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信行会講義(3)

一日一訓 日蓮上人のお言葉
第1日 仏子の自覚 第11日   唱題の功徳 第21日   父母への孝養  第31日   絶対の浄土
第2日 臨終を習う  第12日  精進の法悦  第22日  夫と妻    
第3日  菩提心を発す  第13日  三大誓願  第23日  女人の力    
第4日  仏道修学  第14日  異体同心  第24日  生命の尊厳    
第5日 行学二道  第15日  皆帰妙法  第25日  知恩報恩    
第6日 信心唱題  第16日  実乗の一善  第26日  懺悔滅罪    
第7日 法華経の徳  第17日  釈尊の御領  第27日  三業受持    
第8日 仏の大慈  第18日  独立自尊  第28日  信心成仏    
 第9日  題目の受持  第19日  仏法と世法  第29日  広宣流布    
 第10日  仏性の開顕  第20日  地獄と仏界  第30日  慈悲広大    



第1日「仏子の自覚」
この土の我等衆生は五百塵点劫(ごひゃくじんでんごう)よりこのかた、教主釈尊の愛子なり。不孝のとが失によって今に覚知せずといえども、他方の衆生には似るべからず。有縁(うえん)の仏と結縁(けちえん)の衆生とは、たとえば天月(てんげつ)の清水(せいすい)に浮ぶがごとし。
(無縁の仏と衆生とは、譬えば聾者の雷の声を聞き、盲者の日月に向うがごとし。)
【訳】
この娑婆世界に生を受けた私たち衆生は、五百億塵点劫というはるか昔から、ずっと教主釈尊より恵みをかけられている愛子である。私たちはその教えにそむいた不孝のとがによって、今日まで釈尊の愛子であり、その広大な慈悲に包まれているありがたさに気づかなかったが、他の世界の衆生とはまったく比べものにならないほどありがたい境涯にあるのである。娑婆世界にゆかりの深い教主釈尊とその慈愛を受けるという縁を結んだ私たちの関係は、天の月がおのずと清い水に影を宿すようなものである。
(縁を結ばない阿弥陀如来・大日如来・薬師如来との関係は、たとえば耳の聞こえない人に雷の音がきこえないように、目の見えない人に太陽や月が見えないのと同じである。)
【語釈】
① この土…私たちが住んでいるこの娑婆世界(汚辱と苦しみに満ちたえど穢土とされる=にんど忍土)←→西方極楽世界、東方浄瑠璃世界 
② 五百塵点劫…寿量品に説かれる。無限に遠い五百塵点劫の昔からずっと教主釈尊の愛子として恵みを掛けられている。
 
③ 教主…教化の主、の意。教えを説いた仏、即ち釈尊のこと。「大恩教主」と尊称する。(華厳宗では毘盧舎那仏、真言宗では大日如来、浄土宗では阿弥陀仏を教主とする。)
④ 不孝の失…釈尊は久遠の昔から私たち衆生を救おうと慈愛の手をさしのべてくださっている。私たちはそれを弁えない、または、他の大日如来などを崇めることで釈尊を軽視する。
 
⑤ 他方の衆生…娑婆世界以外の世界で生まれた者。
⑥ 有縁…仏法に縁のあること。一般に、何らかの関係のあること。
⑦ 結縁…仏道に入る縁を結ぶこと。成仏・得道の因縁を結ぶこと。 
【大意】
この娑婆世界に生を受けた私たちは釈尊の愛子であり、釈尊の慈愛と導きによって生かされているありがたい存在なのである。 
【主題】
    仏子の自覚
 
≪出典≫
「法華取要抄」文永11年5月24日、53歳、身延にて。
 内容:
①法華経が諸経に比べなぜ優れているか
②お釈迦さまは娑婆世界の衆生を救うために出現されたのであるから、この娑婆世界には一番縁の深い仏さまなのである。(他の仏さまとの違い)
③末法の世のために法華経を説いてくださったのであるから、それを信じることが仏の恩に報いることになる
④その他、法華経を修行する心掛け、法華経を広めるための覚悟、など。

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第2日「臨終を習う」
夫(そ)れおもんみれば日蓮幼少の時より仏法を学びそうら候ひしが、念願(ねんがん)すらく、人の寿命は無常なり。出づるいき気は入る気を待つ事なし。風の前の露、なお尚たとえ譬にあらず。賢きも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無きなら習ひなり。さればまず先臨終(りんじゅう)の事をなら習ふてのち後にたじ他事を習ふべし。
【訳】
考えてみるのに、日蓮は幼少の時から仏法を学習してきたが、よくよく思うのに人の寿命は無常であって、吐く息は、吸いこむ息を待つ間もないくらいであり、風の吹く前の露のようなもので、いつ散ってしまうかわからないものである。賢い人も、そうでない人も、老人も若い人も、すべていつ死を迎えるか定めのないことである。そこでまず臨終のことをよくわきまえて、その後で他の事を考えるべきである。
【語釈】
①無常…一切の物は常に変化し続けていて、一瞬たりとも同じ状態にとどまっていることはない、ということ。
②念願…おもいねがうこと。心にかけてねがうこと。
③臨終…死に臨むこと。死にぎわ。まつご。いまわのきわ。
   【臨終正念】死に臨んで心乱れず往生を信じて疑わないこと。 
 
【大意】
この世は無常であり、私たちの命がいつ終わるかは誰にもわからない。だからいつ臨終を迎えても良い心構えを常に作っておかなければならない。
 
【主題】臨終の心構えの必要性
 
≪出典≫
「妙法尼御前御返事」 弘安元年7月14日、57歳、身延にて。
 内容:
妙法尼御前からの手紙:「夫が妙法蓮華経を夜も昼も唱え、いよいよ臨終が近くなったら二声高声に唱えた。その功徳でさらに死後も生きている時よりも顔色が白く、形も安らかで変わったことがない。」
日蓮聖人の御返事:「あなたの亡くなられたご主人の聖霊は、人生最後の臨終にあたり、南無妙法蓮華経とお唱えになられたということから考えて、一生の間ないし無限の過去からの長きにわたる悪業も、皆変じて仏の種子となる。煩悩即菩提、生死即涅槃、即身成仏という法門はこのことである。このような人と夫婦としての縁を結ばれたのであるから、また、あなたの女人成仏も疑いのないものである。」
 
≪参考≫
「煩悩即菩提」
  相反する煩悩と菩提(悟り)とが、究極においては一つであること。
煩悩…衆生の心身をまどわせ、乱し悩ませ、正しい判断を妨げる様々な精神作用。貪・瞋・痴などその種類は多く、「百八煩悩」「八万四千の煩悩」などといわれる。煩悩を断じた境地が悟りである。
菩提…悟りの智慧。
「生死即涅槃」
  生死輪廻を繰り返す迷いの世界も、その根底においては、涅槃の絶対の世界と一つであるということ。
  生死…生と死とを繰り返すこと。迷妄の世界に流転すること。輪廻。
  涅槃…煩悩を断じて絶対的な静寂に達した状態。仏教における理想の境地。
「即身成仏」
  人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き仏になること。天台宗・真言宗・日蓮宗などで説く。

