとの願いを込めて唱えます。


奉 送   勧請した諸聖をお送りし、またの来臨を願うものです。

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平成11年6月12日(土) 実台寺信行会(第六回)資料
「開経偈」について −その1−

「解説」

◎お経を読誦する前に唱える偈文で、その心構えを述べる。

◎各宗通用の文は、「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義」で、真読する。
  作者は、諸説がある。(盧山の慧遠、大洪の守遂、恵心僧都源信など)。

◎本宗では、最後の「真実義」を「第一義」と改め、これに「至極大乗 不可思議」以下の文を続けて、
  最勝の経典である法華経によって救いを得る趣旨を明らかにする。

  これは、優陀那日輝(1800〜59、近代日蓮宗学の大成者)によって最終的に現在の型に整えられたと
  言われる。
  訓読で唱え、実際に経巻を頂戴する(「至極大乗」から目の位置に掲げる)ところに、本宗の特徴がある。



◎ 開 経 偈 訳 


(無上甚深微妙の法は百千万劫にも遭いたてまつること難し。)

     この上なく深遠で、優れている仏法には、想像も出来ないほどの長い時間を経ても
     巡り合うことが難しい。


(我今見聞し受持する事を得たり。)

     ところが私は今、そのような仏法に出会い、目でも見、耳にも聞いて自分のものとする
     ことが出来た。


(願わくは如来の第一義を解せん。)

     どうにかして、この釈尊の最第一の教えを理解したい。


(至極の大乗思議すべからず。)、

     最高に優れた大乗の教えは、我々の思慮では容易に計ることは出来ないけれど


(見聞触知、皆菩提に近づく。)

     見たり、聴いたり、触れたり、考えたり、様々な方法によって努力すれば、覚りに近づくことが
     出来るのである。


(能詮は報身。所詮は法身。色相の文字は。即ち是れ応身なり。)

     大乗の教えを詮らかになさるのは、覚りを開かれた釈尊であり、詮らかにされるのは釈尊の悟
     られた真理・妙法である。そして、文字の形を持った経典は今、我々にとって真の仏である。


(無量の功徳、皆是の経に集れり。)

     釈尊の全ての功徳はこの法華経に収まっている。


(是の故に自在に、冥に薫じ密に益す。)

     だから何の障りもなく、知らず知らずに功徳が身につき、ひそかに利益を与えることが出来る
     のである。


(有智無智、罪を滅し善を生ず。)

     智慧を得た人も、まだ至らない人も、罪を消滅して善根の種を生じる。


(若は信若は謗、共に仏道を成ず。)

     また信じる者はもちろん、誹謗する人もそれを結縁として仏道を歩み仏となるのである。


(三世の諸仏、甚深の妙典なり。生生世世、値遇し頂戴せん。 )
     この法華経は、過去・現在・未来の諸々の御仏の甚だ深い境地の示されている優れた経典
     なのである。幾度生まれ変わってもこのありがたい法華経を求め、押し戴いて信奉しよう。


◎語釈など

  ○偈
  ○無上甚深微妙の法  「無上の法」「甚深の法」「微妙の法」
     ※比較−−「無明」
  ○法  「法」とは、「もの」のこと。もののあり方は天地の道理に従ってある。
    ものの本当のあり方は、教えになる本源である。
  ○劫                 *「磐石劫」「芥子劫」のたとえ
     阿僧祇劫  塵点劫  億劫
  ○遭い奉ること難し
  ○受持
    ※参考「五種法師」−−受持・読・誦・解説・書写
  ○如来
  ○第一義


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平成11年7月12日(月) 実台寺信行会(第七回)資料
「開経偈」について(第2回・語句解説)

「語句解説」

○大乗−−−あらゆる衆生を乗せて悟りに導く大きな乗物(教え)
  *仏道修行者−−−@声聞     A縁覚(独覚)−−−−自利行
            B菩薩−−−−慈悲利他行
  *大乗仏教(大衆部仏教・北伝)    小乗仏教(上座部仏教・南伝)
○不可思議(思議すべからず)        *菩薩(菩提薩タの略)悟りを求める人
○菩提−−−一切の迷いから解放された迷いのない状態。
○能詮              ○所詮
○三身(さんじん)−−仏陀の三つの身体。
 @法身−−−真理(法)の身体
 A応身−−−様々な衆生の救済のために、それらに応じて現われる身体。
 B報身−−−過去世における万行の善根功徳(因)の「報い」として出現した仏の身体。
○色−−−形があって、目で見ることが出来るもの。  ○相−−−
○功徳−−−善根を積むことによりその人に備わった徳性。
         *回向−−−自ら積んだ功徳を他の人へ振り向ける(大乗仏教)
○冥に薫じ−−−(薫…善人に親しんで良い感化に染まる)
○有智無智(うちむち)−−智慧の有る人と智慧の無い人 
 *「有学無学」は、普通と逆になるので注意。
○謗−−−そしる。  *謗法(ほうぼう)
○三世−−−過去・現在・未来   前世・現世・来世
○値遇−−−出会う。前世の因縁によって、現世で巡り会う。


「まとめ」

第1段(無上甚深…菩提に近づく) 奇跡的に巡り会えた深遠な仏法だが、努力すれば理解 できよう。
第2段(能詮は報身…仏道を成ぜん) この教えには釈尊のすべての功徳が込められているの で、自然に感化され誰もが悟りに至ることが出来る。
第3段(三世の諸仏…頂戴せん) 優れた経典なので、いつまでも信奉しよう。

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平成12年8月12日(土) 実台寺信行会(第十七回)資料
「宝塔偈」

妙法蓮華経「見宝塔品第十一」の偈なので、宝塔偈という。
   「此経難持」、「難持偈」とも呼ばれる。

   趣意は、「法華経を末世において信じ弘めることは難しい、その法華経を信じ行なえば、
   み仏は大いに歓喜することに思いを致しなさい。」ということ。


※「見宝塔品」について
  @ 「二仏並座」

七宝の塔が大地より涌出、空中に止まる。塔の中に多宝如来。→「爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく 善哉善哉、釈迦牟尼世尊、(中略)所説の如きは皆是れ真実なり。」 →半座を分けて「釈迦牟尼仏、この座に就き給うべし。」→二仏並座


  A 「二処三会」

法華経が説かれた場所と回数。二個所で三回の説法が行なわれたこと。
霊鷲山(現実・智慧の教え)→虚空(理想・慈悲の教え)→霊鷲山(現実・行の実践)


 
【本文購読】

(一)此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然

    此の経は持ち難し 若し暫くも持つ者は 我即ち歓喜す 諸仏も亦然なり

この法華経に説かれたことを、本当に信じ持ち続けて実行することは容易なことではない。だから、もし少しの間でも信じ行なうものがあるならば、私(釈迦牟尼仏)はその時非常に喜ぶであろう。これは私ばかりでなく十方のあらゆる御仏も同様に喜ばれるであろう。 

(二)如是之人 諸仏所歎 是則勇猛 是則精進

   是の如きの人は 諸仏の歎めたもう所なり 是れ則ち勇猛なり 是れ則ち精進なり

このように法華経を信じ行なう人を、もろもろの御仏はほめたたえるのである。(自分を忘れて、すべての人を救うという実践)これがほんとうの勇猛である。またその目的のためだけにまっすぐ進む、これが本当の精進である。


   ○勇猛(ゆうみょう・ゆみょう)…熱心な努力と強い意志の力。
   ○勇猛精進…強い意志と努力をもって修行に励むこと。


是名持戒 行頭陀者 則為疾得 無上仏道

   是れを戒を持ち 頭陀を行ずる者と名く 則ち為れ疾く 無上の仏道を得たり

このように人のために尽くす人こそ、ほんとうに仏の戒を持つ人といえるのであり、またすべての物質的欲望を打ち払ってなくする頭陀を行ずる人ということが出来るのである。だからこのような人は、それを続けることによって無上の仏道が得られるのである


○戒…心身の過ちを防止するためのいましめ。
 ※五戒(不殺生、不偸盗、不邪淫、不妄語、不飲酒)
○頭陀(ずだ)…原義は、ふるい落とす意。煩悩の塵垢をふるい落とし、衣食住についての貪り・欲望を払い捨てて清浄に仏道修行に励むこと。 ※十二頭陀行
○疾…直接に。他の道を通らずに、この道一本をまっすぐに行きさえすれば。
   (速い、ではない。)

(三)能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地

   能く来世に於て 此の経を読み持たんは  是れ真の仏子 淳善の地に住するなり

末法の世において、この法華経を読んで信じ持つ人は、これは本当に仏様の弟子であって、ほんとうに優れた善い境界に安住できる人である。


   ○淳善地…まじりない生粋の、ほんとうに優れた境地。
   ○住…一時的な気持ちではなく、その心を持ち続ける。

仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼

   仏の滅度の後に 能く其の義を解せんは  是れ諸の天人 世間の眼なり。


仏様が滅度された後、仏様の説いた教えの本当の意味を理解しこれを世間に伝える人があれば、これはもろもろの天上界・人間界のすべてのものの眼である。


   ○眼(まなこ)…眼でものを見るように、そういう人によって真実の道がわかる。

於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養

   恐畏の世に於て 能く須臾も説かんは  一切の天人 皆供養すべし

末法の世になると、恐ろしい世の中になるが、そこでほんの短い間でもこの法華経の教えを説くならば、すべての天人は皆感激して、その人を尊敬礼拝するであろう。


  ○恐畏の世…「恐」も「畏」も、おそろしい。仏様が滅して長年を経た
  ○須臾…ほんの少しの間
  ○天人…@天に住んでいる神々。A神々と人間。(=人天)
  ○供養…(仏・法・僧の三宝、故人などに)敬意をもって物などを捧げること。


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平成14年2月12日(火) 実台寺信行会(第三十回)資料
奉  請

   奉請(ぶじょう)      請(こ)い奉る
  うやうやしく仏・菩薩・諸神に(ご来臨を)お願い申し上げること。
唯願法界海  諸仏諸賢聖  哀愍垂降臨  荘厳此道場
唯願い奉る。法界海の諸仏諸賢聖、哀愍し降臨を垂れ、此の道場を荘厳し給わんことを。
どうかお願い申し上げます。この世界の大勢の仏さま、賢人や聖人の皆さま、私達をあわれんでご来臨下さり、この道場を荘厳なさって下さいますように。
○法界海…ここでは、現実の世界全体。
       法界(ほっかい)は、真理と同義。 真理の現れとしての現実世界ということ。
○哀愍…あわれむ。かわいそうに思う。=哀憫・哀憐
○垂降臨…神が天から地上におりてくる。身分の高い人がその場所に来る。
        〔垂〕は、上の者から下の者へ与える。「垂訓」「垂示」
○荘厳… 仏堂・仏像・仏具などを飾ること。( けだかくおごそかに整える。)
唯願我等輩  身心倶清浄 三業福智修  成就如来事
唯願い奉る。我等輩、身心倶に清浄にして、三業福智修まり、如来の事を成就せんことを。
どうかお願い申し上げます。私達みんなが身心ともに清らかで、行ないと表現と考えの三業と福徳と智慧とが正しく整い、仏様のお悟りの世界に至れますように。
○三業…のちの報いのもとになる、身業(からだであらわす行為)・口業(ことばによる行為)・
      意業(心による認識判断の行為)の総称。身・口・意の三業という。
   *業…むくいを生じるもととなる善悪すべての行い。業障(悪いむくいを生じるもと)
   *報…行為に伴う結果が後に残す現象。
   【因果応報】過去における善悪の業に応じて現在における幸不幸の果報を生じ、
          現在 の業に応じて未来の果報を生ずること。
○福徳…善行によって得られる幸福と利益。
○智慧…六波羅蜜の一。現象の本質としての原理を理解する心の働き。
○修…言動がととのい正しくなる。
○如来の事…仏の目指す覚りの世界に至ること。
唯願衆功徳  回向悉周  此界及十方  利益不唐捐      
唯願い奉る。衆の功徳、回向し、悉く周く此界及び十方に◆し、 利益の唐しく捐かれざることを。
どうかお願い申し上げます。 もろもろの功徳が他に振り向けられ、すべて広く、この世界及びあらゆる所にゆきわたらせ、利益が空しく無くなることのありませんように。
○功徳…仏道をおさめ慈善を積んで得た功績。現在、または未来に幸福をもたらすよい行    い。
○回向=廻向…自分の功徳を他に回し向ける意。
      読経・布施などを行って、死者の死後の安穏をもたらすよう祈ること。
○あまねく…すべてにわたって、広く。
○◆…あまねくする。広くゆきわたらせる。
○利益(りやく)…仏の教えに従うことによって得られる恵み(幸福と利益)。御利益。
○唐…広いこと。むなしいこと。   *大言。でたらめ。にわか。「荒唐・唐突」
○捐…まるくくりぬいてすてさること。 不要な部分をすてる。 すてる。のぞく。
      (注) 上記のには、 が入ります。
まとめ
 第一句 仏・菩薩等の来臨を願う。
 第二句 私達個々の救済を願う。
 第三句 救いが全世界に行きわたることを願う。

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平成14年3月12日(火) 実台寺信行会(第三十一回)資料
運  想
運 想 (想いを運す)  お題目の想いにひたる
作者…優陀那院日輝上人(1800‐59)。 江戸時代末期の学僧。金沢に「充洽園」という塾を興 して、
     近代日蓮宗の教学を確立し、廃仏毀釈の危機を乗り切り日蓮教団を再興するの に貢献した
内容・目的…お題目や法華経を読む功徳について述べる。唱題することは、法華経に想いを めぐらし、
        釈尊のお心をいただくことであるが、とかくすると単調な繰り返しになり やすい。そこで、
        この運想の文をあらかじめ唱えて、お題目に心を集中させることが 肝要である。
解説(渡辺宝陽編「お経 日蓮宗」より抜粋)

「南無妙法蓮華経」は釈尊の究極の教えであるが、また同時に、過去仏・現在仏・未来仏のすべての仏陀のお悟りの境地をあらわすものである。その上に、大地より出現した<地涌の菩薩>の代表である上行菩薩が、釈尊から特別の使命を受けて、末世の衆生を導く教えである。昔、中国の天台大師は仏典を学んで、ひとりひとりの一瞬の心に三千の法界をそなえていることを確めて、自己の一念に備わる三千の法界を観察する修行(一念三千の観法)を体系化し、それをふみ行なったが、今日蓮聖人は、根本の教えを信じ行なうことによって 「一念三千」の観心がたちまちに完成するとお示しになるのである。
唱え奉る妙法は、是れ三世諸仏所証の境界、上行薩藉霊山別付の真浄大法なり。
(漢文)奉唱妙法。是三世諸仏。所証境界。上行薩藉。霊山別付真浄大法也。
 お唱えする南無妙法蓮華経のお題目は、過去・現在・未来の三世にわたるすべての仏陀が悟りに到達された境地をあらわすものであり、それを、本師釈尊が、直弟子である上行菩薩に命じて末法の世でこの教えを弘めるよう特別に委嘱された、まことに清らかにして大いなる仏法なのである
○三世諸仏…過去・現在・未来の三世にわたる一切の諸仏。
○所 証 …さとり。さとったところ。「証」は、さとる。「証果」。
○境 界 …果報として各自が受ける境遇。境地。
○上行薩藉…上行菩薩。「薩藉」は、菩提薩藉の略。菩薩。
上行菩薩とは、釈尊が法華経を説いたとき大地より涌出し、この経を受持・読誦など して弘めることを付嘱された四菩薩の最上位の菩薩。日蓮はこの菩薩の後身と自覚し て法華経を弘めた。
○霊 山 …インドの霊鷲山。釈尊が法華経を説いた山で最も尊く秀れた所。仏国土、浄土。
仏は、ここで上行等の四大菩薩に末法の世で法華経を弘めるよう付嘱した。
○別 付 …別付嘱。「付嘱」とは、仏が教えを弘めるよう託すこと。
「別付嘱」とは、「如来神力品」において、仏が「特別に本化の菩薩に対して」、 「特別に妙法蓮華経の五字を」付嘱したこと。
○真浄大法…まことの大なる法。真に清らかな大法。
一度も南無妙法蓮華経と唱え奉れば、則ち事の一念三千正観成就し、常寂光土現前し、無作三身の覚体顕われ、我等行者一切衆生と同じく、法性の土に居して自受法楽せん
(漢文)一奉唱南無妙法蓮華経。即事一念三千。正観成就。常寂光土現前。無作三身覚体顕。我等行者与一切衆生。同居法性土。自受法楽。
 だから、「南無妙法蓮華経」とお題目を一度でも唱えたてまつるならば、たちまちに釈尊の救いの〈事の一念三千〉の教えを正しく理解し体得することができるし、また、その眼の前に仏陀の浄土を確かめることができ、常住不滅の悟りの境地におられる三身具足の仏陀の姿があらわれる。(そして、仏陀の久遠のお悟りの本体が明らかになる。)わたしたち法華経の教えを一心に行ずる者は、すべての衆生と一体となり、仏法の真理に包まれた世界にあって、自ら悟った大いなる真理を味わい楽しむ境地を得るであろう。
○一念三千…人の日常心(一念)に、宇宙存在のすべてのあり方(三千)が含まれるとする教え。
○正 観 …正しく見ること。正しい智慧によって見ること。「成就」なしとげる
○常寂光土…法身仏のいる浄土。生滅変化を超えた永遠の浄土。寂光浄土。
○無作三身…常住不滅の三身具足の仏。
「無作」…因縁の世界を超越した悟りの境地。常住不変。
「三身」…法身・報身・応身の三種の仏身。
○覚 体 …覚りの本体。仏。
○行 者 …仏道を修行する人。修行者。持者。
○法 性 …一切存在の真実の本性。真如・実相・法界などと同義に用いられる。
○自受法楽…仏が、その覚った境界をみずから楽しむこと。
此の法音を運らして法界に充満し、三宝に供養し、普く衆生に施し、大乗一実の境界に入らしめ、仏土を厳浄し、衆生を利益せん.
(漢文)運此法音。充満法界。供養三宝。普施衆生。令入大乗一実境界。厳浄仏土。利益無尽。
   ※漢文の「利益無尽」の部分は、現在は「衆生を利益せん」と読んでいる。
 この「南無妙法蓮華経」の唱題の声を周りに響かせて国土全体に満ちあふれさせ、仏宝僧の三宝に供養を捧げ、あまねく衆生にその功徳を施して、仏陀釈尊の大いなる教えの境地に導き、さらには仏国土 (仏陀の浄土)を厳かに清め、衆生に教えの救いをもたらせよう。
○法 音 …説法または読経の声。
○法 界 …思考の対象となる万物。真理のあらわれとしての全世界。
○三 宝 …衆生が帰依すべき三つの宝。仏・法(仏の説いた教え)・僧(仏に従う教団)の称。
○大乗一実…(大きな乗物の意) 大乗仏教のこと。
○一 実 …唯一真実の意。一乗の教えのこと。
○仏 土 …仏の住む国土。浄土。また、仏が教化する国土。
○厳 浄 …おごそかで汚れのないこと。荘厳で清浄なこと。
○利 益 …法力によって恩恵を与えること。神仏の力によって授かる利福。利生。