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第3日「菩提心を発(おこ)す」
魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹(あんらじゅ)の花は多くさけどもみ菓になるは少なし。人も又かく此の如し。菩提心をおこ発す人は多けれども退せずして実(まこと)の道に入る者は少し。都(すべ)て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ事にふれて移りやすき物なり、鎧を著たる兵者は多けれども戦に恐れをなさざるは少なきが如し。
【訳】
魚の卵からかえる稚魚は大変数が多いけれども、そのまま魚となるものはすくなく、菴羅樹には花は多く咲くけれども果実にみのるものは少ない。人もまたこれと同様である。菩提心をおこして、み仏の悟りをえようとする人は多いけれども、一歩もしりぞくことなく、ひたすら菩提心をつらぬいて、真実のみ仏の道に入っていくものは少ない。すべて、凡夫のおこす菩提心は、悪縁にだまされひきずられて、事にふれて移りやすいものだからである。鎧をつけて強そうに見える兵は多いけれども、戦に恐れをいだかず勇敢に戦う兵が少ないようなものである。
【語釈】
①【魚の子】魚の1回の産卵の数は,イワシやニシンで10万個前後,タラで300万個,マンボウでは2億~3億個にもなる。因みに、1匹のサケの産卵数は約3000~3500個でそのうち成魚となって戻ってくる数は2~3匹だそうである。
②【菴羅樹】菴羅は梵語の音写。マンゴー樹のことウルシ科の植物。熱帯果実の王女と称され、花はたくさん咲くのに、結実することが少ない。
  冬季に白い小さな花を開き、夏季5、6月ごろに果実を実らす。 
③【菩提心】〈道心〉ともいう。悟り(菩提)を求める心。
④【退せず】=【不退】ふたい  仏道を修行において退くことがないこと。ひとたび得た証りや功徳などを二度と失わないこと。
⑤【実の道】真実のみ仏の道。法華経を正しく信ずる道。
⑥【悪縁】仏道修行を妨げる縁となるもの。
  美人となって人を誘惑したり、導師に変じて人を惑わせたり、または名誉や飲食物や金銭の中に宿って人を陥れたりする。 
 
【大意】
菩提心をおこして、悟りをえようと志す人は多いが、退せずに初志をつらぬいて、真実の仏道に入っていくものは少ない。
 
【主題】菩提心実現の難しさ
 
≪出典≫
「松野殿御返事」建治2年、55歳、身延にて。対告者:松野六郎左衛門。
 内容:
駿河の六郎左衛門から供養の品とともに法華経修行についての質問がなされたのに対して、謗法(ほうぼう)の恐るべきこと、法華経のために身命を捨てることこそ本当の修行であることを説く。

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第4日「仏道修学」
本より学文(がくもん)し候(そうらい)し事は仏教をきはめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思ふ。仏になる道は、必ず身命(しんみょう)をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと、をしはからる。
【訳】
そもそも私が仏道研鑽に努めてきた目的は、仏道の奥儀を極めて仏に成り、また、恩ある父母、師匠たちもが成仏できるよう助けたいと思ったからである。仏道の奥儀を極めて仏に成るには命を捨てるほどの覚悟があってこそ始めて仏に成れるのだと考えられる。
【語釈】
①【学文】=【学問】ここでは仏道を修学すること。 
 
【大意】
私が仏法を学んだのは、自らの成仏と人々を救いたいとの思いからであり、その成就のためには命をも捨てるほどの覚悟が必要である。
 
【主題】仏道修学の目的と覚悟
 
≪出典≫
「佐渡御勘気鈔」 文永8年、50歳、依智にて。
  御勘気… 主君からのとがめのこと。ここでは佐渡流罪を指す。
 
≪参考≫
文永八年(1271)、聖人50才の時、9月12日「龍口法難」の後、依智(神奈川県厚木市) の本間重連の舘に約1ヶ月とどめられたが、10月10日依智出発に当たって、清澄の浄顕房・義浄房等の旧知に送られた手紙である。別名を「与清澄知友書」と称する。
 
≪内容≫
①最初に、流罪の刑を受け依智を発ち佐渡へ出発する旨を述べている。
②次に、仏法の目的は仏に成ることであり、仏法のため身命を捨てるほどのことがあってこそ仏に成れるという、かねてからの覚悟のほどを述べている。
③さらに、捨身弘法の教化をした印度・中国の法難の例を挙げ、値難の法悦を述べ、
④最後に、「いたずらに朽ん身」が法華経弘通の為に流罪にされることは「石に金をかえる」ものだ、との法悦と感謝の念とを清澄の旧知に述べている。

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第5日「行学二道」
閻浮提第一(いちえんぶだいいち)の御本尊を信じさせ給へ。あひかまへて、あひかまへて、信心つよくそうらい候て三仏の守護をかうむらせたもう給べし。行学(ぎょうがく)の二道をはげみ候(そうろう)べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化(きょうけ)候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給(たもう)べし。
【訳】
この世界第一の、最も優れた御本尊を信じなさい。しっかりした心構えを持って、心の底から信心を強く盛んにし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏のご守護がいただけるよう心がけなさい。またさらに修行と学問の二道を怠らず励むことが肝心です。この行と学の二道が絶えるようなことがあれば、仏法は滅んでしまいます。まず自分自身がこの二道を励み、得たことはただちに他の人々に教えていくべきです。そしてこの行学の二道は、信心から起こり始まっていくのです。自分にその力量がついたら、たとえ一文一句であっても、他に向かって語り伝えていかれるべきです。
【語釈】
①[閻浮提]人間の住む世界。現世。仏教の世界観で、宇宙の中心に須弥山があり、須弥山の南方に贍部洲(閻浮提)という島(洲)があるとされる。四洲の一で、閻浮樹の茂る島を意味する。諸仏に会い仏法を聞くことができるのはこの洲のみとされる。(第79回資料、「須弥山世界」参照)
 
②[本尊]私たちが、信仰し、礼拝し、帰依する根本の対象。日蓮宗では、「久遠の本師釈迦牟尼仏」を本尊と定めている。久遠の昔から我ら衆生を教化し続けて来られ、これからも未来永劫に教えを説き続ける大恩教主の仏様ということです。  それを漢字で図示したのが、「十界曼荼羅(大曼荼羅)」(右図)
③[あひかまへて]事に備えて、ある姿勢・態度をとる。身構える。
④[三仏]宝塔品に説示される、釈迦仏・多宝仏・十方ふんじん分身の諸仏、の三の仏をいう。つまり一代仏教の諸仏を統括した言葉である。
  *十方…東・西・南・北(四方)、東南・西南・東北・西北(四維)、上・下をいう。
  *分身…仏の分かれた身。仏のぶんしん。仏は一切衆生教化のために、身を分かちて種々の国土に応現し教化活動を行う。これをふんじんぶつ分身仏という。法華経でいう「分身」とは、本仏釈尊の分身の諸仏のことである。 
⑤[行学]修行と学問。
⑥[仏法]仏の説いた教法。仏教。仏道
 
 
【大意】
心からご本尊を信じその守護がいただけるように努めなさい。また、修行と学問に励み、それを多くに人に伝えなさい。
 
【主題】行学二道の勧奨
 
≪出典≫
「諸法実相鈔」文永10(1273)年、52歳、佐渡一谷にて。対告者:最蓮房。
この行学二道勧奨の文は古来より日蓮門下の間で尊ばれ誦されている。

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第6日「信心唱題」
夫(それ)、信心と申は別にはこれなく候。妻のをとこ(夫)をおしむが如く、をとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く、子の母にはなれざるが如くに、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて、南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申候也。
【訳】
そもそも信心ということは、特別なことではありません。妻が夫を愛おしく思い、夫が妻のために命を捨てるように、親が子を捨てず、子が母のもとから離れようとしないように、法華経・釈迦如来・多宝如来・十方の諸仏菩薩・諸天の仏法を守護する神々などを信じ申し上げて、南無妙法蓮華経とお唱えすることを信心というのです。
【語釈】
①[信心]…信は大乗仏教において非常に重んじられており、仏道に入る第一歩である。信心とは、仏の教を疑わない清らかな心とされる。神仏を信じて祈る心。信仰心。
 
②[おしむ]…「惜しむ・愛しむ」 (手放さねばならないものを)捨て難く思う。物惜しみする。愛着を持つ。いとしく思う。
 
③[諸天善神]…天上界に住して、仏・仏法を守護する神々をいい、一般的には「守護神」と呼称される。[諸天]だけでも、同じ意味で用いられる。
 
  *[信と行]…信心とは仏や経典に説くところの教えを信じて疑わない心をいい、修行とは教えを身に持って修め習い実践することをいう。信の具体的表現が行であり、行は信を実践することである。日蓮教学では殊に信が中心となって受持唱題を正行とする。(信心為本)、 (信心正行、智解助行) 
 
【大意】
信心ということは特別なことではない。私たちが肉親を大切に思うと同じ思いをもって、法華経や諸の仏様などを信じ南無妙法蓮華経とお唱えすること、それを信心というのである。 
【主題】信心唱題
 
≪出典≫
「妙一尼御前御返事」 弘安3年、59歳、身延にて。
 
【参考】
「信心」に関する御書
○経文を、女のかがみをすてざるが如く、男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給べく候。 (日蓮 花押  妙一尼御前 )
 
○此経の信心と申は少しも私なく経文の如くに、人の言を用ひず法華一部に背く事無ければ仏に成候ぞ。(中略)有解無信とて法門をば解て信心なき者は、更に成仏すべからず。有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし。(「新池御書」)
 
○夫れ仏道に入る根本は信を以て本とす。(中略)たとひ悟りなけれども信心ある者は鈍根も正見の者なり。たとひさとりありとも信心なき者は誹謗闡提の者なり。(中略)しかるを今の世に世間の学者の云く、ただ信心ばかりにて解する心なく、南無妙法蓮華経と唱ふるばかりにてはいかでか悪趣をまぬかるべきと云云。此の人人は経文のごとくならば阿鼻大城まぬかれがたし。さればさせるさとりなくとも、南無妙法蓮華経と唱ふるならば悪道をまぬかるべし。(「法華経題目鈔」)
 
○飢て食をねがひ、渇して水を慕ふがごとく、恋て人を見たきがごとく、病に薬をたのむがごとく、美貌人の紅粉を付くるがごとく、法華経には信心をいたさせ給へ。(「上野殿御返事」)

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第7日「法華経の徳」
法華経と申すは随自意(ずいじい)と申して、仏の御心(みこころ)をとかせ給ふ。仏の御心はよき心なるゆへに、たといしらざる人もこの経をよみたてまつれば利益(りやく)はかりなし。麻の中のよもぎ・筒の中の蛇(くちなは)・よき人にむつぶもの、なにとなけれども心もふるまひも言(ことば)もなを(直)しくなるなり。法華経もかくのごとし。なにとなけれども、この経を信じぬる人をば仏のよき物とをぼすなり。
【訳】
法華経というお経は、随自意といって仏のお心をそのままに説かれたものである。仏のお心は良きお心であるので、たとえ深く意味がわからなくても、法華経を読めば利益(りやく)は限りなく得られるのである。ちょうど麻の畠の中に生じた蓬や、筒の中へ入った蛇、また、良い人と仲良くする人は、それぞれ影響されて、何とはなしに心も行ないも言葉づかいまで、真っ直ぐに良くなっていくのである。法華経もこれと同じである。何とはなしにこの経を信ずる人を、仏は自然と良きものになるとお思いになるのである。
 
【語釈】
①[随自意]仏が説法する場合、自らの意のままに(ありのままに)説き聞かせること。真実の教え。
 *「随他意」とは、教えを受ける相手の能力に応じて配慮して法を説くこと。方便の教え
②[よもぎ]蓬。もちぐさ。
③[むつぶ]睦ぶ。仲良くする。
 
【大意】
法華経は、仏のお心をそのままに説かれたものであり、仏のお心は良きお心であるので、法華経を読めばは限りない利益が得られる。
 
【主題】法華経の利益
 
≪出典≫
『随自意御書』(『衆生心身御書』ともいう)弘安元(1278)年、57歳、身延にて。
真蹟:富士大石寺断片
 

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第8日「仏の大慈」
天晴れぬれば、地明(あき)らかなり。法華を識る者は、世法(せほう)を得べきか。一念三千を識(し)らざる者には、仏(ほとけ)大慈悲を起して、五字の内にこの珠を裹(つつ)み、末代幼稚の頸(くび)に懸けさしめたもう。四大菩薩のこの人を守護したまわんこと、大公・周公の成王(せいおう)を摂扶(しょうぶ)し、四皓恵帝(しこうがけいてい)に侍奉(じぶ)せしに異らざるものなり
【訳】
天空が晴れると、大地は照らされて明るくなる。それと同じように、法華経の教えに本当に通じている人は、自然にこの社会における正しい生き方を身に付けることが出来る。一念(一瞬の心)に三千の世界を備えているという教えを知らない衆生に対しては、釈尊は大慈悲の心を起こして、妙法蓮華経の五字の中にこの一念三千の教えの珠を包み篭めて、未熟な末世の衆生のために、その首に掛けて下さっている。上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩が、この妙法五字を信ずる人を守護くださることは、昔中国の賢人太公望と周公旦とが幼年の周の成王を助け、隠棲していた四人の老人が漢の恵帝に仕えたことと同じことなのである。
 
【語釈】
①[法華]…法華経の教え
②[世法]…この社会における正しい生き方
③[一念三千]…私たち凡夫の一念(一瞬の思い)にも三千世間(全宇宙の現象)が備 わっているという意味。
④[慈悲]…仏・菩薩が衆生をあわれみ、いつくしむ心。「慈」は与楽、「悲」は抜苦。
⑤[五字]…妙法蓮華経
⑥[四大菩薩]上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩
 
⑦[大公]太公望。 中国古代,西周建国の際の功臣。彼は,貧窮の中に年老いて,渭水で釣をするところを周の文王に見いだされ,周の先公の太公が望んでいた人物だということで太公望と呼ばれたという。軍師として 武王の殷王朝討伐に力を尽くし,斉に封ぜられてその始祖となった。
 