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平成14年4月12日(金) 実台寺信行会(第三十二回)資料
欲令衆(その1)
欲令衆(その1)

題名…経文が、「欲令衆生。開仏知見。…」で始まるので、その始めの3文字をとって名付けたもの。

出典…法華経の中の、「方便品第二」「比喩品第三」「法師品第十」「見宝塔品第十一」の四品の中より部分を抜粋して編集したもの。
    法華経要品の方便品第二の最後に付け加えられる。
    日蓮聖人が創案され、お弟子の日像上人に伝えられたといわれる。

内容…法華経の迹門の中から要文を抜粋し、迹門の内容の要点を述べたもの。
    迹門の主題の一つは「二乗作仏」といって、「低い悟りに固執してしまって心を閉ざしている声聞乗・縁覚乗でも、法華経の平等の
    教えによって心を開けば、必ず釈尊と同様な、高い悟りの境地に入ることができるということ」で、「欲令衆」は、要文を要領よく編集
    して、その意味を徹底させているのである。

第一段(「方便品第二」より)

(諸仏世尊は、)衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。
もろもろの仏は衆生に仏の悟りの智恵に目を開かせ、清らかな心を得させようと願ってこの世にお出ましになられた。
○世尊…(福徳ある者、聖なる者の意) 仏の尊称。特に、釈迦牟尼の尊称。
○知見…物事を悟り知る智慧。
○「AをしてBせしむ」(語法)…「AにBさせる」と訳す。
衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。
欲示衆生。仏知見故。出現於世
また、(もろもろの仏は)衆生に仏の悟りの智恵を示し、衆生がその智恵によって物事を判断できるようにと願って、この世にお出ましになられた。
衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。
欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。
また、(もろもろの仏は)衆生に仏の悟りの智恵を自ら体験させ身にしみて悟らせることを願って、この世にお出ましになられた。
衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。
欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。
また、(もろもろの仏は)衆生に仏の悟りの智恵を成就する道へ導き入れることを願って、この世にお出ましになられた。
舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。
舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。
舎利弗よ。このように衆生に、仏の悟りの智恵に目を「開かせ」、智恵を「示し」、体験で「悟らせ」、智恵の道に導き「入れ」るという
衆生救済の大目的のために、(もろもろの仏は)この世にお出ましになられたのである。
○舎利弗…シャーリプトラ。釈尊十大弟子の一。十六羅漢の一。智慧第一と称せられた。
○一大事因縁…仏がこの世に出現する最も大事な理由。
          一切衆生を救済するという大目的。
  因縁…@物事の生ずる原因。因は直接的原因、縁は間接的条件。
      Aしかるべき理由。「一大事―」
「開・示・悟・入」の四仏知見…最高の理想の(仏の)境地に達する順序。
開仏知見…《すべての人間には平等に仏性がある。あなたにも仏と同じ性質があるのだ。》という事実に目を開かせる(気付かせる)。
示仏知見…《仏の智恵で見ると世の中はこう見える》ということを示してやる。
悟仏知見…《自分での努力し体験する》ことによって悟らせる。
入仏知見…《絶えず実践する》ことで仏の知見の道に入らせる。

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平成14年5月12日(日) 実台寺信行会(第三十三回)資料
欲令衆(その2)
 
   欲令衆(その2)

          第二段(「比喩品第三」より)

三界は安きことなし 猶お火宅の如し 衆苦充満して 甚だ怖畏すべし 常に生老 病死の憂患あり 是の如き等の火 熾然として息まず 
三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏 常有生老 病死憂患 如是等火 熾然不息
私たちの住むこの世界は、少しも安らかなところがない。それは、丁度、火のついた家のようなものである。そこにはさまざまな苦しみが満ち溢れ、大変恐ろしい限りである。いつも生きる上での種々の苦しみ・老いる苦しみ・病む苦しみ・死の苦しみなどの心配やわずらいごとがあり、それらが火のように燃え盛っておさまることがない。
○三界…一切衆生の生死輪廻する三種の世界、すなわち欲界・色界・無色界。
                衆生が活動する全世界を指す。「子は―の首枷」
○火宅… 現世。娑婆。( 煩悩が盛んで不安なことを火災にかかった家宅にたとえていう。)
○四苦八苦…生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合せたもの。
                       人生の苦の総称。
○熾然…目だってさかんにもえること。物事の勢いなどが非常に盛んなこと。
如来は已に 三界の火宅を離れて 寂然として閑居し 林野に安処せり 
如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野
それに対し、仏である私はずっと前から(悟りを開き)苦しみ・悩みの多い境地を離れて、世の中のことに煩わされずに静かな境地にある。喧騒を離れた林野の中に安住するような心静かな状態である。
○寂然…ひっそりと静かなさま。周りに影響されす、心静かな状態。
○閑居…世の中のわずらわしさから離れて暮らす。
○林野に安処せり…悟った人の心静かな状態。
          *以上は、現実から逃避して生活していると言うことではなく、現実の煩わしさの中にあってもそ れに囚われずに心静かにいられる、ということである。

今此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり 而も今此の処は 諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為す
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護
今、この世界はみな、仏である私のものである。従って、その中に住む衆生はすべて私の子どもである。そして、今この世界にはさまざまな悩み・苦しみがたくさんある。私一人だけが、それらの悩み・苦しみから人々を救うことが出来るのである。
○患難…悩み、苦しむこと。精神的な苦労。
○能く…出来る
○救護…救い護る。仏・菩薩の働きを表わす言葉として、最もふさわしい。

*「主師親の三徳」=(仏様の徳)

今此三界 皆是我有 …主徳(一切の衆生を守護してくださる)
其中衆生 悉是吾子 …親徳(一切の衆生を慈愛してくださる)
唯我一人 能為救護 …師徳(一切の衆生を教え導いてくださる)

主従・親子・師弟の関係。
仏様に対して、我々は従者であり、子どもであり、弟子である、ということ。

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平成14年6月12日(水) 実台寺信行会(第三十三回)資料
欲令衆(その3)
   欲令衆(その3)
  
  第三段(「法師品第十」より)

我化の四衆 比丘比丘尼 及び清信士女を遣わして 法師を供養せしめ 諸の衆生を引導して 之を集めて法を聴かしめん 
我遣化四衆 比丘比丘尼 及清信士女 供養於法師 引導諸衆生 集之令聴法
私は、教化してきた四衆、すなわち、僧と尼僧と清らかに信仰している男女の信徒とをつかわして、仏の教えを説く者に供養させ、多くの衆生を導き、集めて、仏の教えを聞かせよう。
○化の…@教化した。     A(自分の)化身の。
○四衆…仏門の四種の弟子。出家の比丘・比丘尼と在家の優婆塞・優婆夷の総称。四部衆。
○比丘…(梵語で食を乞う者の意) 。仏門に帰依して戒を受けた男子。修行僧。乞士。
○比丘尼…尼僧。
○清信士女…清信士と清信女。(優婆塞と優婆夷のこと)
○法師…仏法によく通じてその教法の師となる者。人のために仏法を説く人は皆法師である。僧。
○供養…仏に対する感謝の心を表わす行ない。三宝(仏法僧)または死者の霊に供物を捧げること。
若し人悪刀杖及び瓦石を加えんと欲せば 則ち変化の人を遣わして 之が為に衛護と作さん
若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護
もし人が、悪い心をおこして刀や棒を振るったり、瓦や石を投げつけて危害を加えようとしたならば、すぐさま人のすがたに身を変えた仏の使いをつかわして、仏の教えを説く者のために護衛の役を果たさせるであろう。
○則ち…すぐさま。
○変化の人…神や仏が仮に人の姿となって現れること。

  第四段(「見宝塔品第十一」より)

爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく 善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。
爾時宝塔中。出大音声。歎言。善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。
このように仏が説かれたとき、宝塔の中から大音声を響かせて、(多宝如来が)ほめたたえておっしゃった。
「すばらしい、すばらしい。釈迦牟尼世尊よ。あなたは、平等で大きな智慧をそなえた教えであり、すべての人に菩薩の道を示す教えであり、仏が久遠にわたって護り念じてこられた教えでもある妙法蓮華経を広くあらゆる人びとに説かれた。
○善哉…善いと感じてほめ、または喜び祝う語。よいかな。
○平等大慧…本師釈尊の衆生を平等に救う大智慧。 一乗妙法蓮華経。
○教菩薩法…菩薩を教化するために説かれた教え。 一乗妙法蓮華経。
○仏所護念…本師釈尊が護り念じてこられた教え。 一乗妙法蓮華経。
○妙法華経…泥の中に咲く蓮花のような、強く清らかな生き方を示す教え。
是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊 所説の如きは皆是れ真実なり。
如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実。
そのとおり、そのとおり。釈迦牟尼世尊よ。あなたが説かれた教えは、すべてみな、真実なのである。」と。

 要約
@衆生に仏の知見を開かせ、示し、悟らせ、そのような道に入らせることを目的として、諸仏はこの世に出現された。
Aこの世界はすべて苦で充満しているが、悟りの境地を得た釈尊のみがそこから衆生を救い出すことが出来る。
B法華経を説き広める人は、必ず、諸仏の助けを得られ、また、守護される。
C妙法蓮華経の教えは、紛れもなく真実の教えであることを多宝如来が証明する。

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平成13年3月12日(月) 実台寺信行会(第二十一回)資料
四弘誓願〔四誓〕
四弘誓願〔四誓〕=仏道を極める四つの誓い
仏陀のすべての衆生を救おうという願いとその誓いです。私たちも、「四誓」を唱えて、仏陀の大いなる慈悲と救済を確かめ、少しでも 仏陀のお悟りに近づきたいとの願いを込めて唱えます。
弘…所願の広く大きいこと。 誓…自らの心に堅く誓うこと。 願…修行の満足を求めること。

衆生無辺誓願度 衆生の無辺なるを度わんと誓願せん。
苦悩にあえいでいる限りなく多くの衆生を救おうと誓い願いま す。
煩悩無数誓願断 煩悩の無数なるを断ぜんと誓願せん。
数え尽くせないほど数多くの、人間を悩ます欲望をとどめさせようと誓い願います。(煩悩は無くせない。抑えるべきもの)
法門無尽誓願知 法門の無尽なるを知らんと誓願せん。
修めても尽きることのない仏陀の教えを修得しようと誓い願い ます
仏道無上誓願成 仏道の無上なるを成ぜんと誓願せん。
この上なくすぐれている仏陀の悟りに至る道を成し遂げようと 誓い願います。 
第一句はどの宗旨でも同じです。それは「生命あるものすべてを度おう」というのが大乗仏教に共通した根本の本願だからです。第二句の「断ず」は、『整理・整える』の意味です。
総願…すべての人が共通した目的で立てる願。世界平和の祈り。 「四弘誓願」も総願である。

普回向…「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」(願わくはこの功徳を以って普く一切に及ぼし我等と衆生と皆共に        仏道を成ぜん)
   毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身(「自我偈」の最終部)
     毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと

別願…個人が自分の必要なことを願う。総願につながるものでなければ行けない。

         六波羅蜜  1.布 施 2.持 戒 3.忍 辱 4.精 進 5.禅 定 6.智 慧

         五戒      1.不殺生戒 2.不偸盗戒 3.不邪淫戒 4.不妄語戒 5.不飲酒戒
              「戒」は、規則を守ろうという自発的な心の働き。(「してはいけない」という命令ではない。)
              「誓願」…自分の願い・誓い。「願行」…誓願の実施を仏に誓う。戒も願行。
               懺悔(さんげ)…罪を犯さざるを得なかった弱い自分を反省する。

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平成16年2月12日(木) 実台寺信行会(第四十四回)資料
(1)三車火宅の喩
法華七喩(ほっけしちゆ)

法華経に説かれる七つの喩え。七譬ともいい、次の七つをいう。

(1)三車(さんしゃ)火宅(かたく)の喩(たとえ)(譬喩品第三) 別称(火宅の喩)、
(2)長者(ちょうじゃ)窮子(ぐうじ)の喩(信解品第四)
(3)三草(さんそう)二木(にもく)の喩 (薬草喩品第五) 別称(薬草の喩)、
(4)化城宝処(けじょうほうしょ)の喩 (化城喩品第七)
(5)衣裏(えり)繋珠(けいじゅ)の喩 (五百弟子受記品第八) 別称(貧人繋珠の喩)、
(6)髻中(けちゅう)明珠(みょうしゅ)の喩(安楽行品第十四) 別称(輪王頂珠の喩)、
(7)良医治子(ろういちし)の喩 (如来寿量品第十六) 別称(良医病子の喩)

その他
○ 王膳(おうぜん)の喩  (授記品第六)
○ 高原鑿水(こうげんさくすい)の喩 (法師品第十) 別称〔高原穿鑿(こうげんせんじゃく)の喩〕


迹門の六喩(1)〜(6)
本門の一喩(7)
この七喩で、法華経の二大教義である二乗作仏と久遠実成を説いているといわれる。


(1)三車火宅の喩(譬喩品第三)

【あらすじ】

1.(火宅の状況) ある町に、子福者で高齢の億万長者がいた。彼は広大な邸に住んでいたが、その邸は、すでに古くなって廃屋のように荒れ放題になっている。鳥も巣をつくっているし、蛇なども棲息している。大きな住宅なのに、どうしたわけか出入口はたった一ヵ所しかない。

2.(子供たちの様子) ある日、突然、この邸に火事が起こり、またたく間にあたり一面火の海となる。長者はいち早く戸外に飛び出したが、彼が愛する多くの子どもたちは、火事とも知らずに家の中で遊びふけっている。子どもたちは、自分たちの身に迫る危険に気がつかないから避難する気もない。

3.(子供たちの無知と父の思案) 父の長者は気が気ではない。「危ないから、さあ早く家を出なさい」と外から声を嗄らして叫ぶが、子どもらは父の注意をいっこうに気に留めようとはしない。彼らは「火事とは何か、家が焼けると言うが、家とは何か、焼け死ぬとはどういうことなのか」を、まるで知らない。ただ家の中を走りまわりながら、不思議そうに戸外の父を見つめるだけだ。それほど、子どもらは火事について、まったくの無知であった。

4.(父の方便・三車の約束) 長者の父は、何とかして子どもを助けたいと思い、子どもらがふだんから欲しがっているあれこれの品を思い浮かべて、彼らに呼びかける。
「ほら、お前たちがいつもねだっている羊の曳く車や、鹿の曳く車や、牛の曳く車が門の外に置いてあるから、早く外に出ておいで!」と。長老は老いてはいるが、力ずくで子どもたちを外へ引っ張り出せないこともない。しかし、本人たちが自発的に飛び出すようにさせたいと思っているから、あえてそうしない。羊車も鹿車も牛車も、子どもらが夢に見るまで欲しがっている車である。

5.(子供たちの抗議) 子どもらは、父のこの声を聞くと、手にしていた玩具を放り出し、先を争ってただ一つの出口から外に出た。しかしそこには、父の言う羊車や鹿車や牛車は影も形もない。父は子どもたちの無事な姿を見て安堵の胸を撫で下ろすが、子どもたちは不服である。「お父さんはウソをついた」と激しく父を責めたてる。

6. (大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与える) そこで父は、約束の羊・鹿・牛の曳く車よりも、もっと大きく立派でスピードも早い、白い牛の曳く車を、大勢の子どもに残らず与えたので、子どもたちは満足した。

7.(大白牛車を与える理由) このようなりっぱな大白牛車を与えた理由は何かと言えば、この長者が限りない財産を持って富裕であり、さまざまな多くの倉庫はすべて満ちているからである。
長者は、次のように心に思った。「私の財産は計量することもできないので、下劣な小さな車を子供たちに与えるべきではない。今、これらの幼児はみな私の子供たちであるので、愛するのに偏りはない。私にこのような七宝で飾られた大きな車があって、その数は計量することができない。平等な心でそれぞれに与えなくてはならず、差別しないのがふさわしい。私のこの物を一国にくまなく与えても、(私の財産は)乏しくはならない。まして子供たちにはなおさら与えよう」と。
8.(子供たちの喜び) このとき、子供たちはそれぞれ大きな車に乗って、これまでにないすばらしい気持ちになったが、(これは)もともとの望みを越えたことであった。


【「火宅の喩」解説】

@ 衆生の住する世界は五濁(種々の悪いこと)に満ち安住することが出来ないのを火宅(火災にあってい  る家)に喩える。

A くちはてた家というのは、娑婆世界や人間の心の、危ない、あさましい姿である。

くちはてた家の描写
土塀は崩れ、壁はあちこち崩れ落ち、柱の土台はくさり、梁や棟は傾いて、…。

人間の心のあさましさ
もろもろの奇怪な鳥やけものやわるい虫類が横行し、大小便の臭いが充満し、汚いものが流れ、そのうえで、きつねやおおかみなどが、かみあい、死体をむさぼり食い、餌を争って走りまわっているかと思うと、鳩槃荼鬼という鬼が、犬をいじめて喜んでいる。

このへんのありさまは、まったく末世の人間世界そのままの縮図といえる。

B 生死の迷いの生活に執着している人々を子供らに喩える。

C 父の長者を仏に喩える。

D 火事とは、人生のあらゆる苦しみ、老い、病、死などのこと。
肉体の楽しみや、物質的な満足だけに夢中になっている人間は、そういう苦しみがいつかはおそってくることを、いや、もうそこまできかかっていることを知らないでいる。

E 門はたったひとつしかなく、しかも狭い門であって、そこを抜け出すというのは容易なことではない。すな  わち、救われる道というものは、ただひとつであり、しかも、なまやさしいことでは通れない「狭き門」で   あるという。

F 三車は三乗教に、大白牛車は一仏乗即ち法華経に喩える。
仏は生死の迷いの世界から人々を救うために暫らく方便を設けて、火宅の中に遊ぶ子供らにその望む羊車(声聞乗)・鹿車(縁覚乗)・牛車(菩薩乗)の三車を与えようと告げて門外に誘引し、火宅を出た人々に三乗の区別をせず皆同一の仏乗の教えをもって開示悟入せしめたのである。

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平成16年3月12日(金) 実台寺信行会(第四十五回)資料
(2)長者窮子の喩

(2)長者窮子(ちょうじゃぐうじゃ)の喩(窮子喩)(信解品第四) 悟りの喜び

『長者窮子』…富豪と困窮する子(「窮」は生活が行きづまっている、意)


「信解(しんげ)」は、教法を信じて理解すること。

「信」は、感情の働き(心から信じること)。
「解」は、理性の働き(理屈で分かること)。
「信」と「解」が、両方兼ね備わって信仰は力を持つ。

【いきさつ】

釈尊の教え(「方便品」・「比喩品」)によって、舎利弗に続いて高弟の須菩提ら4人の声聞も、法華経の一乗思想を悟る。そして彼らも成仏できる能力が、生まれながらに自分の身心に具わっていることに感激する。その彼らが、自分たちが悟った内容を比喩をもって釈尊に対して説明したものである。