⑧[周公]周公旦。 中国,西周王朝建国の功臣。周の文王の子。武王の弟。武王を助けて殷王朝を滅ぼし,武王 の死後は幼い成王を助け摂政となった。
 
⑨[成王]周の武帝の後の王で、幼かった。 文王の子。
⑩[摂扶]摂政として扶(たす)ける
⑪[四皓]「皓」は、真白い意味。四人の白髪の老人。中国,秦末に商山(陝西省商県)に乱を避けて隠居した4人の老人。東園公,夏黄公,就里(ろくり)先生,綺里季の4人
⑫[恵帝]漢の高祖の後に立った帝。
⑬[侍奉]お仕えする
 
【大意】
法華経の教えに本当に通じている人は、自然にこの社会における正しい生き方を身に付けることが出来る。その教えは妙法五字に籠められているから、妙法五字を受持することによって仏の守護をいただくことができる。
 
【主題】仏の大悲
 
≪出典≫
「観心本尊抄」文永10年4月25日 佐渡一の谷 52歳 真蹟在・中山法華経寺
  正式には、「如来滅後五五百歳始観心本尊鈔」、略して、「本尊抄」
  久遠の教主釈尊が、入滅後5回目(末法の始め)の五百歳を生きる凡夫のために説き遺された「観心」と「本尊」とを表わす。
  ○如来…釈迦如来 ○滅後五五百歳…入滅後、5回目の五百年
  ○観心…(自分の心を見つめること。)○本尊…久遠の教主釈尊。
宛名:「富木常忍」、後書:「大田殿、教信御坊等に奉る」(「富木殿御返事」)
 (富木殿に遣わされたものであるが、大田乗明・曽谷教信と三人に読ませ、他にも広めるようにとの意図。)
【参考】
《一念三千》
摩訶止観の第五に云く「夫れ一心に十法界を具す。一法界に又十法界を具すれば百法界なり。一界に三十種の世間を具すれば百法界に即ち三千種の世間を具す。此三千一念の心に在り。若心無くんば已みなん。」
○一心に十法界(十界)を具す
  十界  地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界→→→六道
  声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界→→→→→→→→→→→→四聖
○一法界に又十法界を具す(「十界互具」)→→→百法界
○一界に三十種の世間を具す(「三十世間」)
  「十如」--- 相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等
  「三世間」--- 五陰世間・衆生世間・国土世間

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 第9日「題目の受持」
 
 釈尊の因(いん)行(ぎょう)・果(か)徳(とく)の二法は妙法蓮華経の五字に具(ぐ)足(そく)す。我等この五字を受持すれば、自然(じねん)に彼(か)の因果の功徳を譲り与えたもう。

【訳】
釈尊は菩薩の行を積んで(因)、仏の徳を備えられた(果)、その菩薩の行を積まれたことと、仏の徳を成就されたこととは、二つとも妙法蓮華経という五字の中に備わっている。だから、凡夫の我々がこの妙法蓮華経を受持(信奉)すると、おのずから、釈尊が行を積んで仏になられたその功徳を譲り与えられて、仏の境界に至ることが出来るのである。
【語釈】
①[因行]因となる菩薩の行。
②[果徳]果として備えた仏の徳。
 *因果…直接的原因(因)と間接的条件(縁)との組合せによってさまざまの結果(果)を生起すること。
③[妙法蓮華経の五字]サッダルマプンダリーカスートラ
サット(正)・ダルマ(法)・プンダリーカ(白蓮華)・スートラ(経)
五字の中心は「法」でこの世界の真理、奥深い真理なので「妙法」という。例えると、「蓮華」のように妙なる法ということ。
「経」は紐のこと。花を集めて縛り、「華(け)鬘(まん)」(華の鬘(かつら)・髪飾り)を作る、それを縛る紐である。仏の教えをまとめたものがお経である。
*「華鬘」…仏前を荘厳(しょうごん)するために、仏堂内陣の欄間などにかける装飾。(上図参照)
④[具足]十分に備わっていること。揃っていること。

【大意】

妙法蓮華経という五字を受持すると、釈尊の積まれた功徳を頂き、仏の境地に達せられる。

【主題】

題目受持の功徳

【出典】

「観心本尊抄」文永10年4月25日 佐渡一の谷 52歳 真蹟在・中山法華経寺
正式には、「如来滅後五五百歳始観心本尊鈔」、略して、「本尊抄」(第96回資料参照)

【解説】

お題目を唱えるということは、単に言葉をありがたがるのではなく、仏の説かれる真意=蓮華のごとき妙なる教えを理解し信じ行うことです。五字には、釈尊の積んできた菩薩の行とその結果悟られた徳としての宇宙の真理が凝縮されている。五字を受持するとは、それを受け信じ保っていくことです。そうすることによって、自然にその功徳が譲り与えられるといっています。
「譲り与える」という表現は、親が子に対して財産を譲り与えるというような場合に使います。「この世の衆生はすべて我が子である」(「欲了衆」)とあるように、釈尊と私たちは親子です。従って、子が真面目に務めるならば親はその財を惜しみなく譲り与えようと思うはずです。
私たちが真面目に信行に励めば、自然に仏の得られた功徳が私たちの身に入って来て、仏の境界に至ることが出来るということになるのです。                               

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 第10日「仏性の開顕」
 
 籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集るが如し。空とぶ鳥の集れば籠の中の鳥も出んとするが如し。口に妙法をよび奉れば我身の仏性もよばれて必顕れ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。・・・仏になる道には、我慢(がまん)偏執(へんしゅう)の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者也。

【訳】
(それは)籠の中の鳥が鳴くと、空を飛んでいる鳥がその声に呼ばれて集まってくるようなものである。また、空を飛んでいる鳥が集まってくると、籠の中の鳥もつられて籠から出て行こうとするようなものである。そのように、口に南無妙法蓮華経と唱え奉ると、我が身の中にある仏性も呼ばれて必ず現れたもうのである。その時同時に、天上界の梵天王や帝釈天の仏性も呼ばれて私たちをお守りくださり、み仏や菩薩の仏性も呼ばれて私たちが妙法に帰依する姿をお喜びになる。・・(このように)仏の悟りに至る道は、思い上がりや偏った見方にとらわれる心をなくしてただ南無妙法蓮華経とお唱えするのが良いのである。
【語釈】
①[妙法]…妙法蓮華経。第9日 Cf.「正法華経」(竺法護 訳)
②[仏性]…一切衆生が本来もっている仏としての本性。(「如来蔵=如来を胎に宿すもの」と同義。)
③[梵天]…インド哲学における万有の原理ブラフマン(梵)を神格化したもの。仏教では帝釈天と並んで諸天の最高位を占め、仏法の守護神とされる。 (イラスト:梵天像)
④[帝釈]…梵天とともに仏法を護る神。
⑤[仏菩薩]…仏(如来)と菩薩。
⑥[我慢]…自分をえらく思い、他を軽んずること。(慢) 
⑦[偏執]…かたよった見解を固執して他人の言説をうけつけないこと。
【大意】
南無妙法蓮華経と唱えると、私たちの中にだれもが有している仏性が呼びだされて必ず現れるものでありから、仏の悟りに至るにはひたすらお題目を唱えなさい。
【主題】
「唱題による仏性の開顕」 
【出典】
「法華初心成仏鈔」建治3年(1277) 56歳
【解説】
法華経には「この世界には、久遠実成の本仏が常に坐(ましま)して法を説き、私たちはその救いの世界に包まれている」と説かれています。その救いにあずかるためには、お題目を唱えることが肝要と説いているのです。
仏の悟りの世界は、私たち凡夫からすると、遥かに遠い完成の世界です。しかし、一心に唱題することによって一文不知の凡夫でも、自身の仏性を眼覚めさせるのみか、偉大なる諸天の加護をうながし、仏陀や菩薩を喜ばせることもできると示されています。

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 第11日「唱題の功徳」

今日蓮は、()(こん)(とう)の経文を深くまほり、一経の肝心たる題目を我も唱え人にも勧む。麻の中の(よもぎ)、墨うてる木の、自体は正直ならざれども自然(じねん)()ぐなるが如し。経のまゝに(とな)ればまがれる心なし。当知(まさにしるべし)。仏の御心(みこころ)の我等が身に(いら)せ給わずば唱えがたき() 


【訳】
今、日蓮は過去・現在・未来において最第一と説いている法華経の教えを固く守り、法華経の肝心である題目を自らも唱え、また人にも唱えるように勧めている。まっすぐに生える麻の中に混じって生えた蓬(よもぎ)や大工などが墨糸で線を引いた木は、それ自体、元は曲がっていても、麻や墨糸の力によって自然とまっすぐになる。それと同様に、法華経の教えのとおりに題目を唱えれば、私たち一人ひとりの心もおのずからまっすぐになってしまう。ここから私たちは知ることができる。仏様の正真の心が私たちの体中にお入りになるからこそ、南無妙法蓮華経と題目を唱えることができるのだと。
【語釈】
①[已・今・当]…「已(すで)に」は、過去、「今」は現在、「当(まさ)に~べし(きっと~だろう)」は未来。
*法師品第十に「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。」とあり、法華経が釈尊の説かれた経典の中で最も勝れていることをいっている。
②[一経の肝心]…法華経の中でも特に大切なこと。「肝心」は肝臓と心臓で、共に人体に欠くことのできないもの。
ⅰ.法華経寿量品のこと。 「法華経二十八品の肝心たる寿量品」(『守護国家論』)
ⅱ.妙法蓮華経の五字。 「妙法蓮華経の五字は一部八巻二十八品の肝心」(『報恩抄』)  など。
③[麻の中の蓬]…真直ぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすいヨモギも自然にまっすぐ伸びる。人も善人と交われば、その感化を受けて善人となる。(「蓬生麻中、不扶而直」荀子)
④[墨打ち]…墨糸で木材に黒い線を引く。
⑤[当知]…当に知るべし。「当然~するのが正当である。」の意。

【大意】
私たちは、釈尊の最第一の教えである南無妙法蓮華経の題目を唱えるが、それは釈尊のみ心が私たちの身体内にお入りになるからこそ唱えることができるのである。

【主題】
「唱題による仏性の開顕」

【出典】「妙密上人御消息」
建治2年(1276) 55歳。妙密上人は、信徒で鎌倉に住んでいた。夫婦揃って聖人のもとに再三供養を届け、激励の御書をいただいている。「法華経功徳抄」とも。

【解説】
この厳しい競争社会にあって、人の心は気付かぬうちに利己的になり、歪んでしまいます。そんな時には、その現実から一歩離れた外側・仏さまの世界から、もろもろの在り方を見直すことが必要です。それにより、狭い見方にとらわれていたことに気付かされます。自我偈に示される柔和質直なる心です。そのような対処法が身についた時、仏の御心が我が身に入ってお題目となって表れるということなのでしょう。

≪参考≫
この文中には、「然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。」という箇所もある。何宗の開祖などという個人の名誉などとはまったく無関係な日蓮聖人像が窺える文である。
 

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 第12日「精進の法悦」

 現在の大難を思いつづくるにもなみだ、未来の成仏を思いて喜ぶにもなみだせきあえず。鳥と虫とは鳴けどもなみだおちず。日蓮はなかねどもなみだひまなし。此のなみだ世間の事には非ず。但だ偏に法華経の故なり。若ししからば甘露のなみだとも云いつべし。

 【訳】
今受けている流罪という大難も法華経の流布のゆえとうれしく思うにつけてもうれし涙が、未来には成仏できると思って喜ぶにつけも喜びの涙が、とめどもなく流れる。鳥と虫とは鳴くけれども涙を落とすことはない。日蓮は泣くことはないが涙は止めどがなく流れる。この涙は世間一般の私情によって流しているのではなく、ただひとえに法華経のためである。それならば、甘露の涙ともいえるであろう。
【語釈】
①[成仏]…妙法蓮華経。第9日 Cf.「正法華経」(竺法護 訳)
②[せきあえず]…「堰(せ)く」は、さえぎりへだてる。堰きとめる。「敢(あ)う」は、耐える、こらえる。従って、「せきあえず」は、止めることができない、の意。
③[鳴く]…鳥・虫・獣が声を出す。
[泣く]…悲しみ・苦痛などで声を出したり、涙を流したりする。
④[甘露]…甘くて非常にうまいこと。中国の伝説で、天使が仁政を行うとき、天がそれに感じて降らせるという甘い露。

【大意】
種々の難に遭いながらも法華経を広めることができる喜びから涙が絶えない。これは泣いて流す涙ではなく、うれし涙なのである。

【主題】
「精進の法悦」 *「法悦」とは、仏法を聴き、または味わって起る、この上ない喜び。法喜。

【出典】
「諸法実相鈔」文永10年3月 佐渡一の谷 52歳

【解説】
法華経を釈尊の真意を表わす経として心から信じ、それを末法の衆生のために弘めようとする日蓮聖人の使命感と、そこから生じる受難の覚悟と法悦とが述べられている。「流人なれども喜悦はかりなし」ともあるように、悩める衆生を救うためという使命感に徹し、それを心からの喜びとした宗教家のあるべき姿がよく表れている。

≪参考≫
終りの箇所で妙法の弘通に努めるよう強盛の信心を奨めている。
「行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。」
この行学二道勧奨の文は、古来より日蓮門下の間で尊ばれ誦されている祖訓である。

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 第13日「三大誓願」

善に付け悪につけ法華経をすつる、地獄の(ごう)なるべし。()と願を立つ。日本国の位をゆずらん、法華経をすてゝ(かん)(ぎょう)等について後生を()せよ。父母の頸を(はね)ん、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来(しゅったい)すとも、智者に我が義やぶられずば用いじとなり。その外の大難、風の前の塵なるべし。我れ日本の柱とならん、我れ日本の眼目とならん、我れ日本の大船とならん、等とちかいし願、やぶるべからず。