したがって、この長者窮子の比喩は、釈尊の説法ではない。

【あらすじ】

@〔子の放浪と父の捜索〕 長者(富豪)の父を持ちながら、幼時に父を捨てて放浪の旅をする男子がある。故郷を出てから数十年、彼はいよいよ貧しくなり、どん底の生活を続ける。彼の父もまたわが子を探し求めて旅に出るが、容易にわが子には出会えないまま、父はある町に定住して大きな邸宅に棲む。

A〔父子の出会い・子の逃走〕 たまたま、貧児は父の住む邸の前にそれとは知らずにたたずむ。父は早くもわが子と知り、傍らの使用人に命じて子を招きよせようとするが、子は父とは知らず、その権勢に恐れて逃走する。そこで父は、使用人をして子を捕えさせるが、子は恐れのあまり気絶する。やむなく父は子を解放して、いわゆる泳がせて使用人に看視させる。子は乞食を続けて父の邸にはよりつかない。

B〔父の一策・子の雇用〕 父は策を講じ、子がいじけないように二人の使用人にそまつな服装をさせて子の許に送り、「あの邸で汚物を清掃する雑役がある。他より二倍の給料がもらえる。共に働こう」と誘わせる。子はようやく誘いに乗って、父の邸で汚物清掃の雑役に従事する。彼はまだ父とは気づかない。父が話しかけると、恐れて逃げ出す。

C 〔父の慈悲〕 富豪の父は汚物にまみれて働く子をあわれに思い、子が恐れないように、そまつな衣服に父も着替えて、子の傍らに寄り添い、「お前はつねにここに働いて他へ行くな。賃金も昇給させてやる。欲しいものは何でも与えよう。私はお前の父のようなものだ」とささやく。そして父はさらに言葉を続けて子にいう。「お前は仕事をするとき、欺わるな、怠けるな、うらみ言をいうな。そうするなら、今からお前をわしの実の子のように扱おう」と名をつけて子と呼ぶ。

D〔父子の接近〕 彼はこのように扱われても富豪の実子とはまだ気づかず、客作の賎人(通りがかりのよそから来た賎しい人間)″と思いこんでいる。このようにして二十年、汚物清掃の仕事を続けているので、彼は富豪を父とは知らずに会話する時間も増え、邸の住人とも親しくなったが、本心は少しも変わらず、客作の賎人″である。彼の住居も当初のままのあばら家である。やがて富豪の父は老境になり大病にかかる。富豪は死を予期して、子に語る。「わしの財産管理をお前に一任する。わしの心を体得せよ、わしとお前とは別人ではない。財を失わぬように」と。子はこれ程までに信任されて喜ぶが、客作の賎人″の先入観に変わりはない。財を受けても、「自分にふさわしくない」と全くの他人事のように、貧困の暮らしを続ける。

E〔父子の名乗り・財産贈与〕 しかし父子との間の心が次第に結ばれていくのを知った富豪の父は、臨終に当り、多くの親族・国王・実業家や高位の人を集めて宣言する。「これわが子なり、われを捨て逃走して苦しむこと五十年、その名は某、われ彼を求めて、たまたま会うことを得たり、これ実にわが子なり、われ実にその父なり。今わが所有の一切の財物は、みなこの子の所有なり」と。子は父のこの言を聞き、大いに喜び、「私は少しも求めていないのに、期せずして私の物になった」−と。


【釈尊への比喩の説明】

 「富豪(長者)とは釈尊に在(ま)します。貧児とは私たちです。私たちは日々さまざまの苦しみを受け心が揺れ動くままに、つい次元の低い教えに引かれ誤った信解に入りました。

 しかし、さいわいに釈尊の方便により、正しく現象を見きわめる眼を開かせていただき、心の塵を除きつつあります。私たちはとかくその場限りの安らぎを求めて、永遠のいのち(心)を求めようとはしませんでした。しかるに、かの富豪の父が、わが子の心の貧しさを、さまざまな方便で多くの宝を与えられたように、釈尊は、私たちの劣った信解を知らしめして、私たちの心を調え、大きな智慧を悟らせていただきました。

 私たちは今、予期もしなかった喜びを頂いたことは、かの貧しい子が、待ち設けなかった量りなき宝を授かったと同じであります……。」

(仏性が具わっていながら自分の価値に気づかずに、救われないと悩む無知(卑屈)に気づいた二乗の喜びと、釈尊の丁寧な指導に感謝する気持ちを喩えで説明したもの。)


【喩えの仕方】

富豪の父⇒⇒ 釈尊
貧児⇒⇒ 二乗(四人の声聞)・私たち(実は仏性を有する仏の子でありながらそれに気づかない凡夫)
全財産⇒⇒ 一仏乗法(仏の悟り)

対機説法(相手の能力・素質に応じて説法する)

小さなさとりに満足、→大乗の教えへ  仏の慈悲と方便力


「上座部(小乗)仏教徒の心に深く染みこんだ虚無的な心情を取り除くことがいかに困難であるか」の事実と、「虚無思想を少しずつ剥がしていく釈尊の綿密な教育法」とが伺える。

<「梁塵秘抄」より>

○長者は我子の愛しさに/瓔珞衣を脱ぎ棄てて/
  異しき姿になりてこそ/漸く近づきたまいしか(「梁塵秘抄」77)


(長者はわが子かわいさのあまりに、瓔珞(首や胸などにつける装身具)や美しい衣服を脱ぎ棄てて、貧しい者の着る服装に変えて漸くのことでわが子に近づくことができたのでしょうか。)

○ 窮子の譬ぞあわれなる/親を離れて五十年/
萬の国に誘われて/草の庵に留まれば(「梁塵秘抄」78)


(窮子こそまことにあわれだ、親を離れて五十年間も諸所をさすらい<誘われて>の卑屈な心が直らず、父の財産の管理をする程の身分になっても、なおそまつな住居に起き伏して、貧しい身と思い続けていたのだから。)
(松原泰道著「わたしの法華経」を参照)

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平成16年4月12日  実台寺信行会(第四十五回)資料
(3)三草二木の喩
  
(3)三草(さんそう)二木(にもく)の喩(薬草喩品第五)(薬草の喩・雲雨(うんう)の喩)
 
    三草二木⇒⇒小・中・大の薬草と小・大の樹木。
    七喩の中で、「三草二木の喩」だけが自然界の現象を範にしている。他はすべて創作。

 【いきさつ】
釈尊の教え(「方便品」・「比喩品」)によって、舎利弗に続いて高弟の須菩提ら4人の声聞も、法華経の一乗思想を悟る。その彼らが、自分たちが悟った内容を信解品第四(「長者窮児の教え」)で釈尊に対して説明した。釈尊は、それに対しさらに別の喩によって弟子たちの信解を深めるために、薬草喩品第五(「三草二木の喩」)を説く。
 【原文・口語訳】
@〔さまざまな草木の存在〕「迦葉よ、この世界じゅうの山や、川や、谷間や、平地に生えている草木や、藪や、林や、いろいろな薬草などは、種類がさまざまで、名前も形もそれぞれに違っています。」
A〔等しく潤す雨〕「こうしてさまざまな草木が生えている上空に、密雲が一杯にひろがって世界中を覆い、一時に、そしてどこにも同じように、雨を降らせたとしましよう。潤いの雨は、どの草、どの木、どの藪や林、どの薬草にも平等に降り注ぎます。小さな根も、小さな茎も、小さな枝も、小さな葉も、また中ぐらいの根も、中ぐらいの茎も、中ぐらいの枝も、中ぐらいの葉も、あるいはまた大きな根も、大きな茎も、大きな枝も、大きな葉も、雨は等しく潤してくれるのです。」
B〔受け止める側の相違〕「ところが、それを受ける草木のほうでは、その大小や種類の相違によって受けとりかたが違います。おなじ雲からおなじ雨が降ってきたのにかかわらず、生長の度合いが違い、咲く花が違い、結ぶ実が違います。しかし、大きな目で見れば、それぞれの草木の性質に応じて、それにふさわしい生長をとげ、思い思いの美しい花を開き、実を結ぶのです。」
C〔まとめ〕「ひとつの土地から生えたものでも、ひとつの雲から降った雨の潤いを受けたものでも、草木にはこんな違いがあるのですが、仏の教えと衆生との関係もやはりこれと同様であることを知らなければなりません」

 【原文・訓読】

迦葉、譬えば三千大千世界の山川・渓谷・土地に生いたる所の卉木(きもく)・叢林(そうりん)及び諸の薬草、種類若干にして名色(みょうしき)各(おのおの)異(こと)なり、密雲弥布(みふ)して普(あまね)く三千大千世界に覆い、一時に等しく?(そそ)ぐ、其の沢(うるおい)遍く卉木・叢林及び諸の薬草の小根・小茎・小枝・小葉・中根・中茎・中枝・中葉・大根・大茎・大枝・大葉に洽(うるお)う。諸樹の大小、上中下に随って各受くる所あり。一雲の雨らす所、其の種性に称(かの)うて生長することを得て、華果敷(ひら)け実なる。一地の所生・一雨の所潤(しょにん)なりと雖(いえど)も、而(しか)も諸の草木各差別(しゃべつ)あるが如し。

 【喩えの仕方】

@ 大雲起こる⇒仏の出現
A 雨を降り注ぐ⇒等しく法を説く。
B 小・中・大の薬草・小樹・大樹⇒さまざまの機根の人がいるということ。
  (小の薬草⇒人・天の存在、中の薬草⇒声聞・縁覚、大の薬草・小樹・大樹⇒菩薩)
  機根=〔仏〕教えを聞いて修行しうる衆生の能力・素質。
C 根⇒信(信ずる心)
D 茎⇒戒(出家者・在家者の守るべき規則)
E 枝⇒定(心を一つの対象に集中して安定させること。禅定。三昧。)
F 葉⇒慧(真理を明らかに知る精神作用。宗教的英知。)

 【比喩の説明】

仏の救いにはいろいろな形があるように見えるけれども、根本においては、仏の教えはただひとつであり、すべての人びとにたいして平等にそそがれるものである。それを受ける人びとの、形のうえにあらわれた天分・性質・環境その他の条件がちがうからこそ、形のうえにあらわれた仏の教えも、その救いの結果もちがうように見えるだけのことである。しかし、形のうえではちがっているようでも、つまりはすべての人を平等に救うものであって、そこが仏法の至妙なところである。
〈仏法の救いの、形のうえにあらわれた差別相と、本質における平等相を知れ〉ということ。

 [薬草喩品第五の中のことば]

〈善能(よ)く資(し)潤(じゅん)せば行人(こうじん)を福利す〉…善い行いをすると、それは知らず知らずにその人の全身全霊にしみわたって、その人の人格をうるおし高める。(=徳となる)。「行人」は、施す人。

〈功徳〉……@よい果報をもたらすもととなる善行。「―を積む」「―を施す」
        A善行の結果として与えられる神仏のめぐみ。ごりやく。「―がある」
   グナ(梵語)の中国語訳で、〈功能福徳〉という意味。功能の功と、福徳の徳とで、功徳とした。
   善い行いによって他人や世の中を利益すれば、それが自動的に自分の徳を高める結果となり、それがまた他人や世の中を利益する原動力となる。その無限の循環の働きを功徳という。

〈現世安穏 後生善処 (現安後善)〉=現世安穏にして、後に善処に生ず。
   この世においても安らかな生活が出来、次の世でも善い世界に生まれ安穏に生活できる。

 【梁塵秘抄】より

釈迦の御法は唯一つ 一味の雨にぞ似たりける
三草二木は品々に 花咲き実なるぞあはれなる           (「秘抄」七九)


(釈尊の法は唯一つ(唯一乗)で二乗三乗の区別はない。それは、降る雨が平
等に野山の草木に注ぐのと同じである。大中小の三草も、大小の二樹もそれなりに雨の恵みを受けて、それぞれに花を開き実を結ぶ。それと同じに一仏乗の法で、人びとはめいめいの機根に応じた導きを頂けるのでまことにありがたい。)

大空かき曇り 一味の雨を降らさばや
妙法蓮華を植え拡げ 仏に成らむてふ種とらん           (「秘抄」八○)


(大空が曇って雨が草木に等しくそそぐように(一味の雨)、釈尊が人びとに平等にお説きになったこの(法華経の)法をみなに受けさせたいものだ。成仏の唯一の最勝の法である妙法蓮華という花を広く植えて、その教えにしたがって修行して成仏するという種を得よう。)

  【梁塵秘抄】

今様歌謡集。後白河法皇編著。「梁塵秘抄」10巻と「梁塵秘抄口伝集」10巻。両者の巻1の抄出と梁塵秘抄巻2および口伝集巻10だけ現存。現存本でも法文の歌、4句の神歌など560余首ある。
書名は、古代中国の虞公(ぐこう)と韓娥(かんが)という美声の持主が歌うとその響きで梁(はり)の上の塵(ちり)が舞い上がり,3日もとまらなかったという故事による。法文歌という部門があり、その中の法華経二十八品歌は開結2経を前後に置く群作百十数首で堂々たる構成である。
《梁塵秘抄》の歌謡の世界は,和歌の正統に対していわば〈世俗の口ずさみ〉ともいうべきもので,和歌にはない独自の安らぎと解放感がある。
<参考資料>「わたしの法華経」(松原泰道)・「新釈法華三部経」(庭野日敬)


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平成16年5月12日(水) 実台寺信行会(第四十七回)資料
(4)化城宝処の喩
  
(4)化城宝処(けじょうほうしょ)の喩 (化城喩品第七)
化城⇒⇒実在しない仮の城。

法華経の説法(3種)
@ 法説(ほっせつ)…理論的に説く。
A 譬説(ひせつ)…譬え話で分かりやすく説く。
B 因縁説…過去の事実を例に挙げて説く。
「化城喩品(けじょうゆほん)」について。
三千塵点の過去世以来の仏と衆生との関係を示す。釈尊の法説説法・譬説説法を理解できなかった下根の人々のために法華経化城喩品では大通智勝如来の昔からの因縁を示して衆生を導いた。

大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)
遥かに遠い三千塵(さんぜんじん)点劫(でんごう)の昔の王。16人の王子がいる。この智勝仏が悟りを開き、16王子に法華経を説く。やがて、彼らも仏になり、16仏として十方世界に仏国土を築く。(東方の阿?仏(あしゅくぶつ)、西方の阿弥陀仏等に続いて、)末っ子の16番目の王子・釈尊は娑婆世界に住んで法を説いた。
大通智勝の王子ども 各(おのおの)浄土に生まるれど
 第十六の釈迦のみぞ 裟婆に仏に成りたまふ (『梁塵秘抄』八九)


(大通智勝仏の十五王子仏は、それぞれの浄土にあって説法しておられるが、第十六王子の釈尊だけは、苦悩の世界である私達の裟婆に生まれ、修行して成仏せられたのである。)

「三千塵(さんぜんじん)点劫(でんごう)」⇒(大通智勝如来の入滅以来、現在までの年月)
三千大千世界(地球)を微塵に砕いて、細かい粉にする。→その粉を持って東方へ進み、千の国(星)を通り過ぎたらその粉を一粒落とす。→そこからまた出発して千の国を通り過ぎたらまたその粉を一粒落とす。→そして、この粉が全部なくなるまで通って行った数。→さらに、一粒の粉を落とした国土と落とさなかった国土を、一緒に丸めてまたそれを砕いて粉にする。その粉一粒を一劫として、その宇宙全体をすりつぶした粉の数ほどの年月。←「無限・永遠」の概念を実感させる比喩。 
 <参考>「磐石劫」、「芥子劫」

 【原文・口語訳】
@〔険しい道を旅する隊商〕ここに、五百由旬という非常に長い、けわしい、困難な道があって、人里遠く離れており、わるい獣などが出没して、まことに恐ろしい所です。ところが、このけわしい道を、珍しい宝を求めるために進んでいく大勢の人びとがいます。そして、この一行の中に一人の導師がいて、その人は智慧もすぐれ、ものごとに明るく、この道がどうなっているかを先の先までよく知っているのです。

A〔疲労し挫ける心〕その導師は、多くの人びとを引き連れて、この難所を通過しようとしているのですが、一行の中には足弱の人もあれば、根気のない人もいて、途中ですっかりへばってしまい、導師にむかって、「わたくしどもは、すっかりくたびれてしまいました。それに、この道はなんだか恐ろしくて、もうこれ以上進むことはできません。先はまだ遠いことですし、いまからもときた道へ引っ返したいのです」といいだしました。

B〔化城―指導者の方便〕この導師は、場合に応じて人びとを導く方法をよく知っていましたので、心の中で――ああかわいそうな人たちだ。どうして、もう一息の所にある大きな宝を得ようとしないで引っ返そうと考えるのだろう。もうすこしの辛抱なのに――と思い、方便の力をもって、そのけわしい道の半ばよりちょっとむこうに、一つの大きな城(むかしのインドでは町全体がひとつの城になっていた)を幻として現わしたのです。そして、一同にむかって、「みなさん、もう恐れることはありません。また、引っ返すこともありませんよ。あの大きな城の中にはいって、自由にしなさい。あの中にはいりさえすれば、すっかり安穏になります。そして、疲れが治ったら、宝を取りに行って、それからうちへ帰ればいいでしょう」といいます。

C〔化城での休憩〕みんなは、大喜びでその中にはいって休息しました。そして、まったく救われたものと思い込んでいました。

D〔さらなる旅立ち〕しばらくして、疲れがすっかり治ったのを見すました導師は、その幻の城を消してしまい、みんなを励ましていうには、「さあ、行きましょう。宝のある場所はもうすぐそこです。いままでここにあった大きな城は、実はわたしが、仮に作ったものなのです。ここでひと休みして心をとり直させるためにつくったものに過ぎません。」こうして、その導師は一同を励まし、元気の出た一同をふたたび導いていくのでした。

  【比喩の意味】
如来はこの人生の道の険しさ、恐ろしさから衆生を救おうとは思うが、いきなり最高の教えである一仏乗を説いたのでは、人びとはあまりに自分の現在とかけはなれているので、それに近づこうとはしないだろう。そうして、「仏の道はたいへんに遠く、そこまで達するには長い大きな苦労がいる、とてもわれわれにはそこまで行けない」という弱々しい心を起こすだろうから、途中で二つの涅槃すなわち声聞と縁覚の悟りを説いて、いちおう心の安穏を得させ、じゅうぶん心が安らかになったところを見て、最高の悟りへ導くのである。本当は一仏乗しかないのだが、途中の休息というような意味で、声聞・縁覚の二乗を説く。それは一仏乗までゆきつく階段(方便)として尊い意味があるのだけれども、そこで止まってはならないことは言うまでもない。
  【化城喩品第七の中の言葉】
○大通智勝如来、「四諦」・「八正道」・「十二因縁」を説く。
「四諦」(苦諦・集諦・滅諦・道諦)、
「八正道」(正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)
「十二因縁」(無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死)
○「妙法蓮華・教菩薩法・仏所護念」…つまりは、法華経のこと。
妙法蓮華…泥のなかから清らかに咲く蓮の花のようなつよく美しい生きかたを示された教え。
教菩薩法…菩薩を教化されるために説かれた教え。つまり、人間と人間社会の理想を実現するためには、実践(菩薩行)がなによりたいせつだということを強調された教え。
仏所護念…仏さまが久遠の昔から護り念じてこられた大切な教え。
○「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」 【普回向文・結願の文】
願わくは此の功徳を以って 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん

『わたくしどもの願いといたしますところは、この功徳をあまねく一切のものにおよぼし、わたくしどもすべての衆生が、みんなおなじように仏の境地にたっしたいということでございます』
仏教信者の大きな(願)と(行)の精神は、この短い文句のなかに尽きている。
けっして自分の心の安穏とか、自分の悟りのためだけにするのではなく、その功徳が普く一切衆生に及ぶようにというのが、しんそこからの願いでなければならない。


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平成16年8月12日(木) 実台寺信行会(第五十回)資料
(5)衣裏繋珠の喩

 (5)衣裏(えり)繋珠(けいじゅ)の喩(五百弟子受記品第八) 別称(貧人繋珠の喩)
衣裏繋珠⇒⇒着物の裏に縫い込められた宝石。 *「繋」は、つなぎとめる意。
受記を得た阿羅漢たちが、今まで小乗の境地に満足していたことを後悔し、その愚かさを懺悔した内容を、釈尊に述べる形をとっている。
「五百弟子受記品」について
ここまで、舎利子をはじめ、摩訶(まか)迦葉(かしょう)・須(しゅ)菩提(ぼだい)・迦旃(かせん)延(ねん)・目連ら4人の声聞乗の高弟が授記されてきた。
四大(しだい)声聞(しょうもん)如何ばかり 喜び身よりも余るらむ
 我等は後世の仏ぞと 確かに聞きつる今日なれば
 (『梁塵秘抄』 八〇)
(今日の釈尊のご説法で確かに伺った)続いて、縁覚乗の「富楼那(ふるな)」(十大弟子の一人)を始め多くの弟子たちが成仏の保証を与えられる。
授記⇒記別を与えること。 *記別⇒仏が弟子に未来世の成仏を保証すること。
受記⇒記別を受けること。
「普明如来」⇒世の中を普く明るくする如来。
五百人の弟子が、皆一様に「普明如来」の名号を与えられた。このような如来がふえることによって、世の中は明るい浄寂光土と化してゆく。
「富楼那(ふるな)」⇒説法第一。「富楼那の弁を揮(ふる)う」(富楼那のような弁舌を揮(ふる)う)。勇気と弁舌の人
最初(さいそ)の時には富楼那比丘 内には菩薩身を隠し
 外には声聞形(かたち)現(な)り されども皆是れ仏なり 
(『梁塵秘抄』 九〇)
(悟る能力の低い声聞乗の弟子達に授記されるに当り、最初に授記されたのは富楼那比丘である。彼は高次の菩薩行を行じながらそれを深く内に秘めて、外目には声聞のように見せかけていた。彼に続く五百人の阿羅漢もみな授記された。)
【声聞】仏の説法を聞いて悟る人。自利のみを求める小乗の修行者として、大乗仏教の立場から批判される。主として四諦を観ずる修行によって阿羅漢果を得るという。

【縁覚】師なくして、他の縁によって真理を悟った人。声聞とともに小乗の聖者とされる。独覚。

【阿羅漢】仏教の修行の最高段階、また、その段階に達した人。もとは仏の尊称にも用いたが、後世は主として小乗の聖者のみを指す。「無学」という。
* 「無学」(すべてを学び尽して、それ以上に学ぶべきものがない人。羅漢。
* 「有学」(一般の人。まだ、学ぶべきことが有るから。)
【原文・口語訳】
@〔親友の家で泥酔〕ある人が親友の家を訪れて、ごちそうになり、酒に酔って眠ってしまいました。ところが、その親友は、急に公用で出かけなければならなくなりました。
A〔衣裏に宝玉を縫い付ける〕寝ている友達を起こすのも気の毒におもい、貧乏しているその人のために、はかりしれないほどの値うちのある宝石(無価(むげ)の宝珠)を、着物の裏に縫いつけておいて出かけたのでした。その人は酔って熱睡していましたので、すこしもそれを知りませんでした。
B〔放浪生活〕やがて目が覚めたその人は、親友がいなくなっているので、その家を立ち去りました。相変わらずの貧乏暮らしで、ついに放浪の生活に入りました。衣食の糧を求めるためにたいへんな苦労をし、ほんの少しでも収入があれば、それで満足するという状態でした。
C〔再会と教化〕ずいぶん経ってから、その人は、むかしの親友とバッタリ出会いました。親友はこの人のあわれな姿を見て、「なんという愚かなことだ。立派な男が、どうして衣食のためにそんなにやつれてしまったのだ。わたしは、君が安楽に暮らせるように、そして思いのままの生活ができるようにと考えて、君がうちを訪ねてくれたあの日、値段のつけられないほどの宝石を君の着物の裏に縫いつけておいたんだよ。どれどれ、ほらここにちゃんとあるではないか。それなのに、君はちっとも知らないで、苦労したり心配したりして働いてきた。まったく愚かなことだ。さあ、この宝石を売って、必要なものをどんどん買いなさい。なんでも思うとおりになって、貧乏だとか、不足なことだとかは、すっかりなくなってしまうのだよ」といいました。仏さまは、ちょうどこの親友のようなお方でございます。

【比喩の意味】

貧しい酒酔い男⇒私たち迷える凡夫。
男の親友⇒仏様
衣の裏⇒目に見えない心の奥
無価の宝珠⇒すべての人間が等しく備えている仏性。
* 酔っぱらい男が衣の裏に無価の宝珠を縫いつけているように、私たちはだれも例外なく成仏することのできる尊い存在なのである。仏教では、人間には理性が存在するから尊いというようなことは言わない。この宇宙の中で、最も尊い生命体を仏と規定したうえで、すべての人間がこの尊い仏になることができるということを説くのが仏教である。仏教の人間平等の思想や、人間尊厳の思想はすべてこのことを踏まえたものである。(「法華経の七つの比喩」より)
夢さめて衣の裏も今朝見れば珠繋(か)けながら迷いぬるかな
一乗実相珠清(たまきよ)し 衣の裏にぞ繋(か)けてける
酔ひの後にぞ悟りぬる 昔の親の嬉しさよ(『梁塵秘抄』九一)
(一仏乗の教えの明玉(仏性)を、昔の親(釈尊)から心の奥に埋めこんで貰つたことに気づかず、阿羅漢の小さな悟りに満足していた酔い(迷い)がさめた。)

【五百弟子受記品の中の言葉】

◎周梨槃(しゅりはん)特(どく)の話−−愚者にして悟りに至る。   


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平成16年9月12日(日) 実台寺信行会(第五十一回)資料
(6)髻中明珠の喩

(5)髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)の喩(安楽行品第十四) 別称(輪王頂珠の喩)
髻中明珠(けいちゅうみょうじゅ)⇒髻(もとどり)の中に結い込められている宝玉。
                     「髻」は、髪を頭の頂に束ねたもの。まげ。
 「安楽(あんらく)行品(ぎょうほん)」について
「安らかな」気持ちで、自ら「楽(ねが)って」修行し、説法する。
文殊師利菩薩の「末法の悪世において法を護持し、説きひろめるためには、どんな心掛けが必要か。」という問いに対して、釈尊が、法華経行者の心得を説かれたもの。
 四安楽行 @身安楽行…身の振る舞い方
        A口安楽行…言葉の使い方
        B意安楽行…心の持ち方
        C誓願安楽行…理想の実現への対処の仕方
転輪聖王(てんりんじょうおう)…古代インドの理想的国王で、正義をもって世界を治めるという。身に三十二相をそなえ、即位の時、天から輪宝を感得し、これを転じて天下を威伏治化するという。感得する輪宝により金輪王・銀輪王・銅輪王・鉄輪王の四輪王がある。輪王。


【原文・口語訳】
@〔転輪聖王の討伐〕文殊師利よ。たとえば、ここにひじょうに勢力のある大王があって、まわりの国々をその威光に従わせようとこころみたとしましょう。しかも、それらの小国の王たちが、大王の命令に服従しなかったとしましょう。そこで、大王はさまざまな軍隊を送って、つわものどもを討伐しました。
A〔功績者への褒賞〕それらの戦いに手柄を立てた将士を見ると、王はおおいに喜んで、功績に応じて賞をあたえました。あるものには田畑を、あるものには家屋を、あるものには村を、あるものには都市を与えました。また、衣服や、装身具や、金・銀・瑠璃(るり)・??(しゃこ)・瑪瑙(めのう)・珊(さん)瑚(ご)・琥珀(こはく)などの宝をあたえたものもあり、象・馬・車や駕・奴隷・人民などをあたえたものもあります。
B〔髻中の明珠〕しかし、王の髪のまげに結いこめてあるすばらしい宝玉だけは、なかなかあたえませんでした。なぜならば、その宝玉だけが、王の頭上にあるものだからです。もしこれをあたえたならば、もらった人も、ほかの家来たちも、ただびっくりし、当惑するばかりでありましょう。如来はちょうどこの王のようなものであり、法華経はちょうどこの宝玉のようなものであります。
【比喩の説明】
   「法華経という釈尊の最高の教え」を「転輪聖王の髻中の宝玉」に喩える。

 法華経中の説明
「文殊師利よ、如来の場合もまた同じだ。如来(仏)は禅定と智慧の力で、真理の国土を獲得した全世界の王者である。しかし多くの魔王(煩悩)は、真理の大王の如来に服従しようとはしない。そこで、真理の王の部下である修行者の諸将が魔軍(煩悩)と戦うのである。この戦いに戦果を挙げた修行者には、さらに多くの教えを説いて修行者たちを喜ばせる。また如来は、解脱や煩悩に汚れない素質と力という真理の財(法財という)を彼らに与える。
褒賞を受けた修行者は、煩悩を滅ぽして彼岸に渡ることができたといって喜ぶが、それでもなお、如来はこの法華経を説こうとはしないのだ。
文殊よ、転輪聖王が、自分の髻の中に秘めておいただれにも与えなかった明玉を、はじめて功臣に与えたいと思うように、如来もまた心中の悪魔「貪・瞑・痴」の三毒を滅した偉大なる修行者にも、まだ説いたことのない『法華経』を、いま・ここで説いて与えたい、と思うのだ。
文殊よ、なぜならこの『法華経』は、すべて生あるものを、よく最高の如来の智慧に達せしめるが、その教えのわからない多くの人には、かえって仇となることがある。それほど人びとに正しく信じられがたいから、今までだれにも説かなかったのだ。しかるに、如来はいま、この経をここに説くのである。
文殊よ、法華経は如来第一の説法であって、数多くのこれまでの説法の中で、最も奥深い秘密の教えであるから、一番最後になって、おんみらのために詳しく演(の)べ説こうとするのである。」
 <参考>
※ 白隠禅師…〈法華経〉を読んでみると、〈序品〉の白毫相の光が東方万八干の国土を照らしたくだりからはじまって、〈三車火宅の譬え〉、〈長者窮子の譬え〉、〈衣裏繋珠の譬え〉等々、どこまでいっても譬えばかりで、まるでラッキョウの皮をむくように、いっこうに中身がない(ようにおもわれた)。
※ 日蓮聖人…「二十八品は正(まさ)しき事はわずかなり、讃(ほ)むる言(ことば)こそ多く候え。」(妙密上人御消息)
法華経読誦する人は 天諸童子具足せり
遊び歩くに畏れなし 獅子や王の如くなり
(『梁塵秘抄』一二三)

(法華経を読誦し伝導する人には、いつも諸々の童子の姿をした諸天の神が付き従っているから、各地を修行して回るのに、少しも畏れることはない。それはちょうど獅子や国王が歩くようなものだ。)


 【安楽行品の中の言葉】
◎遊行無畏(ゆぎょうむい) 如師子王(にょししおう) 智慧光明(ちえこうみょう) 如日之照(にょにッししょう)
遊行するに畏(おそ)れなきこと 師子王の如く 智慧の光明 日の照すが如くならん
「その人は、どこへ行っても、どんな環境に置かれても、いつも心が自由自在であることは、ちょうど獅子がゆうゆうと林の中をあるきまわるのと同様であり、またその智慧の明るいことは、あたかも日光のようであり、あらゆる迷いの暗黒をうち破るでありましょう」
◎三蔵…仏教聖典を三種に分類。経蔵と律蔵と論蔵。
【経蔵】 お釈迦様の説法(お経)を集めたもの。
【律蔵】 お釈迦様が仏弟子の生活について定めた戒めを集めたもの(戒律)。
【論蔵】 お釈迦様の説法について、聖人賢者(弟子、および、お釈迦様自身も含む。)が分類・整理し、解説・論議したもの。
経蔵に精通した法師を「経師」、律蔵に精通した法師を「律師」、論蔵に精通した法師を「論師」といい、三蔵に精通した法師を「三蔵法師」といった。
* 玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)、鳩摩羅什三蔵(くまらじゅうさんぞう)など


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平成16年10月12日(火) 実台寺信行会(第五十二回)資料
(7)良医治子の喩

(7)良医治子(ろういちし)の喩(如来寿量品第十六) 別称(良医病子の喩)

 良医(ろうい)治子(ちし)⇒名医である父親が、子どもの病を治す。

 「如来(にょらい)寿量(じゅりょう)品」について
如来(釈尊)の寿命が永遠であることを説く。法華経全体の<眼目>となる章。

久遠の仏…久遠の過去に成仏し、以来ずっと衆生を教化し続けてき、この後も未来永劫 に亘って教化し続ける仏。
「久遠実成」の思想…人間釈尊を悟らしめた大いなる命(=法)がある。この法は、釈尊が生まれても生まれなくても変わらず存在するものである。釈尊滅後もなくならない。つまり、永遠の命といえる。(=久遠)
       いつでもどこでも内在している(事実として成立する。=実成)

「為度衆生故(いどしゅじょうこ) 方便現涅槃(ほうべんげんねはん) 而実不滅度(にじつふめつど) 常住(じょうじゅう)此(し)説法(せっぽう)」

  衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず しかも実には滅度せず 常に此に住して法を説く

【原文・口語訳】
そのこと(なぜ方便して涅槃を現じたか)を、誓えによって、わかりやすく話してあげましょう。
@〔毒を飲む子〕あるところに、一人の優れた医師がありました。その人は非常に賢く事理に通じた人でした。薬の処方にも熱練しており、どんな病気でも治す名医でした。その医師にはたくさんの子どもがありました。十人、二十人、いや百人もあったのですが、あるとき用があって、他国へ出かけました。その留守に、子どもたちは、間違って毒薬を飲んでしまいました。お父さんがおられれば、そんなことは起こらないのですが、留守の間はしたいほうだいの生活をしているので、ついそんなことになってしまったのです。子どもたちは地べたを転げまわって苦しみました。
A〔父の帰国〕そこへ、突然父が帰ってきました。子どもたちは、あるいは毒のために本心を失っているものもあり、それほど毒のまわっていない子もありましたが、それでも、遠くのほうに父の姿を見つけると、一様に大変喜びました。そして、父の前にひざまずいて、『お父さん。よくご無事で帰ってきて下さいました。わたくしどもは、バカなことをしてしまったのです。誤って、毒薬を飲んでしまったのです。どうか治療してください。命を助けてください』と頼みました。
B〔解毒剤〕父は、子どもたちが苦しんでいるのを見て、これはすぐ助けなければいけないというので、いろいろな処方によって、よく効く種々の薬草の、色も香りも味もいいものを選んで、それを搗いて粉にし、ふるいにかけたうえで調合し、子どもたちに与えました。そして、『この薬は、大変よく効く薬で、色もいいし、香りもいいし、味もおいしいのだ。さあ、これを飲みなさい。そうするといまの苦しみがすぐ治るばかりでなく、これから先も、病気ひとつしなくなるのだよ』といいました。
 子どもたちの中で本心を失っていないものは、その良薬が色も香りもよいのにひかされて、素直にそれを飲みました。そして、病気はすっかり治ってしまいました。
 けれども、他の、本心を失っている子どもたちは、先にはお父さんが帰ってきたのを喜んで、病気を治して下さいとお願いしておきながら、与えられた薬をどうしても飲もうとしないのです。なぜかといえば、毒気が深く入って本心を失っているために、その色も香りも味もいい薬が、色もわるく、へんな香りがするように感じて、飲む気になれないからです。
C〔父の方便〕父の医師が考えるには、 − ああ、可哀そうに、この子たちは毒に当てられて心が転倒してしまっているのだ。わたしを見てあんなに喜び、助けて下さいと頼んでおきながら、こんないい薬を飲もうともしない。このままではどうにもならないから、子どもたちがどうしてもこれを飲まずにはいられぬようにしむける方法をとろう―と。
 そこで、父は子どもたちに向かって、『みんな、よく聞きなさい。わたしはもう年をとって、からだが弱り、あまり先が長くない。それなのに、また用があって他国へ出かけなければならないのだ。それで、このいい薬をここに置いておくから、自分たちで取って飲むのだよ。飲めばきっと治るから、けっして心配はいらないよ』と言い残して、また他国へ出かけてゆきました。そして、旅先から使いをやって、『父上はお亡くなりになりました』と告げさせたのです。
D〔子の覚醒〕子どもたちは、お父さんが自分たちをおいて死んでしまわれたのを聞いて、大変驚き、悲しみました。そして、『ああ、お父さんがおいでになったら、わたしたちを可哀そうに思って救って下さるに違いないのに・‥・わたしたちをおいて、遠い他国で死んでしまわれた。いよいよわたしたちは孤児になってしまった。もう頼る人はないのだ』という心細い思いが、ひしひしと胸に迫ってきました。すると、今まで毒のために顛倒していた心が、ハッと目を覚ましたのです。
E〔父の帰国〕そこではじめて、父の残していった薬が、色も香りも味もいいことがわかり、さっそくそれを飲みましたので、毒による病はすっかり治ってしまいました。そして、子どもたちが治ってしまったことが分かると、父はすぐ他国から帰ってきて、子どもたちの前に姿を見せたのです。
わたしが、仏の滅度を説くのは、これとおなじ意味です」
【比喩の説明】
「良医の父」=「釈尊」、「中毒の子ども達」=「迷える衆生」、「妙薬」=「法華経」
 私たちの危機的状況=毒を飲み、それが深く体中に回って正気をなくすような状態になっている子ども、に喩える。解毒剤があっても、正気を失くしているので飲もうともしない。
「父の死の悲報→毒で本心を失った子どもも正気に戻る→薬を飲み快癒」=「(釈尊は久遠の命を持つが)仮に涅槃に入る姿を示す→衆生に求道心を起こさせる」
【法華経中の説明】
この比喩には特に釈尊による説明はない。
「父が死んだと報告した」ことは、嘘を言ったのではなく、子どもを治療するための方便である。方便は嘘ではないことを強調。(方便を説く釈尊は、不妄語罪には当たらない。)
【如来寿量品の中の言葉】
◎ 常懐悲感 心遂醒悟 (常に悲感を懐いて 心遂に醒悟す)
◎ 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身(毎(つね)に自から是の念を作す 何を以てか衆 生をして 無上道に入り 速やかに仏身を成就することを得せしめんと。)
 <参考>
仏は霊山浄土にて 浄土も変へず身も変へず
 始めも遠く終わり無し されども皆是れ法花(華)なり
(『秘抄』一二八)
(釈尊は、いつも霊鷲山の浄土に在して、その浄土も仏の法身も不変不滅、無始無終である。方便で入滅の相を示されたので、釈専をまのあたりに拝むことはできない。が、仏身も浄土も法華経の中にある。法華経こそ仏身の現われなのである。)