【訳】
善きにつけ悪しきにつけ、法華経を捨てるということは地獄に堕ちるような最悪の行為である。日蓮は、以前に、願を立てた。その誓願とは、「『日本の国王の位を譲り与えよう。だから、法華経を捨てて観無量寿経などを信じて後世の安楽を祈りなさい。』とか、『父母の首を刎ねてしまうぞ、もし念仏を称えなければ。』などというさまざまな大きな法難が起きたとしても、智者によって日蓮の説く道理を論破されることがなければ、決して屈服するまい。」というものであった。これが実現出来れば、そのほかの大難が起きても、それは風の前に舞う塵のような軽微なものでしかない。日蓮は「日本の柱となってこの国を支えよう、日本の眼目となってこの国を見守ろう、日本の大船となって人々を導き渡そう。」と、若き日に清澄山で立てた三大誓願は決して破るまい。

【語釈】
①[業]…行為。また、その行為が未来の苦楽の結果を導くはたらき。善悪の行為は因果の道理によって後に必ずその結果を生むという仏教の説。
②[願]…神仏への願い。祈願。(誓願=菩薩が衆生を救おうとして立てる誓い)
 総願…すべての人が共通した目的で立てる願。世界平和の祈り。「四弘誓願」。
 別願…個人が自分の必要なことを願う。総願につながるものでなければいけない。
③[勧経]…観無量寿経。浄土三部経の一。釈尊が韋提希夫人に阿弥陀仏とその浄土の荘厳を説いたもの。
④[後生]…死後ふたたび生れかわること。また、後の世。来世。
       ≪参照≫前生(ぜんしょう)・今生(こんじょう)

【大意】
智者によって論破されることがなければ、どんなことがあっても法華経を護持し、三大誓願を護持する。
【主題】
「法華経護持の決意」
【出典】
「開目鈔」文永9年(1272) 51歳。佐渡塚原にて。
【解説】略
 

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 第14日「異体同心」
 
 

異体同心なれば万事を成じ、同体異心なれば諸事叶う事なしと申す事は、(げでん)三千余巻に定まりて候。(いん)(ちゅう)(おう)は七十万騎なれども、同体異心なればいくさにまけぬ。周の武王は八百人なれども、異体同心なればかちぬ。一人の心なれども二の心あれば、其の心たがいて成ずる事なし。百人千人なれども、一つ心なれば必らず事を成ず。


【訳】
体はそれぞれに異なっていても、志すところが同じであれば、あらゆることを成就できる。 逆に、一つの集団としてのまとまりはあっても、一人一人の心がばらばらに異なっていては何事も成就することはない。そういうことは、仏教以外の書籍三千余巻にもはっきりと記されております。古代中国の殷という国の王であった紂王は70万騎という大軍を率いて戦っても、それぞれの兵の心がばらばらであったために戦いに負けてしまった。逆に、周の国の武王はわずか800人の軍勢であったが、それぞれが心を一つにして戦ったので紂王に勝つことができた。たった一人の心であっても、二通りの道のどちらにするか心が定まらなければ、その迷う心は相背いてまとまらず、物事は成就することがないし、また、百人千人という多勢であっても心を一つにすれば方向は定まり、必ず事を成就できるのである。

【語釈】
①[異体同心]…身体は別々でも志を同じくして事に当たること。
②[同体異心]…「同体」とは、この場合「一つのまとまった集団」と考えられる。
③[外典]…仏教経典以外の書籍。
④[殷の紂王]…殷王朝の最後の王。妲(だつ)己(き)を愛し、酒池肉林に溺れ、虐政のため民心が離反したといい、周の武王に滅ぼされた。夏の桀(けつ)王とともに暴君の代表とされる。
⑤[周の武王]…周王朝の祖。太公望を師とし、殷の紂王を討ち天下を統一。
≪参考≫夏→殷(商・BC1750頃)→周(BC1027)→春秋 →戦国→秦→漢(BC202) 

【大意】
いろいろな立場の人の集まりでも、志すところが同じであれば、あらゆることを成就できるし、一つのまとまった集団でも、一人一人の心がばらばらに異なっていては何事も成就することはない。
【主題】
「異体同心」 
【出典】
「異体同心事」文永11年 佐渡一の谷 53歳
【解説】  略

≪参考≫
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」とある同意とは同心と同じ意味である。日蓮聖人のめざした法華経弘通は、異体同心の信心によってのみ成就するものである。
「日蓮が一類は異体同心なれば、人人すくなく候へども大事を成じて、一定法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし。譬へば多火あつまれども一水にはきゑぬ。此一門又かくのごとし。」(『異体同心事』)
「総じて日蓮が弟子檀那等、自他彼此の心なく水魚の思いを成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云ふ也」(『生死一大事血脈鈔』)

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 第15日「皆帰妙法」
 天下万民(ばんみん)諸乗一仏乗となって妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、 吹く風枝を鳴らさず、雨(つちくれ)を砕かず。 代は羲農(ぎのう)の世となりて、 今生(こんじょう)には不祥(ふしょう)の災難を払い、長生(ちょうせい)の術を得、 人法(にんぼう)共に不老不死の(ことわり)、現れん時を各々ご覧ぜよ。 現世安穩(げんぜあんのん)(しょう)(もん)、疑い有るべからざるものなり。
 【訳】
この世の多くの人の信じる様々な教えが、法華経の教えに集約されて、法華経が独り栄えるときが来るに違いない。その時に万民が一様に南無妙法蓮華経と唱えることになれば、この国に何の災いも無くなって、吹く風は枝を鳴らさず雨は土くれを砕かないようになる。そして、古代中国の名君の伏羲・神農の治世の時のように穏やかな時代になる。そうなれば、この世においては不祥の災難を払って、人々の命も永く延びる。人間もみな栄え、仏の尊い教えも永く栄えて人も法もともに不老不死ということが事実の上に現われる。こういう時が必ず訪れる。こうなったら「現世安穏」という法華経の証文は疑いないではないか。
【語釈】
①[諸乗]…様々の教え。「乗」は、乗物(衆生を仏の世界へ導く教え)。
②[繁盛せん時] …繁盛したら、その時には
③[一仏乗]…一つの最高の教え。法華経のこと。「一乗」とも。
④[吹く風枝をならさず、雨土壞をくだかず、]…「何の災いもなくなる」ということ
⑤[羲農]…「羲」は伏羲、「農」は神農。両者とも中国古代の名君。
⑥[今生]…現世(この世)。≪参照≫前生(ぜんしょう)・今生(こんじょう)・後生(ごしょう)
⑦[長生の術] …長生きの方法。
⑧[人、法共に]…民衆も仏法もともに ○ 理…道理、
⑨[現世安穏]…この世で安楽であること。≪参考≫「三世」とは「前世・現世・来世」
「現世安穏 後生善処」(『法華経薬草喩品』)といわれるように、現世では安穏、死後には善き領域に生れたいという、願望の意をこめて用いられる。
【大意】
すべての教えが一乗に帰して、すべての人がお題目を唱えるようになると、法華経薬草喩品に説かれる「現世安穏」という何の災いもない穏やかな世になることは疑いないことである。
【主題】  皆帰妙法による現世安穏