仏も昔は人なりき 我等も遂には仏なり
 三身仏性具せる身と 知らざりけるこそあはれなれ 
  (『秘抄』二三二)
(仏も遠い過去にあっては我らと同じく凡夫だ。我らも悟りをひらけば成仏できる本性を具えている。この真実に気づかず、仏道に励もうともしないのは痛ましいことだ。)


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平成16年12月12日(日) 実台寺信行会(第五十三回)資料
法華七喩(番外)(1)高原鑿水の喩、(2)王膳の喩

(番外1)高原鑿水(こうげんさくすい)の喩 (法師品第十) 別称(高原(こうげん)穿鑿(せんじゃく)の喩)
 高原鑿水(こうげんさくすい)⇒高原に井戸を掘ること。 「高原(こうげん)穿鑿(せんじゃく)」も同じ。
「鑿(さく)」は、のみ。うがつ。「穿(せん)」は、うがつ。穴を空けて通す。
 「法師品第十」について
法師とは→出家・在家にかかわらず、法華経を世にひろめるために努力する人。
(「法師」の本来の意味は、出家者とは限らない。)
内容は、伝道の方法と伝道者の心構えを説く。

【原文・口語訳】
「薬王、譬(たと)えば人あって渇乏(かつぼう)して水を須(もち)いんとして、彼の高原に於て穿鑿(せんじゃく)して之を求むるに、猶(な)お乾ける土を見ては水尚(な)お遠しと知る。功(く)を施すこと己(や)まずして、転(うた)た湿(うるお)える土を見、遂に漸(ようや)く泥に至りぬれば、其の心決定して水必ず近しと知らんが故(ごと)く、菩薩も亦(また)復(また)是(かく)の如し。」

「薬王よ。たとえば、水のない高原で、渇きに苦しんでいる人が、井戸を掘ったとしましょう。掘っても掘っても土が乾いていているときは、まだ水は遠いのです。それでもがっかりせずに辛抱づよく掘り続けていると、だんだん湿った土が出てき、それがしだいに泥になってきます。すると、いよいよ水が近いことがわかります。菩薩と法華経の関係もこれとおなじなのです」
【比喩の説明】
水のない高原というのは、人間の心が乾ききった、苦しみに満ちたこの現実の世界のことです。井戸を掘るというのは、その苦しみからのがれようと、救いを求める努力です。ところが、掘っても掘っても土は乾いています。掘れば水が出るだろうというひとすじの希望はあっても、ともすれば絶望感にとらわれそうになります。しかし、そこを辛抱して、工事(功)をつづければ、やがて水気をたっぷり含んだ土 (真実の教え=法華経) にぶつかるのです。こうして、真実の教えを掘り当てれば、もう救いは近いのだと知るべきです。
(そこで、新しい希望と勇気とを得て、こんどは苦しみも疲れも忘れて掘りすすむようになります。それが菩薩行にほかなりません。)(「法華経の新しい解釈」)
【法師品の中の言葉】
五種法師→「受持(じゅじ)・読(どく)・誦(じゅ)・解説(げせつ)・書写(しょしゃ)」
十種供養→「華(け)・香(こう)・瓔珞(ようらく)・抹香(まっこう)・塗香(ずこう)・焼香(しょうこう)・繪蓋(ぞうがい)・幢幡(どうばん)・衣服(えぶく)・伎楽(ぎがく)」
如来の衣とは、柔和忍辱(にゅうわにんにく)の心是れなり。
 <参考>
妙法蓮華経 書き読み持(たも)てる人は皆
 五種法師と名づけつつ 終(つい)には六根清しとか  
   (『秘抄』一三九)
(法華経をそれぞれ受持し・読み・誦(暗誦)し・解説し・書写する人を、五種法師と名づけ、眼・耳・鼻・舌・身・意の六根が皆清浄になり、仏法にかなうに至るとかいうことである。)
 

(番外2)王膳(おうぜん)の喩 (授記品第六)
王膳(おうぜん)=ご馳走の盛られた大王のお膳
 「授記品第六」について
「授記」とは、仏が弟子に未来世の成仏を保証すること。記別を授けること。
「記別」と「授記」は、同意。「受記」は、弟子が記別を受けること。
内容は、「一切衆生 悉有仏性」、「悉皆成仏」の思想。
【原文・口語訳】
【原文】飢えたる国より来って 忽(たちま)ちに大王の膳に遇(あ)わんに 心猶(な)お疑懼(ぎく)を懐いて 未だ敢(あえ)て即便(すなわ)ち食(じき)せず 若(も)し復(また)王の教を得ば 然(しこう)して後に乃(すなわ)ち敢て食せんが如く 我等も亦(また)是(かく)の如し 

【口語訳】「わたくしどもはいま、譬えて申せば、飢饉で食べもののない国から腹ペコで逃れてきて、いきなり大王のたいへんなご馳走の膳に向かったようなものでございます。大王が食べよとおっしゃいませんので、食べていいのか悪いのか、オドオドするばかりで手を出すことができません。もし大王に、食べていいのだと一言おっしゃっていただければ、安心して食べられるのです。」
【比喩の説明】
「それと同じように、わたしどもは、自分だけが迷いや悩みから離れればいいという考えが間違いであったことに気づき、すべての人を平等に見る仏の智慧が最上であることが分かってきたのですが、どうしたらその無上の智慧を備えることができるのかわかりません。わたくしども声聞もいつかは仏になれるという仏さまの教えをうかがいながらも、はたしてこの自分がなれるのかしらと、なんとなく心配でございます。それはちょうど、大王のごちそうが目のまえにありながら食べられないのと、おなじ気持でございます。もし仏さまから、おまえも仏になれるぞと、ひとことおっしゃっていただけましたら、わたくしどもの心は安らかになることでしょう。そして、安心して菩薩の道にはげみ、世のため人のためにつくすことができます。どうぞ、お願いいたします」

飢えたる国=自分だけが迷いや悩みから離れればいいという二乗の考え
大王の膳=仏の最高の智慧・法華経の教え
食べてよいとの許し=記別を受けること。成仏の保証を得ること。
【授記品の中の言葉】
「如意甘露灑(にょいかんろしゃ) 除熱得清涼(じょねっとくしょうりょう) 如従飢国来(にょじゅうけこくらい) 忽遇大王膳(こつぐだいおうぜん)」(施餓鬼旗に書く経文)
甘露を以って灑ぐに 熱を除いて清涼を得るが如くならん 飢えたる国より来って 忽(たちま)ちに大王の膳に遇(あ)わん
仏の十号=如来・応供(おうぐ)・正偏知(しょうへんち)・明行足(みょうぎょうそく)・善逝(ぜんぜい)・世間解(せけんげ)・無上士(むじょうじ)・調御丈夫(じょうごじょうふ)・天人使(てんにんし)・仏・世尊
 <参考>
釈迦の御弟子は多かれど 勝れて授記に与かるは
  迦葉須菩提や迦旃延 目連よ 是等は後世の仏なり 
  (『秘抄』 八四)
(釈尊の弟子は数多いが、最も勝れた弟子として授記されたのは、迦葉・須菩提・迦旃延・目連である。彼らは後世の仏である。)

仏の十号
   すべて仏さまの尊称です。その意味を簡単に説明しますとT。

如来=真如から来た人という意味。すなわち、真如の体現者です。
応供(おうぐ)=供養を受けるにふさわしい人。あらゆる意味での尊敬を受けるに値いする人。
正偏知(しょうへんち)=この世のあらゆるものごとに普くゆきわたる正しい智慧(阿耨多羅三藐三菩提)を具えた人。
明行足(みょうぎょうそく)=明は智慧、行は実践、その二つが満ち足りている人という意味。
善逝(ぜんぜい)=善く逝ったというのは、迷いを完全にのぞきさってしまったということ。
世間解(せけんげ)=すべての人がそれぞれちがった境遇(世間)を背負っているのを、はっきり見分ける(解)ことのできる知力の持主であるということ。
無上士(むじょうじ)=字のとおり、この上もないりつぱな人。無上の人格を成就した人。
調御丈夫(じょうごじょうふ)=上手な調教師が象や馬をよく馴らすように、どんな人をもおもうままに教えみちびくことのできる人。
天人使(てんにんし)=天(天上界の人)・人(人間界の人) の大導師。
=梵語のブッダのことで、悟った人という意味。
世尊=世のなかで尊重される人という意味。

 こうして尊称をいくつもいくつも書きならべるのは、仏さまに対する限りない讃嘆を表わすためで、(これを仏の十号)といいます。別々に数えると十一号になりますが、(仏世尊)とつづけて一称号とする説や、(仏)までを十号とし(世尊)は別の尊号だとする説や、いろいろあります。


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平成11年2月12日(金) 実台寺信行会(第二回)資料
「妙法蓮華経」成立の経緯
一、原本と訳本
「三国伝来」−−−仏教が、インド→中国→日本と伝えられたこと。(大乗仏教・北伝)
「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」−「妙法蓮華経」(「鳩摩羅什」訳)
「六訳三存三欠」−−「法華経」には六つの訳があり、その中で三つが現存し、三つが失われて
  いるということ。
 @「正法華経」(286年)−−−笠法護(じくほうご),月氏国の人(インド語)、敦煌生まれ(中国語)
 A「妙法蓮華経」(406年)−−−鳩摩羅什(くまらじゅう) 後に詳述。
 B「添品妙法蓮華経」(601年)−−−闍那崛多(じゃなくった)と達磨笈多(だるまぎゅうた)←印度僧
  *第十二「提婆達多品」と第二十五「観世音菩薩普門品」の重頌偈(じゅうじゅげ・世尊妙相具…)が加わる。
〇上記の三点の漢訳「法華経」の内容を検討すると、翻訳された年代は「正法華経」が最も古いが、原本となる梵本は「妙法蓮華経」の方が古く原型に近いものであることが分かった。
〇現存する法華経梵本−−−−幾種類もある→大別して3グループ
 

           @ネパール梵本−−−11〜18世紀のもの
   河口慧海師がチベットより持ち帰ったもの(東洋文庫蔵)、他多数。
 A西域出土本−−−シルクロード探検中、砂や土の中から発見。
  ・ペトロスキー梵本(7世紀)−−−全文の6割が残っている。
  ・ファルハードベーク出土本(6世紀)−−−梵本中最も古い。  他、断片多数。
 Bギルギット本(6世紀初頭のもの)−−仏塔の廃墟で牧童が発見 
〇「正法華経」「妙法蓮華経」「添品妙法蓮華経」の原本となる梵本は現存しないが、現存する梵本よりも漢訳本の方が古いことが分かる。
従って、鳩摩羅什訳の「妙法蓮華経」が最も古く原型に近いことになる。(286年以前)
二、鳩摩羅什訳「妙法蓮華経」の生い立ち
鳩摩羅什 略伝    マーラ・ジーヴァ(344〜413)、亀茲(クチャ)国生まれ。
      父−−鳩摩羅炎(インド人)    母−−ジーヴァカ(クチャ王の妹)
      9歳でカシミールに行き、小乗・大乗仏教を学ぶ。
      諸国遊学→→20才の頃亀茲(クチャ)国に帰る。→→仏教教学の天才
      王族であるが故に、大乗・小乗共に学べたし、仏教経典も確かなものに接しられた。
○中国への仏教伝来−−−後漢の桓帝・霊帝の時代(147〜189年)
〇五胡十六国時代(304〜439年)−−−北方は遊牧民族が占領(血なまぐさい戦乱に明け暮れた時代。)
    *当時の王は、文化・仏教などには無関心。
    * しかし、捕虜にした仏教僧が戦争について的確な判断をするので、軍事顧問的に利用した。神異僧という。
  神異僧(しんいそう)の代表−−−仏図澄(ぶっとちょう)。
    *釈道安(しゃくどうあん)−−−仏図澄の弟子。戦乱を逃れ、湖北省襄陽の檀渓寺へ入る。

〇苻堅(ふけん)−−−前秦・第3代の王、遊牧民族、在位26年。

*10万の軍で襄陽を攻め、釈道安を捕らえて長安に帰還。 預言者・参謀本部長として利用。 (道安の下には数千人の弟子が集まる。)  釈道安は72歳にて没するが、この時、亀茲(クチャ)国に鳩摩羅什という不世出の青年僧がいることを伝える。  部下の呂光将軍に7万の軍隊で攻めさせ、亀茲(クチャ)を討ち、鳩摩羅什を生け捕りにする。  呂光は、涼州まで戻ったとき、苻堅が内乱で殺されたことを知り、涼州の王となってこの地に留まる。その結果、 鳩摩羅什も亀茲(クチャ)にも帰れず長安にも行けず、この地で17年を送る。

〇姚興(ようこう)
−−−後秦の王。 苻堅の臣姚萇の子。文化の向上に関心の深い立派な王。  礼を尽くし、軍隊を出し、厖大な蔵書と共に鳩摩羅什を長安へ迎える。  401年12月20日のこと。国家的事件であり、多くの仏教書・史書に記録されている。  姚興の後援の下、長安大寺を建てる。各地より有能な僧が多数集まる。
〇名翻訳ができる絶好の条件整う

 @鳩摩羅什が、若くから小乗・大乗の両方を学んだ仏教界随一の学者であったこと。

 A彼が王族の出であったために、最高の蔵書に恵まれたこと。

 B軍隊が運んだので、大量のものを全て運べたこと。

 C17年間の抑留生活で中国語をマスターしていたこと。

 D長安には、有能な中国の仏教僧が多数集まっていたこと。(読みやすい名文が生まれた)
 

    *この資料は「『妙法蓮華経』の生い立ち」―鳩摩羅什三蔵について― を要約したものです。

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平成12年5月12日(金) 実台寺信行会(第十四回)資料
「法華経」について

    釈尊の悟った永遠のいのち(諸法実相=すべてのもののありのままなる相。)
    一部八巻二十八品      〈参考〉・一切経(大蔵経)・一部経  ・要品
    「諸経の王」        〈参考〉 般若経 600卷、 華厳経 60〜80卷
    「仏陀の真意はここに有り」(天台大師=小釈迦。あらゆる経典を究めた結果。)
    「三国四師」−−法華経が、印度→中国→日本、釈尊→天台大師→最澄→日蓮と伝えられたこと。
 サンスクリット(梵語)原典の題名
    「サッド・ダルマ・プンダリーカ・スートラ」 (sad-dharma-pundarika-sutra)
     正しい  教え  白蓮華   経(=縦糸) →「白蓮のごとき正しい教え」
  正法=妙法(不可思議微妙なものだという事で、「妙法」と訳されている。)
  蓮華→白蓮、白い蓮の花(清らかさ)
    「不染世間法 如蓮華在水」(世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し)
     汚濁の真只中にあって美しく清らかに咲く白蓮こそ「法華経」そのもの。
 「六訳三存三欠」−−漢訳の「法華経」には六つの訳。その中で三つが現存し、三つが失われている。
   @「正法華経」(286年)−竺法護(じくほうご)
   A「妙法蓮華経」(406年)−鳩摩羅什(くまらじゅう) 
   B「添品妙法蓮華経」(601年)闍那崛多(じゃなくった)と達磨笈多(だるまぎゅうた)
  私たちが目にする「法華経」は、ほとんどが羅什訳の「妙法蓮華経」。   
 法華経の手法(比喩・寓話)
  法華七喩 @三車火宅喩(比喩品)A長者窮子喩(信解品)B三草二木喩(薬草喩品)
       C化城法処喩(化城喩品)D衣裏繋珠喩(受記品)E髻中明珠喩(安楽行品)
       F良医治子喩(寿量品)
 鳩摩羅什略伝
  クマーラ・ジーヴァ(344〜413)、亀茲(クチャ)国生まれ。
   父−−鳩摩羅炎(インド人)
   母−−ジーヴァカ(クチャ王の妹)
  9歳でカシミールに行き、小乗・大乗仏教を学ぶ。
  諸国遊学→→20才の頃亀茲(クチャ)国に帰る。→→仏教教学の天才
  王族であるが故に、大乗・小乗共に学べたし、仏教経典も確かなものに接しられた。
(裏面へ)
法華経の構成

 前半十四品(14章)を迹門、後半十四品(14章)を本門と二つに分ける。(天台大師)
妙法蓮華経二十八品(※印は、要品)
迹 門  本 門
序品第一          ※ 従地涌出品第十五
方便品第二         ※ 如来壽量品第十六        ※  
譬喩品第三 分別功徳品第十七
信解品第四 随喜功徳品第十八
薬草諭品第五 法師功徳品第十九
授記品第六 常不軽菩薩品第二十
化城喩品第七 如来神力品第二十一      ※
五百弟子授記品第八 囑累品第二十二         ※
授學無學人記品第九 薬王菩薩本事品第二十三
法師品第十 妙音菩薩品第二十四
見寶塔品第十一 観世音菩薩普門品第二十五  ※
提婆達多品第十二    ※ 陀羅尼品第二十六        ※  
勧持品第十三 妙荘厳王本事品第二十七    ※
安楽行品第十四 普賢菩薩勧發品第二十八    ※
 迹門  迹仏の教え
 迹仏  実際に生まれ、修行し、仏の境地に達し、80歳で入滅した釈迦牟尼世尊のこと。
 迹門の教え  人間の理想的な姿としての釈尊を仰いだもの。
       (人間の在り方、生き方、人間同士の関係の持ち方)
  「仏の智慧」がテーマ。 人と人との関係を正しく保つには、「智慧」が大切。

 本門  本仏の教え
 本仏  宇宙(人間を含めて)の真理。
     限りない過去から限りない未来まで、この宇宙のいたる所にいて説法し、衆生を教     化し導いている。(如来寿量品)
 本門の教え  仏と人間との関係。本仏の救いについて説いたもの。
  「仏の慈悲」がテーマ。

「本仏と迹仏」の関係  本仏が必要あって、人間の形をとってこの世に現われたのが迹仏             としての釈尊。    「月と月影」、「電波とテレビ」の関係

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平成12年6月12日(月) 実台寺信行会(第十五回)資料
妙法蓮華経方便品第二

  爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。
爾の時に世尊、三昧より安詳として起って、舎利弗に告げたまわく、
その時に、仏陀世尊は、三昧の境地からゆったりとしたお姿でお起ちになって、舎利弗にお告げになった。
諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。
     
諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり。一切の声聞・辟支仏の知ること能わざる所なり。
あらゆるみ仏の智慧は、はなはだ深くして量り知ることは出来ない。その智慧に至る門は理解しがたく、入ることが難しい。それは、声聞・縁覚と呼ばれる修行者では知ることが出来ない境地である。

所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。

所以は如何ん、仏曾て百千万億無数の諸仏に親近し、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞えたまえり
なぜならば、み仏はかつて〈悟り〉を求めて、百千万億人、さらに無数のあらゆるみ仏にそば近く仕えて、力の限り打ち込んで、諸仏の数限りない〈教え〉を修行し、強く勇ましく一心に精進してその名が広く聞こえたのである。

成就甚深。未曾有法。随宜所説。意趣難解。

甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随って説きたもう所意趣解り難し。
そのようにはなはだ深く、いまだかって示されることの無かった〈教え〉の体現をを成し遂げて、巧妙な方便によって説いてきたが、その真実の意味は、たやすく理解することの出来ないものである。
舎利弗。吾従成仏已来種種因縁。種種譬諭。広演言教。無数方便。引導衆生。令離諸著。
舎利弗、吾成仏してより已来、種々の因縁・種々の譬喩をもって、広く言教を演べ、無数の方便をもって、衆生を引導して諸の著を離れしむ。
舎利弗よ!私(釈迦牟尼仏)は、悟りの境地に到達してから後、さまざまないわれやたとえによって広く教えの言葉を述べ、数限りない手だてによって、人々を導いて悟りの道に引き入れもろもろの煩悩から離れさせてきた。
所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足。
所以は何ん、如来は方便・知見波羅蜜皆已に具足せり。
なぜならば、真理を体現したみ仏は、方便波羅蜜・知見波羅蜜を既に身に具えていたからである。
舎利弗。如来知見。広大深遠。無量無礙。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。
成就一切。未曾有法。

舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、
一切未曾有の法を成就せり。
舎利弗よ! 真理をあらわしたみ仏の智見は広大で深遠である。それは、無量であり、障りなく、力があって、畏れるところなく、静かな瞑想と煩悩の束縛を解いた涅槃があり、その上に心を集中した静かな境地があって、しかもそれぞれ深く限りなく、かつてない法を体得し体現したのである。
舎利弗。如来能種種分別。巧説諸法。言辞柔軟。悦可衆心。
舎利弗、如来は能く種々に分別し巧に諸法を説き言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。
舎利弗よ!真理を体現したみ仏は、よく種々に思いはかり、識別し、巧みに諸法を説き、言動は柔軟であって、
衆生の心を鼓舞し、悦びを与えている。
舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。
舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。
舎利弗よ!要するに、はかり知れないほど無辺で、しかもいまだかつて示されなかった仏法を、わたくし釈迦牟尼仏はことごとく体現しているのである。
止。舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。
乃能究尽。諸法実相。

止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。
止めよう、舎利弗よ!再びこのことを説くことは出来ない。なぜならば、み仏の体現している境地は、最もすぐれ、類まれで、しかも凡人の理解を超えた法である。それは、ただ仏と仏とだけが、いま不思議にも究め尽くすことのできる、あらゆる存在(諸法)の、真実の相なのである。
所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。
如是報。如是本末究竟等

所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
その有様は、あらゆる存在がこのような相と、あらゆる存在の根底となる不変の本性と、このような本体と、このような潜在的な力と、このような働きと、このような原因と結果、原因と結果このような間接的原因と結果、そうしたことどもが、それぞれ平等に、かつ緊密に結び合っているのである。

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平成12年7月12日(水) 実台寺信行会(第十六回)資料
妙法蓮華経方便品第二(その二)

      
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D舎利弗。如来知見。広大深遠。無量無礙。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。成就一切。未曾有法。
舎利弗、如来の知見は広大深遠なり。無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧あって深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。
舎利弗よ! 真理をあらわしたみ仏の智見は広大で深遠である。それは、無量であり、障りなく、力があって、畏れるところなく、静かな瞑想と煩悩の束縛を解いた涅槃があり、その上に心を集中した静かな境地があって、しかもそれぞれ深く限りなく、かつてない法を体得し体現したのである。


○四無量心…慈悲喜捨  ○四無礙(完全無欠)  ○十力(真の姿を見通す力) ○四無所畏(誰にも憚らずに信じているままを説く)○禅定…心が決定して動かない ○解脱…一切の苦を離れる ○三昧…善いことに心が定まって動かないこと 

 舎利弗。如来能種種分別。巧説諸法。言辞柔軟。悦可衆心。
舎利弗、如来は能く種々に分別し、巧に諸法を説き、言辞柔軟にして、衆の心を悦可せしむ。
舎利弗よ!真理を体現したみ仏は、よく種々に思いはかり識別し、巧みに諸法を説き、言動は柔軟であって、衆生の心を鼓舞し、悦びを与えている。
 舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。
舎利弗、要を取って之を言わば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまえり。
舎利弗よ!要するに、はかり知れないほど無辺で、しかもいまだかつて示されなかった仏法を、わたくし釈迦牟尼仏はことごとく体現しているのである。


E止。舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。
止みなん、舎利弗、復説くべからず。所以は何ん、仏の成就したまえる所は、第一希有難解の法なり。唯仏と仏と乃し能く諸法の実相を究尽したまえり。

止めよう、舎利弗よ!再びこのことを説くことは出来ない。なぜならば、み仏の体現している境地は、最もすぐれ、類まれで、しかも凡人の理解を超えた法である。それは、ただ仏と仏とだけが、いま不思議にも究め尽くすことのできる、あらゆる存在(諸法)の、真実の相なのである。
※文底秘沈…法華経の経文上には示されず、文章の底に秘して沈めてあるもの。
 不立文字
○諸法実相…すべてのもののありのままなる真実の相(有り様)。「眼横鼻直」(道元)


F所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
所謂諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等なり。
その有様は、あらゆる存在がこのような相と、あらゆる存在の根底となる不変の本性と、このような本体と、このような潜在的な力と、このような働きと、このような原因と結果、このような間接的原因と結果、そうしたことどもが、それぞれ平等に、かつ緊密に結び合っているのである。
 ※すべてのものの真実の有り様を仏は究め尽しておられる。→「十如是」

○如是…いつでも永久に変わらない、の意。
 ※「十如是」…世の中にものが存在する以上は、何物もすべてこの十の条件を備えていないものはない。
○相・性・体
 「相」…外に現われたすがた、「性」…そのものの性質、「体」…その性質を備えたその物
○力・作  「力」…ものの持つ能力、「作」…力のはたらき・現われ
○因・縁・果・報
「因」…現象を起こす原因、「縁」…果を導く機会・条件、「果」…因と縁から導かれ  た結果、「報」…結果が後に残す働き(影響)
○本末究竟等…本(初め)から末(終わり)まで、究竟して(つまるところ)等しい。
 「相」から「報」までのこの条件は、どこへ行っても、どんなものにも同等に備わって いる、ということ。

まとめ
一、@仏、舎利弗に告げる。

二、A仏の智慧は深い、従って、理解しがたい。
Bなぜなら、仏が無数の諸仏に仕えて力の限り精進して達した境地であるから。
  C多くの手段で人々を救済してきた。方法・知見を身につけているから。
  D仏の智慧は、広大深遠で、巧みに説法してきた。

三、E説くことは出来ない(聞いただけでは理解できないであろう)。仏の悟りは、類まれな優れた(諸法実相の)教え。
  Fそれは、諸法の如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等である。 (優れた 教えの具体的な内容)


〈参考〉三遍の繰り返しは、厳密には次のようにする。一回目「所謂諸法如、是相如、是性如、…」、
    二回目「所謂諸法、如是相、如是性、…」、三回目「所謂諸法如是、相如是、性如是、…」。

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平成12年10月12日(木) 実台寺信行会(第十八回)資料
「自我偈」について
 如来寿量品第十六
○方便品…迹門の柱。 ○如来寿量品…本門の柱。(法華経全体の中心)
○お経 長行(じょうごう)… 散文で書かれた部分
偈(げ)  ……… 詩の形で書かれた部分
○自我偈 「自我得仏来」で始まる詩形の文だから。
内容から「久遠偈」とも呼ばれる。
○如来…仏様のこと。 ○寿量…命が無限であること
「如来寿量品」…仏様の寿命は無限であり、永遠の命であることを説く。
歴史上のお釈迦様を通して、その背後に宗教上のお釈迦様(本仏)を仰ぐ思想を はじめて顕したお経。
 古来、「如来寿量品」には3つの大切な意味があるとされる。
@開近顕遠(かいごんけんのん)…「近きを開き、遠くを顕わす」
釈尊の出世という近い目に見える事実を通して、無限の過去にひそむ遠い因縁を 明らかにする。
A開迹顕本(かいしゃくけんぽん)…「迹を開き、本を顕わす」
現われた仏を深く研究して、その根本である永遠の仏を知ること。
迹とは、形に現われた仏のことで、釈迦仏、多宝如来、阿弥陀如来など。
本とは、目に見えない根本の仏。(「本」とは、隠された本元のもの)
B開権顕実(かいごんけんじつ)…「権を開き、実を顕わす」
方便の教えを手がかりにして、真実の教えに入ること。
「方便品」以来、ずっと説いてきたのは方便の教えで、これから「寿量品」にお いて真実の教えに入るのだ、ということ。。

【自我偈の訓読・口語訳】 

1.自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇
我仏を得てより来 経たる所の諸の劫数 無量百千万 億載阿僧祇なり

私(仏)が悟りの境地に達して(成仏して)からこのかた、経過した時間は、計り知ることが出来ないくらい長い。
○劫…きわめて長い時間の単位。
<磐石劫>・<芥子劫>の喩えがある。「永劫・阿僧祇劫」などと使う。
○無量百千万 億載阿僧祇…永遠の長さ。 「載」は、兆の4乗。「阿僧祇」は、10の56乗。


2.常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫
常に法を説いて 無数億の衆生を教化して 仏道に入らしむ 爾しより来無量劫なり

その間、私は絶え間なく法を説いて、数え切れないほど多くの衆生を教え導いて、仏道に入らせてきた。そのようにして教化しつつ、これまで無限の年月が経過してきている。

○教化(きょうけ)…教導化育する。衆生を教え導き、仏道に入らせること。
○衆生…一切の生き物。


3.為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法 
衆生を度せんが為の故に 方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く

私は衆生を救うという目的のために、巧みな手だてをもって、肉体が滅して涅槃に入ることを現してみせるのである。しかし、それは本当に死んだのではなく、実際にはいつもこの娑婆世界にあって教えを説きつづけているのである。

○度す…(=渡す)生死の此岸から涅槃の彼岸に渡す。済度する。菩提心を起させる。
○方便…衆生を教え導く巧みな手段。真理に誘い入れるために仮に設けた教え。
○涅槃…( 吹き消すこと、消滅の意)煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態。
仏教における理想の境地。般涅槃。滅度。寂滅。 

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平成12年12月12日(火) 実台寺信行会(第十九回)資料
【自我偈の訓読・口語訳】その2
4.我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見
我常に此に住すれども 諸の神通力を以て 顛倒の衆生をして 近しと雖も而も見ざらしむ

私はいつもこの娑婆世界に住んでいるのだが、もろもろの神通力で、煩悩によって心が顛倒している衆生に対して、近くには居てもわざと姿が見えないようにしているのである。

○神通力…禅定などによって得られる、人知を超えた自由自在な能力。
 *六神通 @天眼通(見えないものが見える)A天耳通(すべてのことが聞こえる)
      B宿命通(寿命がわかる)C他心通(他人の心がわかる)
      D漏尽通(煩悩に迷わない) E神足通(どこへでも行ける)
○顛倒(てんどう)…原義はひっくり返ること。ものごとを逆さまに考えて、実相を見ま ちがえること。
 *凡夫の四顛倒
  @常顛倒(この世は無常【移り変わるもの】であるのに、常【変わらないもの】とみること。) A楽顛倒(苦を楽と) B浄顛倒(不浄を浄と) C我顛倒(無我を我と)
○近しと雖も而も見(え)ざらしむ


5.衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心
衆我が滅度を見て 広く舎利を供養し 咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず

衆生は、私が入滅したのをまのあたりにして私の遺骨を供養し、(そこではじめて)みんな私を懐かしく思い、恋い慕い、どうしても仏の教えを求めずにはいられない気持ちになる。

○広く舎利を供養し…釈尊入滅後、ご遺骨は八つに分配され供養された(仏舎利塔)。
○恋慕・渇仰…のどの渇いた人が水を求めるように、あこがれ慕うこと。転じて、「深く 信仰する」こと。


6.衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山
衆生既に信伏し 質直にして意柔軟に 一心に仏を見奉らんと欲して 自ら身命を惜まず時に我及び衆僧 倶に霊鷲山に出ず

(そういう気持ちになった)衆生は私の教えを心から信じ、まっすぐな素直な心で、ひたすら仏の姿を拝みたいと願い、そのためには自らの命さえもいらないという気持ちになる。 衆生の心がそのようになった時に、私は多くの僧たちと共に霊鷲山(この娑婆世界)に姿を現すのである。

○質直…飾り気がなく真直ぐなこと。
○柔軟…心が柔らかく固定観念がないこと。自我で凝り固まっていず、正しいものを素直 に受け入れる心。
○仏を見奉る…仏と一緒に居る、仏様に生かされているという自覚を持つこと。大安心。
○不自惜身命…「不惜身命」とも。菩薩が衆生済度のために身命を惜しまずに努力するこ と。
○霊鷲山…インドの、昔のマカダ国の首都、王舎城にある山。釈尊が法華経を説かれた。
 法華経の中では、単なる山の名ではなく仏様のいらっしゃるところ、法が説か  れるところをあらわすと考えられる。 <参考>「霊山浄土」


7. 我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者   我復於彼中 為説無上法
 我時に衆生に語る 常に此にあって滅せず 方便力を以ての故に 滅不滅ありと現ず 余国に衆生の 恭敬し信楽する者あれば 我復彼の中に於て 為に無上の法を説く

そして、私は衆生にこのように話す、「私はいつでもこの世界にいて滅することはない。が、教化の手段として必要と思われる時には、入滅してみせたり不滅の姿を見せたりするのである。もし、この娑婆世界以外のところにでも、仏の教えを敬い尊び信じて、聴聞したいと願う人がいれば、私はその人たちの中に姿を現して、最高の教えを説くであろう」と。

○方便力…その人その場合に合った教化の手段。
○余国…娑婆世界以外の他の国土。
仏の教化する範囲は、全宇宙に広がる。仏の「常住」とは時間的に三世(過去・現 在・未来)、空間的にも十方にわたって永遠・不滅であるということ。

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平成13年2月12日(月) 実台寺信行会(第二十回)資料
【自我偈の訓読・口語訳】その3
 汝等不聞此 但謂我滅度
汝等此れを聞かずして 但我滅度すと謂えり

それなのに、あなた達衆生は私のこの言葉を聞かずに、私すなわち仏というものは入滅するものと思い込んでいるのである。

○滅度…生死の苦を滅し、彼岸に渡(度)ること。涅槃のこと。また、入滅すること。



8. 我見諸衆生 没在於苦海 故不為現身 令其生渇仰 因其心恋慕 乃出為説法 
我諸の衆生を見れば 苦海に没在せり 故に為に身を現ぜずして 其れをして渇仰を生ぜしむ 其の心恋慕するに因って 乃ち出でて為に法を説く

私が仏の眼をもって衆生を見てみると、多くの衆生は苦海に沈んで苦しみもがいている。そんな状態であるから、わざと姿を現さないで衆生に一途に仏を求める心を起こさせるのである。衆生の心に仏を恋慕する心が起こったときに、直ちに仏は姿を現して法を説くのである。

○苦海…苦しみの海。衆生が住む現実世界。<苦界>
《参考》*四苦八苦…@生 A老 B病 C死  D愛別離苦  E怨憎会苦  F求不得苦  G五蘊盛苦
*十二因縁  *四諦 *八正道
  神通力如是 於阿僧祇劫 常在霊鷲山 及余諸住処
神通力是の如し 阿僧祇劫に於て 常に霊鷲山 及び余の諸の住処にあり

仏の神通力とはこのようなもので、阿曽祇劫という非常に永い年月の間いつも、霊鷲山だけではなく他のもろもろの場所においても(人が教えを求める場所には)仏は住しているのである。

○神通力 ○霊鷲山…共に19回資料参照
9. 衆生見劫尽 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満
衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり

衆生の目から見ると、この世界が終わって大火に焼き尽くされると見えたとしても、私の住む国土は安穏であって、天上界人間界の者がいつも沢山集まって楽しく暮らしている。

○劫尽きて…この世界が滅尽し終焉を迎えて。
《参考》*四劫…極めて長い時間の単位。一つの世界の形成から、次の世界の形成まで を四期に分ける。(成劫、住劫、壊劫、空劫)
 仏教では、宇宙は四劫を経て変化すると説く。(宇宙物理学の考え方にほぼ一致する)
○我此土安穏…仏の国土は安穏である。(本当の信仰によって心が清らかになった者は、この娑婆世界にいながら、仏の世界に住むことが出来る。)
《参考》*常寂光土…浄土のことを法華経ではこう表現する。
 *娑婆即寂光…私達の住むこの娑婆世界(穢土)も、信仰によって心が清らかになった者には、仏国土(浄土)となる。

  園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多花果 衆生所遊楽
園林諸の堂閣 種々の宝をもって荘厳し 宝樹華果多くして 衆生の遊楽する所なり

美しい花園、静かな林、沢山の堂閣はいろいろな宝石で飾られている。木々には美しい花が咲き、豊な果実が沢山なり、衆生が嬉々として遊び楽しんでいる。

○荘厳…仏像・仏堂を天蓋・幢幡・瓔珞その他の仏具・法具などで飾ること。

  諸天撃天鼓 常作衆伎楽 雨曼陀羅華 散仏及大衆
諸天天鼓を撃って 常に衆の妓楽を作し 曼陀羅華を雨らして 仏及び大衆に散ず

もろもろの天人界の人たちは、天の鼓を打ち鳴らし、常にいろいろな音楽を奏で、仏の私や衆生の上にも曼荼羅華という美しい花を無数に散らし注いでいる。

○曼荼羅華…天上に咲くという花の名。四華の一で、見る者の心を喜ばせるという。
      美しい花を仏様だけでなく大衆(衆生)の上にも降らせると言うことは、 衆生もまた尊い仏性を持った存在で、本質的には仏様も衆生も同じという こと。
    〔植〕チョウセンアサガオ・ムラサキケマンの別称でもある。