【出典】  「如説修行鈔」文永10年5月 佐渡一の谷 52歳 

【解説】
法華経の信仰がだんだん崩れてきて、お釈迦さまのご精神と違った信じ方をするものが増えてきている風潮の中で、仏様の教えのとおりに修行することの大切さを説く。
「如説修行」という句は、法華経中には沢山出てくる。「如説修行 功徳甚多」(説の如くに修行せん、功徳甚だ多し。)(『陀羅尼品』) 
「如説」とは、「説の如く」(仏さまのおっしゃる通り)

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 第16日「実乗の一善」
 

汝(なんじ)早く信仰の寸心(すんしん)を改めて、速かに実乗(じつじょう)の一善(いちぜん)に帰(き)せよ。しかればすなわち三界(さんがい)は皆仏国なり。仏国それ衰えんや。十方は悉(ことごと)く宝土(ほうど)なり。宝土何ぞ壊(やぶ)れんや。国に衰微(すいび)なく、土は破壊(はえ)なくんば、身はこれ安全にして、心はこれ禅定(ぜんじょう)ならん。この詞(ことば)、この言(こと)、信ずべく崇(あが)むべし。

【訳】
あなたは一刻も早く誤った信仰の心を改めて、直ちに唯一の真実の教えである法華経に帰依しなさい。そうすれば、この世の中はすべて仏の国土となります。 仏の国土はどうして衰えることがありましょうか。十方の世界はすべて浄土となります。浄土がどうして破壊されることがありましょうか。この国土が衰えることなく、破壊されることもなければ、おのずとこの身体は安全であり、心は安らかでありましょう。この言葉は、(経文に基づいて言っているのですから)信じ、崇めなければならなりません。(それが一人一人の安心と社会の平和とをもたらす最善の道であります。)
【語釈】
①[寸心]…いささかの心
②[実乗]…仏の真実の教え
③[一善]…唯一の善
④[三界]…一切衆生の生死輪廻する3種の世界、すなわち欲界・色界・無色界。衆生が活動する全世界を指す。
⑤[仏国]…仏の国、仏教が行われている国、すなわち浄土。菩薩の誓願と修行によって建てられる。 仏国土。
⑥[十方]…四方(東・西・南・北)と四隅(北東・北西・南東・南西)と上下。
     すなわち、あらゆる場所・方角。
⑦[宝土] …(浄土)五濁・悪道のない仏・菩薩の住する国。
⑧[禅定] …心を静めて一つの対象に集中する宗教的な瞑想。また、その心の状態。
【大意】
真実の教えである法華経に帰依すれば、この世の中はすべて仏国土・浄土となり、安らかに暮らせることでしょう。
【主題】 立正安国

【出典】 「立正安国論」文応元年1260 7月。39歳。 於鎌倉著。真蹟在中山法華経寺。 

【解説】
立正安国…正法を立てて国家を安んずること。 仏法が正しく行われることによって、この地上に仏国土が顕現されることを目指す。 
旅客と主人との問答形式(旅客は北条時頼、主人は日蓮聖人、を想定)
全編十番の問答(本文抄出部分は最後の部分で、立正安国論の結論を述べた部分ともいえる。)
7月16日、宿屋光則を通じて幕府最高権力者、前執権・北条時宗に提出。
「国家諫暁(いさめる)」の書。
この立正安国論の提出が、後の種種のご法難の原因となる。

○三大部…立正安国論・開目抄・観心本尊抄 

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  第17日「釈尊の御領」

今此の日本国は釈尊の御領なり。天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等の一切の神・国主並びに万民までも釈迦仏の御所領の内なる上、此の仏は我等衆生に三の故(ゆえ)御(まし)坐(ま)す大恩の仏なり。一には国主なり、二には師匠なり、三には親父(しんぷ)なり。


【訳】
今、私たちが居住するこの日本国は教主・釈尊のお治めになる御領地である。天照太神・八幡大菩薩・神武天皇等のすべての神々を始めとして、国王やすべての国民までが釈尊の御所領の内に住んでいる上に、この釈尊は我等衆生にとって三つの縁のある大恩のある仏なのである。三つの縁の第一には国主であり、第二には師匠であり、第三には親父(しんぷ)なのである。
【語釈】
①[御領]…(釈尊の)お治めになっている土地
②[天照太神] …高天原の主神。皇室の祖神。日の神と仰がれ、伊勢の皇大神宮(内宮)に祀り、皇室崇敬の中心とされた。
③[八幡大菩薩]…八幡神(応神天皇を主座とする弓矢・武道の神)に奉った称号。奈良時代に、神仏混淆の結果起った称。
④[神武天皇]…記紀伝承上の天皇。名は神日本磐余彦(かんやまといわれびこ)。前660年大和国畝傍(うねび)の橿原宮(かしはらのみや)で即位したという。日本書紀の紀年に従って、明治以降この年を紀元元年とした。
⑤[国主]…一国の君主。天子。
⑥[万民]…多くの民。全国民。
⑦[親父] …父親
【大意】
私たちが居住するこの日本国は教主・釈尊の御領地であり、釈尊は衆生にとって三つの縁のある大恩のある仏なのである。

【主題】 釈尊こそ大恩の仏

【出典】
「弥三郎殿御返事」(建治3年 身延 56歳) 沼津の齊藤弥三郎という檀越への書状。
釈尊は三徳を備えた娑婆有縁の教主であって、弥陀信仰は誤りであることを教えている。
【解説】
「欲令(よくりょう)衆(しゅう)」に「今此の三界は皆是れ我が有なり。その中の衆生は悉く是れ吾が子なり。」とあり、娑婆世界の衆生はみな釈尊の愛子であるから、当然釈尊に帰依すべきものであるが、さらに天照大神・八幡大菩薩・神武天皇といった神々までが、御所領のうちに在って釈尊に仕えていると説く。また、「其中衆生御書」においても、「十方の諸仏は養父。教主釈尊は親父なり。」とあって、阿弥陀仏等の諸仏は主師親の三徳を欠き娑婆世界には無縁の仏であることを説いている。

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 第18日「独立自尊」
 
王地に生れたれば身をば随(したが)へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず。

【訳】
北条氏の統治するこの国に生まれたのであるから、身は国の決まりに随えられるようであっても、心は随えられてはいけない。
【語釈】
①[王地]…国王の治める土地。ここでは、鎌倉幕府の執権・北条氏。
②[身を随へらる]…社会的な行動は国の法(決まり)に従う
③[心を随へらるべからず]…信仰の心は(国の法よりも)教主釈尊の教えに帰依すべき
【大意】 身は国の決まりに随えられるようであっても、心は随えられてはいけない。

【主題】 信仰の堅持

【出典】
「撰時抄」(建治元年 身延 54歳 )
蒙古来襲により日蓮聖人が予言警告した他国侵逼難が事実となった。こうした危機的状況にあって、日本国の救済は法華経によってのみ可能であり、聖人こそが衆生を救済する法華経の行者であることを明かす。また、末法こそが法華経流布の必然の時であることを示す。
【解説】
人の世に生き暮らしてゆくには、その世界のルールに基づいてやっていくのが当然のことである。宮仕えをすれば、その主君の命には従わなければならない。しかし、教主釈尊の救いの中にあるという思い(信仰)は何者にも妨げられないものであるべきだということ。