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平成13年4月12日(木) 実台寺信行会(第二十二回)資料
【自我偈の訓読・口語訳】その4
 我浄土不毀 而衆見焼尽 憂怖諸苦悩 如是悉充満
我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼け尽きて 憂怖諸の苦悩 是の如く悉く充満せりと見る
私の住している浄土はこのように美しくけっして壊れることはないのに、それにもかかわらず、多くの人々は、この国土は劫火によって焼き尽くされていて、憂いや怖れなどの多くの苦悩がすべて満ち満ちていると思っている。
○我浄土不毀…仏の目から見た世界は焼けも壊れもしない。(心が宗教的に清められていれば、物で成り立っている外の世界がどう変わっても、精神は常に平和なのである。)
○焼尽…「劫火」によって焼き尽くされる。「劫火」とは、四劫の中の壊劫のときに起こる。人の住む世界を焼き尽くして灰燼とするという大火。
○憂怖諸の苦悩…衆生の目から見るとこのように見えるということ。
 是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名
是の諸の罪の衆生は 悪業の因縁を以て 阿僧祇劫を過ぐれども 三宝の名を聞かず
このように煩悩に迷っている多くの衆生は、良くない行いの原因によって過阿僧祇劫という永い時間を経ても、仏・法・僧という三宝という言葉すらも耳にすることがない。
○罪の衆生…せっかく仏になるべき本性を持っていながら、その尊い性質を生かさず、怠惰ないい加減な生き方をしている人間全部をいっている。
○悪業…善いことをする能力がありながら、なさずに怠惰ないい加減な生き方をするのはすべて悪業。
○不聞三宝名…三宝(仏教徒がよりどころとすべき三つの尊い宝。仏法僧。「僧」とは「僧伽・サンガ」のことで、同信の人の集まり)。   尊い仏様の教えに接することもなく一生を終わってしまう、ということ。

 諸有修功徳 柔和質直者 則皆見我身 在此而説法
諸の有ゆる功徳を修し 柔和質直なる者は 則ち皆我が身 此にあって法を説くと見る
それに対して、(三宝に帰依し)あらゆる功徳を修め心が柔和で素直な人は、直ぐに私がこの娑婆世界にあって教えを説いていることを知ることが出来るのである。
○柔和…我執の念(俺は偉いんだ、などの気持ち)がなくなった状態。
○質直…己を欺かず、他人を欺かず本当の気持ちで生きていくこと。
 或時為此衆 説仏寿無量 久乃見仏者 為説仏難値
或時は此の衆の為に 仏寿無量なりと説く 久しくあって乃し仏を見たてまつる者には為に仏には値い難しと説く
私は、ある時は、このように教えを求める人のために「仏の寿命は無限である(だからあなた方も同じになれますよ)」と説く。また、長い時間を掛けて今ようやく仏にお会いすることが出来たような(未熟な)人に対しては、それだからこそ「仏にお会いすることは極めて難しく尊いことなのだ(だから、シッカリした気持ちで修行しなさい)」と説くのである。
○乃し(いまし)…ちょうど今。「し」は、前の語を強める意味。
 我智力如是 慧光照無量 寿命無数劫 久修業所得
我が智力是の如し 慧光照すこと無量に 寿命無数劫 久しく業を修して得る所なり
私の智慧の働きはこのように自在であり、智慧の光はすべての衆生を照らしてその限界がない。また、私の寿命は永遠であり、それは永い修行を積んだ結果得られたものなのである。
○慧光照無量 寿命無数劫…智慧・寿命が無量。これらはいずれも仏様の本質で、長い年月菩薩としての善業を積んだ報い(報身仏)として得られた。
 汝等有智者 勿於此生疑 当断令永尽 仏語実不虚
汝等智あらん者 此に於て疑を生ずることなかれ 当に断じて永く尽きしむべし 仏語は実にして虚しからず
あなた方智慧のある人たちは、ここで(仏の智慧・寿命の無量であることを)疑いを抱いてはならない。 疑惑があれば、それは本当に断ち尽くしなさい。仏の説く言葉は、常に真実であってけっして偽りではないのである。
○仏語実不虚…この言葉を信じて仏法に励むべきでしょう。

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平成13年5月12日(土) 実台寺信行会(第二十三回)資料
【自我偈の訓読・口語訳】その5
 如医善方便 為治狂子故 実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者
医の善き方便をもって 狂子を治せんが為の故に 実には在れども而も死すというに 能く虚妄を説くものなきが如く 我も亦為れ世の父 諸の苦患を救う者なり
「医者(である父親)が、正しい方便(手段)として、(毒に当てられて)本心を失くしている子供たちを治すために、実際は生きているのに(父である自分は)死んでしまったと伝えたこと」(『良医良薬の譬』)を、それは嘘を言っていると咎める者はいないであろう。それと同じように、私も亦この世の父であって、(巧みな方便をもって)衆生をもろもろの悩み・苦しみから救う者なのである。
○良医良薬の譬…毒薬のため本心を失った子供たち<衆生>は、良薬<法華経>を飲まなかったため、父<仏>である良医は方便を設けて「父は死せり」と告げた。すると子供らは驚いて本心を取り戻して薬を飲み病は治り、父もやがて帰ってきたという話。(「日蓮宗小事典」より)
○我も亦為れ世の父…「今此の三界は、皆是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯我れ一人のみ能く救護を為す。」(「譬喩品第三」)

 為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生[恣心 放逸著五欲 墮於悪道中
凡夫の顛倒せるを為て 実には在れども而も滅すと言う 常に我を見るを以ての故に 而も・恣の心を生じ 放逸にして五欲に著し 悪道の中に堕ちなん
 しかし、凡夫は心が顛倒していて、そのような仏(私)の計らいに気付かないので、(それに気付かせるために)実際はいつもこの世にあって法を説いているのだけれども、私の肉身は滅してしまうと言うのである。衆生はいつでも私(仏)に会えると思うと、そのために(仏の教えもそれほど有り難いものではないという)驕ったわがままな心が生じ、気ままに振舞って五官の欲望に執着し、地獄・餓鬼・畜生の三悪道のなかに落ちてしまうのである。
○顛倒…(ひっくり返ること)。物事を逆さまに考えて、実相を見まちがえること。
  第19回資料参照。
○驕恣…心がおごって気ままなこと。
○放逸…わがままなこと。勝手気ままでしまりのないこと。
○五欲…(五官の欲望)。眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身(触覚)
 *執着
○悪道…地獄・餓鬼・畜生の三悪道。
*六道(六趣)…地獄・餓鬼・畜生(三悪道)、
   修羅・人間・天上(三善道)
六つの苦しみの世界。これらは、私たちの心が作り出す心的状態という。
      「六道輪廻」とは、人の心がその時々にこの六つの心的状態をぐるぐると巡っていること。
地獄…心が怒りで満ち満ちている状態。  瞋恚。
餓鬼…貪欲な心が限りなく湧いてきて満足することを知らない。  貪欲。
畜生…智慧が全くなく愚かなこと。従って、道理がわからず本能のままに動く。  愚痴。(「貪・瞋・痴」を三毒という。)
修羅…何でも自分に都合良く考える利己的な心。従って、人と対立し争いに発展する。修羅場などの表現。  諂曲(こびへつらう)。
人間…凡夫としての普通の人間。良心もあり、抑制心もある。但し、それらは一時的。  平生。
天上…歓喜の世界。しかし、これも一時的・表面的なもので不変のものではないから、場合によっては地獄道などに落ちることもある。  歓喜。
  我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法
我常に衆生の 道を行じ道を行ぜざるを知って 度すべき所に随って 為に種々の法を説く
私はいつも、衆生の中のある者は仏道の修行に専念し、ある者は怠っているということを見ているから、その人の悟りに至れる力量に応じて、いろいろな教えを説くのである。
○随応所可度 為説種種法
 *対機説法…相手の機根(資質・能力)に応じて法を説く。 *「応病与薬」
 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身
毎に自ら是の念を作す 何を以てか衆生をして 無上道に入り 速かに仏身を成就することを得せしめんと
私はいつも次のような想いを持ち続けている。どのようにしたら、衆生をこの上ない仏の道に導き入れることが出来るであろうか、また、速やかに仏の悟りに到達させることが出来るであろうかと。
○毎自作是念…仏様の深い慈悲心。仏の本願

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平成15年6月12日(木) 実台寺信行会(第三十九回)資料
観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕 (1)
観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕
「観世音」 世音(世間の人々の声・訴え)を、よく観る(詳しく観察する)。
「普門」 普くすべてのものを入れる。(「門」は、入れること。)→あらゆる人を救う。
「念彼観音力」(彼の観音の力を念ぜば)
     →火難(焼かれる)・水難(溺れる)・風難(翻弄される)・剣難(身を切られる)・鬼難(鬼を見る)・獄難(囚われる)・賊難(奪われる)の七難を避ける。
     →貪(むさぼる)・瞋(いかる)・痴(ぐちる)の三毒を滅する。
     →生・老・病・死の人生の四苦から逃れる。また、願いどおりの子が得られる、など。
霊験とは、〈信仰のまごころ〉による。(自分の外側にある観音様の神通力に助けられるわけではない。)
    信仰するものの純粋な心が真理〈真如である妙法〉に感応したために、行いも、環境も、真理のルールに乗った、と考えられる。
                                                                                                                                                                 (「新釈法華三部経」による。)
◎三十三身に変化する→三十三ヵ所の霊場巡り
観音信仰
      庶民の信仰のビッグスリー … @観音 A地蔵 B不動
      観音様の浄土 … 補陀落浄土 ← 「ポタラカ」を音写
      チベットの「ポタラ宮」
     日本では、熊野の那智山、日光の男体山
      「日光」という名の由来
      補陀落 →「二荒(ふたら)」 →「二荒(にこう)」→「日光」    *二荒神社

【本文講読】
世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音
世尊は妙相具わりたまえり 我今重ねて彼れを問いたてまつる 仏子何の因縁あってか 名けて観世音とする
仏さま(釈迦牟尼世尊)は、三十二相・八十種好というすばらしいお姿を具えていらっしゃる。そこで、私は今かさねて彼(観世音菩薩)についてお尋ねします。あの仏弟子はどういういわれで観世音と名付けられたのでしょうか。
○世尊…聖なる者。釈尊。
○妙相…偉人の持つ心身のすぐれた特徴。
*三十二相…仏に具わる32の優れた特徴。(例、偏平足、直立で手が膝に届く、男根が体内に隠 れている、歯が40本、舌は顔を覆うほど大きい、眉間に白毛がある、など。)
*八十種好…仏や菩薩に伴う優れた80の特徴。(例、象のようにゆったり歩く、耳たぶが輪状に 垂れ下がっている、など。)
○仏子…@仏の教えを信ずる人。仏弟子。仏教徒。A菩薩。B一切の衆生
具足妙相尊 偈答無尽意 
妙相を具足したまえる尊 偈をもって無尽意に答えたまわく
すばらしいお姿を具えていらっしゃる仏さまは、偈(功徳をほめる韻文)によって無尽意菩薩にお答えになった。
○無尽意…衆生救済について尽きることのない意志を持った菩薩。
汝聴観音行 善応諸方所 弘誓深如海 歴劫不思議
汝観音の行を聴け 善く諸の方所に応ずる 弘誓の深きこと海の如し 劫を歴とも思議せじ
汝、無尽意菩薩よ。観世音菩薩の今までの行ないについて聞きなさい。あらゆる苦境にある人々を、あらゆる方法を講じて救おうという、観世音菩薩の広大な誓いの深いことは海のようであって、普通の人にはどんな長い時間を掛けても、考え及ばないであろう。
○観音行…観世音菩薩の今までの行ない。積んできた深い修行と偉大な実践力。
○弘誓…@弘く一切衆生を済度して仏果を得させようとする仏・菩薩の広大な誓願。A四弘誓願のこと。
侍多千億仏 発大清浄願 我為汝略説
多千億の仏に侍えて 大清浄の願を発せり 我汝が為に略して説かん
かつて無数の仏に仕えて教えを受け、大いなる清浄の願を起こした。私(釈尊)が今汝のために、そのあらましを説き聞かそう。
○大清浄願…大いなる清らかな誓願。
 *清浄…煩悩の汚れがなく、清らかなこと。心は、本来清らかなものであるが、社会生活を送  ると共に濁っていくので、修行して本来の清らかさを取り戻す必要がある、とする。
 *願…目標を定めて、それを得ようと願い求めること。(誓願)
願を達成するための修行(実行・努力)を「行」と言い、合わせて「願行」と言う。
  大乗の菩薩がすべてのものの救済を願うのは、慈悲の心を根本とするので《悲願》という。
聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦
名を聞き及び身を見 心に念じて空しく過ぎざれば 能く諸有の苦を滅す
観世音菩薩という名を聞き、姿を見、心に思い描いて、無為に時を過ごすことが無ければ、あらゆる苦悩を滅することができる。

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        実台寺信行会(第四十回)資料
観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕 (2)
  【本文講読】

仮使興害意 推落大火坑 念彼観音力 火坑変成池
仮使害の意を興して 大なる火坑に推し落さんに 彼の観音の力を念ぜば 火坑変じて池と成らん
たとえば、だれかがその人を殺害しようとして大きな火の穴に突き落としたとしても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、火の穴はたちまちに変じて水を湛えた池となるでしょう。
○火坑…我執から生じたさまざまな苦悩、とも考えられる。
○火坑変成池…一心に観音様の救済力を念ずることによって我執というものが消えること。
○念彼観音力…一心に観音様の救済力を念ずる。一心不乱に念ずることによって、観音様の心と一体となり、それ以外の雑念から離れることができる。
或漂流巨海 龍魚諸鬼難 念彼観音力 波浪不能没
或は巨海に漂流して 龍・魚・諸鬼の難あらんに 彼の観音の力を念ぜば 波浪も没すること能わじ
あるいは大海に漂流して、龍や大魚やさまざまな鬼に出遭って危害を加えられようしたとしても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、激しい大波もその人を沈めてしまうことは出来ないでしょう。
○漂流巨海…私たちはみな同じいかだに乗って生死の海に浮かんでいるようなもの。
○龍魚諸鬼難…「龍」は、怪奇なものの総称( 想像上の怪物)。「魚」は、人を呑み込むような恐 ろしい大魚。「諸鬼」は、人間に害をはたらく怪物( 想像上の怪物)。すべて、私たちの心の怪奇なはたらき。(貪・瞋・痴など)
或在須弥峯 為人所推墮 念彼観音力 如日虚空住
或は須弥の峰に在って 人に推し堕されんに 彼の観音の力を念ぜば 日の如くにして虚空に住せん
あるいは須弥山の頂上に立っている人が、そこから誰かに突き落とされたとしても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、下まで落ちることなく、太陽のように空中にとどまっていることでしょう。
○在須弥峯…世界の最高峰の頂上に立つ。自分が頂点にいるといううぬぼれ心(増上漫)。
○如日虚空住…太陽のように空中にとどまっている。
或被悪人逐 墮落金剛山 念彼観音力 不能損一毛
或は悪人に逐われて 金剛山より堕落せんに 彼の観音の力を念ぜば 一毛をも損すること能わじ
あるいは悪人に追いかけられて金剛山の上から転落しそうになっても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、かすり傷さえ負うことはないでしょう。
○被悪人逐…「悪人」とは、〈弱い心〉を表わす。悪いこととは知りながらそれを抑えることの出来な い弱い心の人間、ということ。
○金剛山…堅いダイヤモンドの山。確固として揺るがず、崩れることのない山。 揺るぎない主体性を持った自分自身。

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平成15年8月12日(火) 実台寺信行会(第四十一回)資料
観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕 (3)
【本文講読】
或値怨賊繞 各執刀加害 念彼観音力 咸即起慈心
或は怨賊の遶んで 各刀を執って害を加うるに値わんに 彼の観音の力を念ぜば 咸く即ち慈心を起さん
あるいは凶悪な盗賊たちが周りを取り囲んで刀を抜いて危害を加えようとしても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、盗賊たちは皆害意を亡くして情け深い心を起こすでしょう。
○怨賊…(怨みをもった)凶悪な盗賊。
○繞… まとう。まつわる。めぐる。とりまく。
或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壞
或は王難の苦に遭うて 刑せらるるに臨んで寿終らんと欲せんに 彼の観音の力を念ぜば 刀尋いで段段に壊れなん
あるいは政治上の迫害に遭って刑に処せられ、命を断たれようとする時でも、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、斬ろうと振り上げた刀も折れてバラバラになってしまうでしょう。
○王難…王から受ける災難。絶大な権力をもった人から受ける災難。
或囚禁枷鎖 手足被堋械 念彼観音力 釈然得解脱
或は枷鎖に囚禁せられて 手足に堋械を被らんに 彼の観音の力を念ぜば 釈然として解脱することを得ん
あるいは、手かせ足かせをはめられて獄に監禁されても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、束縛を解かれて自由になれることでしょう。
○囚禁…身柄を束縛して自由を許さない。「監禁」
○枷鎖…「枷」刑具の一。鉄や木で作り、罪人の頸または手足などにはめて自由を束縛するもの。
○堋・械…かせ。罪人の手足の自由をきかなくする刑具。「桎梏シッコク」
○釈…とく。しめて固めたものを、一つ一つときほぐす。→(わからない部分をときほぐす。)
呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人
呪詛諸の毒薬に 身を害せんと欲せられん者 彼の観音の力を念ぜば 還って本人に著きなん
呪いを掛けられたり、いろいろな毒薬によって身を害されようとした人も、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、その害毒は、跳ね返って掛けてきた当人に取り付くことでしょう。
○呪詛…「呪」も「詛」も、のろい。怨みのある人に禍があるようにと神仏に祈ること。
*他人に対する悪念は、必ず自分を傷つける。*爾に出づる者は、爾に反る者なり。
或遇悪羅刹 毒龍諸鬼等 念彼観音力 時悉不敢害
或は悪羅刹 毒龍諸鬼等に遇わんに 彼の観音の力を念ぜば 時に悉く敢て害せじ
あるいは、邪悪な鬼や、毒龍や、人に害を加えるもろもろの悪神に出くわしても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、その時、いずれのものも、害を加えることはまったくないでしょう。
○羅刹…人を食うという悪鬼。赤い髪、青い目、黒いからだで、するどいつめと、きばを持っているという。
○鬼…人力以上の力をもち、人間を害するもの。 恐ろしい形をして、人に害を与える悪神。
○釈…とく。しめて固めたものを、一つ一つときほぐす。→(わからない部分をときほぐす。)
若悪獣囲繞 利牙爪可怖 念彼観音力 疾走無辺方
若しは悪獣圍遶して 利き牙爪の怖るべきに 彼の観音の力を念ぜば 疾く無辺の方に走りなん
もし、獰悪な獣が周りを取り囲んで、鋭い牙や爪で迫るような恐ろしい場に遭遇しても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、たちまち、果てしない彼方に走り去ってしまうでしょう。
○囲繞…かこいめぐらすこと。
○利牙爪…鋭い牙と爪。
竅蛇及蝮蠍 気毒煙火然 念彼観音力 尋声自回去
竅蛇及び蝮蠍 気毒煙火の燃ゆるがごとくならんに 彼の観音の力を念ぜば 声に尋いで自ら廻り去らん
竅蛇や蝮蠍などの猛毒の怪物が、毒気を煙火のように吐きかけてきても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、その声を聞いて、おのずから向きを変えて去って行ってしまうでしょう。
○竅・蛇・蝮・蠍…「竅・蝮」は、マムシなどの毒蛇。 「蠍」は、さそり。
○釈…とく。しめて固めたものを、一つ一つときほぐす。→(わからない
雲雷鼓掣電 降雹埴大雨 念彼観音力 応時得消散
雲雷鼓掣電し 雹を降らし大なる雨を埴がんに 彼の観音の力を念ぜば 時に応じて消散することを得ん
雲がわき起こり、雷が轟き、いなづまが光り、あられを降らし、大雨を降り注ぐような凄まじい場面に遭遇しても、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、そのような現象は、たちまちに、消え失せてしまうでしょう。
○雷鼓…雷のとどろく音。太鼓を鳴らしとどろかせる。
○掣電…いなずま。電光。(物ごとの速いたとえ。短い時間のたとえ。)
○応時…時候にうまくあわせる。〔俗〕すぐに。

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平成15年9月12日(金) 実台寺信行会(第四十二回)資料
観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕 (4)
 観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕

【本文講読】
衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦
衆生困厄を被って 無量の苦身をせ逼めんに 観音妙智の力 能く世間の苦を救う
多くの人が災難を被って、限りない苦悩にさいなまれている時に、観世音菩薩の不可思議な智慧の力は、よく人々の苦しみを救うことが出来るのです。
○困厄…苦しむこと。難儀すること。また、苦しみ。災難。
○逼…《ヒツ》《せまる》すぐそばまで近づく。ひしひしとおしよせる。逼迫。
○観音妙智力…観音様の不可思議な智慧の力。
○妙…人智では計り知れないほど奥深い。
具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身
神通力を具足し 広く智の方便を修して 十方の諸の国土に 刹として身を現ぜざることなし
観世音菩薩は何でも自由に成し得る神通力を備えもち、広く智慧の巧みな手段を用いて、この世界のどんな所にでも、何時でも身を現して衆生を導いて下さいます。
○神通力…どんなことでも自由自在にできる不思議な力。何事でもなし得る霊妙な力。
○方便…衆生を教え導く巧みな手段。真理に誘い入れるために仮に設けた教え。
○刹…刹那。極めて短い時間。一弾指(指ではじく短い時間)の間に65刹那あるという。一瞬間    ⇔劫。
種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅
種々の諸の悪趣 地獄鬼畜生 生老病死の苦 以てようや漸くことごと悉く滅せしむ
さまざまなもろもろの悪道、即ち地獄道・餓鬼道・畜生道や、生・老・病・死の苦をだんだんに取り除き、ついにはすっかりと消滅させて下さるのです。
○悪趣…(「趣」は趣く場所の意) 現世で悪事をした結果、行かねばならない苦しみの世界。
  悪道とも漢訳する。地獄・餓鬼・畜生を三趣・三悪道という。⇔善趣・善道。
○漸…(ようやく)。次第に。だんだんに。
真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰
真観清浄観 広大智慧観 悲観及び慈観あり 常に願い常にせんごう瞻仰すべし
観世音菩薩は、真実を見極める物の見方、清らかな物の見方、広大無辺な智慧による物の見方、他の苦しみを除いてやろうという優しい物の見方、他に喜びを与えようという慈しみに基づく物の見方、を有していらっしゃいます。このような観世音菩薩に対して、常に自分もそうありたいと願い、常に尊び敬わなければなりません。
○観…物の見方。世界観・人生観。
○真観…真実を見極める物の見方
○清浄観…清らかな物の見方
○広大智慧観…広大無辺な智慧による物の見方
○慈悲…仏が衆生の苦しみを除き、楽しみを与えること。あわれみ。情け。
    ▽楽を与えるのを「慈」、苦を除くのを「悲」という。
○瞻仰…みあげること。人を尊敬する。
無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間

無垢清浄の光あって 慧日諸の闇を破し 能く災の風火を伏して 普く明らかに世間を照らす

観世音菩薩は、汚れなき清浄な光を衆生に潅ぎ、その智慧の光りは、すべての闇を取り除き、襲い来る災いを打ち伏して、明るくこの世の中全体を照らします。

○無垢清浄光…
悲体戒雷震 慈意妙大雲 ?甘露法雨 滅除煩悩焔
悲体の戒雷震のごとく 慈意の妙大雲のごとく 甘露の法雨を?ぎ 煩悩の焔を滅除す
観世音菩薩の説かれる戒めは、雷が打ち震うような力を持ち、衆生を幸せにしたいという譬えようもなくありがたい心は、乾きに雨をもたらす大雲のようで、甘露のような味わい深い教えの雨を降り注ぎ、衆生の煩悩の炎を消滅させてくれるのです。
○悲体の戒…観世音菩薩の戒め。「悲」は苦を除くこと。「悲体」とは、観世音菩薩のこと。
○慈意の妙…衆生を幸せにしようという何とも譬えようのないありがたい心。「慈」は楽を与えること。
諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散
諍訟して官処をへ経 軍陣の中に怖畏せんに 彼の観音の力を念ぜば もろもろ衆のあだ怨悉く退散せん
訴訟を起こして裁判所で争ったり、戦いにまでなって戦場で恐ろしい場面に遭った時でも、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、もろもろの怨みなどはすっかり散り去ってしまうでしょう。
○諍訟…(ソウショウ=争訟)うったえいいあらそう。うったえ。
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念
妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音あり 是の故に須らく常に念ずべし
観世音菩薩は、優れた教え・世間の人のそれぞれの訴えに対する適切な教え・清浄な、澄んだ心で説く教え・普く一切の人の心に訴え迫る教え・世間一切の迷いや苦しみを除いてやる教え、を説いていらっしゃいます。それゆえに、いつでも観世音菩薩の救いを心に念じていなければなりません。
○妙音…優れた教え。優れた説法者が説く真理のことば。
○観世音…世間の人のそれぞれの訴えに対する適切な教え。
○梵音…清浄な、澄んだ心で説く教え。「梵」は、清らかなという意味で、仏教に関する物事につける。「梵行」など。
○海潮音…海鳴りが重々しく遠くまで響くように、普く一切の人の心に訴え迫る教え。
○勝彼世間音…「彼の世間に勝る音」。世間一切の迷いや苦しみを除いてやる教え。
○須らく〜べし…当然〜べきである。当然〜しなければいけない。

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平成15年10月12日(日) 実台寺信行会(第四十二回)資料
観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕 (5)
観世音菩薩普門品第二十五

【本文講読】

衆生被困厄 無量苦逼身 観音妙智力 能救世間苦

   衆生困厄を被って 無量の苦身を逼(せ)めんに 観音妙智の力 能く世間の苦を救う
   多くの人が災難を被って、限りない苦悩にさいなまれている時に、観世音菩薩の不可思議な智慧の力は、よく人々の苦しみを救うことが出来るのです。

   ○困厄…苦しむこと。難儀すること。また、苦しみ。災難。
   ○逼…《ヒツ》《せまる》すぐそばまで近づく。ひしひしとおしよせる。逼迫。
   ○観音妙智力…観音様の不可思議な智慧の力。
   ○妙…人智では計り知れないほど奥深い。


具足神通力 広修智方便 十方諸国土 無刹不現身

神通力を具足し 広く智の方便を修して 十方の諸の国土に 刹として身を現ぜざることなし
観世音菩薩は何でも自由に成し得る神通力を備えもち、広く智慧の巧みな手段を用いて、この世界のどんな所にでも、何時でも身を現して衆生を導いて下さいます。

   ○神通力…どんなことでも自由自在にできる不思議な力。何事でもなし得る霊妙な力。
   ○方便…衆生を教え導く巧みな手段。真理に誘い入れるために仮に設けた教え。
   ○刹…刹那。極めて短い時間。一弾指(指ではじく短い時間)の間に65刹那あるという。一瞬間⇔劫。


種種諸悪趣 地獄鬼畜生 生老病死苦 以漸悉令滅

   種々の諸の悪趣 地獄鬼畜生 生老病死の苦 以て漸(ようや)く悉(ことごと)く滅せしむ。
   さまざまなもろもろの悪道、即ち地獄道・餓鬼道・畜生道や、生・老・病・死の苦をだんだんに取り除き、ついにはすっかりと消滅させて下さるのです。

   ○悪趣…(「趣」は趣く場所の意) 現世で悪事をした結果、行かねばならない苦しみの世界。悪道     とも漢訳する。地獄・餓鬼・畜生を三趣・三悪道という。⇔善趣・善道。
   ○漸…(ようやく)。次第に。だんだんに。


真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰

   真観清浄観 広大智慧観 悲観及び慈観あり 常に願い常に瞻仰(せんごう)すべし
   観世音菩薩は、真実を見極める物の見方、清らかな物の見方、広大無辺な智慧による物の見方、他の苦しみを除いてやろうという優しい物の見方、他に喜びを与えようという慈しみに基づく物の見方、を有していらっしゃいます。このような観世音菩薩に対して、常にご加護してくださるようお願いし、常に尊び敬わなければなりません。

   ○観…物の見方。世界観・人生観。
   ○真観…真実を見極める物の見方
   ○清浄観…清らかな物の見方
   ○広大智慧観…広大無辺な智慧による物の見方
   ○慈悲…仏が衆生の苦しみを除き、楽しみを与えること。あわれみ。情け。
     ▽楽を与えるのを「慈」、苦を除くのを「悲」という。
   ○瞻仰…みあげること。人を尊敬する。


無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間

   無垢清浄の光あって 慧日諸の闇を破し 能く災の風火を伏して 普く明らかに世間を照らす
   観世音菩薩は、汚れなき清浄な光を衆生に潅ぎ、その智慧の光りは、すべての闇を取り除き、襲い来る災いを打ち伏して、明るくこの世の中全体を照らします。

   ○無垢清浄光…


悲体戒雷震 慈意妙大雲 ?甘露法雨 滅除煩悩?

   悲体の戒雷震のごとく 慈意の妙大雲のごとく 甘露の法雨を?ぎ 煩悩の?を滅除す
   観世音菩薩の説かれる戒めは、雷が打ち震うような力を持ち、衆生を幸せにしたいという譬えようもなくありがたい心は、乾きに雨をもたらす大雲のようで、甘露のような味わい深い教えの雨を降り注ぎ、衆生の煩悩の炎を消滅させてくれるのです。

   ○悲体の戒…観世音菩薩の戒め。「悲」は苦を除くこと。「悲体」とは、観世音菩薩のこと。
   ○慈意の妙…衆生を幸せにしようという何とも譬えようのないありがたい心。「慈」は楽を与えること。


諍訟経官処 怖畏軍陣中 念彼観音力 衆怨悉退散

   諍訟(じょうしょう)して官処を経(へ) 軍陣の中に怖畏せんに 彼の観音の力を念ぜば 衆(もろもろ)の怨(あだ)悉く退散せん
   訴訟を起こして裁判所で争ったり、戦いにまでなって戦場で恐ろしい場面に遭った時でも、あの観世音菩薩の救済力を一心に念ずるならば、もろもろの怨みなどはすっかり散り去ってしまうでしょう。

   ○諍訟…(ソウショウ=争訟)うったえいいあらそう。うったえ。


妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音 是故須常念

   妙音観世音 梵音海潮音 勝彼世間音あり 是の故に須らく常に念ずべし
   観世音菩薩は、優れた教え・世間の人のそれぞれの訴えに対する適切な教え・清浄な、澄んだ心で説く教え・普く一切の人の心に訴え迫る教え・世間一切の迷いや苦しみを除いてやる教え、を説いていらっしゃいます。それゆえに、いつでも観世音菩薩の救いを心に念じていなければなりません。

   ○妙音…優れた教え。優れた説法者が説く真理のことば。
   ○観世音…世間の人のそれぞれの訴えに対する適切な教え。
   ○梵音…清浄な、澄んだ心で説く教え。「梵」は、清らかなという意味で、仏教に関する物事につける。「梵行」など。
   ○海潮音…海鳴りが重々しく遠くまで響くように、普く一切の人の心に訴え迫る教え。
   ○勝彼世間音…「彼の世間に勝る音」。世間一切の迷いや苦しみを除いてやる教え。
   ○須らく〜べし…当然〜べきである。当然〜しなければいけない。


テキスト ボックス: *六道(六趣)…	六つの苦しみの世界。これらは、私たちの心が作り出す心的状態という。
地獄・餓鬼・畜生(三悪道)、  修羅・人間・天上(三善道)
地獄…心が怒りで満ち満ちている状態。瞋恚。
餓鬼…貪欲な心が限りなく湧いてきて満足することを知らない。貪欲。  (「貪・瞋・痴」を三毒という。)
畜生…智慧が全くなく愚かなこと。従って、道理がわからず本能のままに動く。愚痴。
修羅…何でも自分に都合良く考える利己的な心。人と対立し争いに発展する。修羅場などの表現。諂曲。
人間…凡夫としての普通の人間。良心もあり、抑制心もある。但し、それらは一時的。平生。
天上…歓喜の世界。これも表面的なもので不変のものではないから、地獄道などに落ちることもある。歓喜。

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平成15年12月12日(金) 実台寺信行会(第四十三回)資料
観音経〔観世音菩薩普門品第二十五〕 (6)
【本文講読】

念念勿生疑 観世音浄聖 於苦悩死厄 能為作依怙

   念念に疑を生ずることなかれ 観世音浄聖は 苦悩死厄に於て 能く為に依怙(えこ)と作(な)れり
   ほんの一瞬たりとも疑いの心を起こしてはいけません。観世音菩薩は清らかな方であって、私たちが苦悩や災難に出会った場合に、本当に頼りにすることが出来るお方です。

   ○念…瞬間。「念念」は、きわめて短い時間。刹那刹那。一瞬一瞬。
   ○浄聖…清らかな聖者
   ○苦悩・死厄に於いて…苦悩や災難に出会った場合に
   ○依怙(えこ)…頼りになるもの。「依」も「怙」も、「たよりにする」意。


具一切功徳 慈眼視衆生 福聚海無量 是故応頂礼

   一切の功徳を具して 慈眼をもって衆生を視る 福聚の海無量なり 是の故に頂礼すべし
   観世音菩薩は、あらゆる功徳を備え、慈悲の眼をもって衆生を見ておられます。一切の川が海に集まり注ぐように、あらゆる福を併せ持つ観世音菩薩の力は計り知れないものがあります。だから、観世音菩薩に低頭・合掌して恭敬の意を表しなさい。

   ○功徳…@よい果報をもたらすもととなる善行。A善行の結果として与えられる神仏のめぐみ。
   ○慈眼…慈悲の眼。苦悩するあらゆる人を幸福にしてやりたいという思い。
   ○頂礼…両膝・両肘・額を地につけて、尊者・仏像などを拝すること。接足礼。
         五体投地のこと。最高の礼法。


爾時持地菩薩。即従座起。前白仏言。世尊。若有衆生。聞是観世音菩薩品。自在之業。普門示現。神通力者。当知是人。功徳不少。

   爾の時に持地菩薩、即ち座より起って、前(すす)んで仏に白(もう)して言(もう)さく、世尊、若し衆生あって是の観世音菩薩品の自在の業・普門示現の神通力を聞かん者は、当に知るべし、是の人の功徳少からじ。
   お釈迦さまがお話を説き終えられると、直ぐに持地菩薩が座から立ち上がって、前に進み出て申し上げたことは、「衆生が、この観世音菩薩の自由自在な働きと、どんな人に対してもその人を救うのにふさわしい姿を現して救ってくださる神通力のこととを聞き知ったならば、その人は大きな功徳を得ることでしょう。」

   ○爾時…その時。お釈迦さまが観世音菩薩のことを説き終えられた時。
   ○持地菩薩…地蔵菩薩の別名。釈尊の入滅後、弥勒仏の出生するまでの間、
        無仏の世界に住して六道の衆生を教化・救済するという菩薩。
   ○自在の業…自由自在の行ない。
   ○普門示現…観世音菩薩は、衆生済度のために、この世のどんな所にも、
        その場にふさわしい者に身を変えて、自在に姿を現わされる、ということ。
        「普」は、あまねく、どんなところにも。「門」は、入口。
        「普門」は、誰に対してでも、すべての人に開放されている。


仏説是普門品時。衆中八万四千衆生。皆発無等等。阿耨多羅三藐三菩提心。

   仏、是の普門品を説きたもう時、衆中の八万四千の衆生、皆無等等の阿耨多羅三藐三菩提の心を発(おこ)しき。
   お釈迦さまがこの普門品を説き終えられると、聴衆の中のおおぜいの衆生は、比べようもなく勝れた、そして、努めれば誰にも道のひらかれている仏の智慧を得たいという心を起こしたのです。

   ○八万四千…たくさんの。
   ○無等等…「無等」は、一番勝れている、という意。(比べるものが無いということ)。
        「等」は、等しく誰にもできる、ということ。
        従って、「無等等」とは、一番勝れているのだが、
        努めれば、それが誰にも可能である、という意味になる。
   ○阿耨多羅三藐三菩提…最高の正しい悟りの意で、仏陀の悟りを指す。
        「無上正等正覚」、「無上正遍知」と漢訳。

まとめ

・観世音菩薩は、「真理の智慧」の象徴であると同時に、大悲代受苦と言って「多くの人々に代わってその苦しみを引き受けてあげる」という「大慈大悲の徳」の象徴でもある。

・観世音菩薩は、世間の音を観ずる(=世のすべての動きを知り、人々の欲するところをも見通す)という優れた洞察力を持ち、三十三の姿となって現れ、あらゆる苦しみを救う菩薩として説かれている。

・観世音菩薩は、災難に遭った時拝みさえすればすぐ助けてくれると浅く解釈され、安易な拝み信仰の対象とされるが、自分の外側にある観音様の神通力に助けられるわけではない。観音様の霊験とは、〈信仰のまごころ〉によるのである。信仰するものの純粋な心が真理〈真如である妙法〉に感応したために、行いも、環境も、真理のルールに乗った、と考えられる。(「新釈法華三部経」による。)
・この品では、人々の苦しみを見ると救いの手を差し伸べずにいられなくなるという観世音の大慈悲心を身につけることが大切であること、また、その自由自在の力へのあこがれについて説いている。


◎観世音菩薩の二つの大きな徳

1.普門示現:それぞれの人にふさわしい身となって示現すること。
2.大悲大受苦:この世にただ一人でも苦しみ悩むものがいる限り、人々の救いに徹する心。

◎五観

1.真 観  (真実を見極める眼)
2.清浄観  (迷いのない清らかな眼)
3.廣大智慧観(宇宙の万物を自分と一体と見る広大な眼)
4.悲 観  (すべての苦しみ悩めるものを救わねばならぬというやさしい思いに満ちた眼)
5.慈 観  (ありとあらゆる衆生を幸せにしてやりたいという慈しみをたたえた眼)

◎五妙音

1.妙音、2.観世音、3.梵音、4.海潮音、5.勝彼世間音

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