我門家(わがもんけ)は夜は眠(ねむ)りを断(た)ち、昼は暇(いとま)を止(とど)めて之を案ぜよ。一生空(むな)しく過(すご)して万歳(ばんざい)悔(く)ゆる事勿(なか)れ。

【訳】
我が一門の人々は、夜は眠る時間を割いて、昼間は少しの休みの時間であってもそれを利用して、この問題についてよく考えなさい。(考えることもせずに)一生を空しくすごしてしまって、その後万年に亘って悔いるようなことがあってはなりません。
【語釈】
①[我門家]…日蓮聖人の一門の人々
②[之]…謗法(ほうぼう)(正法(しょうぼう)を誹謗する)の人に対する反論。正法とは何か、など。
【大意】 寸暇を惜しんで正しい教えがなんであるかを考えよ。

【主題】 仏道への専念

【出典】
「富木(とき)殿(どの)御書(ごしょ)」(建治3年 身延 56歳 )
富木氏が銭一結を届けた受領の書でもある。古来「富木殿不可親近謗法者事」とも称される。富木氏に対して謗法の者には親しく付き合ったり近づきになってはならないことを説き示した。広く門下の人々に警告したともいえる。法華経を戯論(ぎろん)と誹謗(ひぼう)し、人々を法華から引き離す者は無間地獄に落ちて永く苦を受ける者であるとしている。
【解説】
宗教を信じるとは、それによって日常的に心の平安を保てるようになることを目的とする。「悟りということは如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りということは如何なる場合にも平気で生きていることであった 」(正岡子規)。
 このような心境になれるように、思案を重ねることが大切ということ。    

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 第19日「仏法と世法」
 
仏法ようやく?倒(てんどう)しければ、世間もまた濁(じょく)乱(らん)せり。仏法は体(たい)のごとし、世間はかげのごとし。体曲(まが)れば影なゝめなり。

【訳】
仏の教えの受け止め方が次第に誤り逆さまになってしまったので、世の中も乱れ、人の心も濁ってしまっているのである。たとえてみれば、仏法は身体で、世間はその影のようなものである。だから、身体である仏法が間違った方向に進めば、それを映す影である世間もまがってしまうのである。
【語釈】
①ようやく…だんだんに、次第に。
②?倒…原義はひっくり返ること。真理にもとった見方・在り方。誤謬。
③濁乱…汚れ乱れる。
【大意】 身体が傾くと影も傾くように、仏法が間違った方向に進むと世間も汚れ乱れてくる。

【主題】 生活の基本にある仏法

【出典】 「諸経与法華経難易事」弘安3年(1280)、身延

【解説】
出典は「諸経と法華経と難易の事」と読む。諸経は釈尊が方便をまじえて説いたの教え(随(ずい)他意(たい))なので易信易解であるが、法華経は釈尊の本意が直接的に説かれた真実の法(随(ずい)自意(じい))であるがために難信難解である。日本国は旧師の間違った教えによって、仏法が顛倒し、正法(法華経)が隠れてしまい、世間が濁乱の状態となってしまったと嘆く。
御みやづかいを法華経とおぼしめせ。一切世間の治生(ちしょう)産業(さんごう)は皆実相と相(あい)違背(いはい)せずとはこれなり。

【訳】
主君にお仕えすることが、そのまま法華経を実践することだとお考えなさい。(天台大師の注釈に)「あらゆる世間の生活と産業は、みな仏の真実の知見と相違するものではない」と書かれているのはこのことである。
【語釈】
①治生…生を治める。暮らしを立てる。生業を上手にやりくりする。
②産業…生きるための仕事。生業。  皆与実相。不相違背。
③実相…まことのすがた。ありのままの真実。
【大意】 世の中で生活することと仏法を実践することは同じことである。

【主題】 生活は仏法の実践

【出典】 「檀越某御返事」弘安元年(1278)、57歳、四条金吾宛(某とは四条金吾)。

【解説】
四条金吾が純粋に信仰一途に生きるために、宮仕えを辞めようとした時に、金吾を諭した言葉。法華経を実践するということは、同時に世間一般の自分に与えられた仕事・使命を一心に果たしていくことであるとし、金吾が主君に仕えることが、法華経を実践していることになるものであると教示している。

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 第20日「地獄と仏界」

そもそも地獄と仏とはいづれの所に候ふぞとたづね候へば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候ふ。しかれども委細にたづね候へば、我等が五尺の身の内に候ふとみえて候ふ。さもやおぼえ候ふ事は、我等が心の内に父をあなづり、母をおろかにする人は、地獄その人の心の内に候ふ。譬へば蓮のたねの中に花と菓とのみゆるがごとし。仏と申す事も我等の心の内におはします。

【訳】
そもそも地獄とか仏とかはどこに存在するかと辿(たど)ってみますと、ある時には地獄は地の下にあるという経文もあり、ある時には仏は西方の極楽浄土などにいらっしゃるという経文もあります。しかし、詳しく調べてみますと、地獄も仏も私たち五尺の身体の内に存在するものだと思われます。なぜそう思われるかといえば、私たちが心の中で父を侮ったり、母をおろそかにしたりした時には、その人の心の中が地獄の状態になっているのです。たとえていえば、蓮華の種子の中に花と実とが同時に宿っているようなものです。また、仏と申す存在も、私たちの心の中にいらっしゃいます。
【語釈】
①地獄…ナラカ(サンスクリット語)の訳。奈落。自己の悪業によって赴く極苦の世界。
 Cf.十界(地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏の十種の境界)
「瞋(いか)るは地獄、貪(むさぼ)るは餓鬼、癡(おろ)かは畜生、諂曲(てんごく)は修羅、喜ぶは天、平かなるは人也」
三悪道、四悪趣、三善道、六道、四聖、悟界、窮極的な悟界は仏界、九界が迷界
②仏…[語源:煩悩の結び目がほどける、など諸説]悟りを得たもの。仏陀(ぶっだ)
③地の下…地獄は、閻浮提(えんぶだい)の地下にあり閻魔大王が主宰しているといわれる。(第79回参照)
④西方…西方10万億の仏土を隔ててあるといわれる、阿弥陀仏の極楽浄土。
⑤花と菓…華果(けか)同時という。蓮は花が咲いている時に、同時に実がついている。これを、日蓮聖人は信心の華が開いたその時に成仏の実がなっていると説明する。(信心と成仏との同時性)
【大意】
蓮の中に華と実とが同時に存在するように、私たちの心の中にも地獄の心と仏の心が共存している。
【主題】 心中にある仏界と地獄

【出典】 「重須殿女房御返事」弘安4年(1281)、60歳、於身延

【解説】
「夫れ浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず、ただ我等がむねの間にあり。これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云ふ。これをさとるは法華経なり。」(『上野殿御家尼御返事』)というお言葉もある。
このように、私たち凡夫の生命の中には、仏の浄土も、また地獄も備わっている。ということは、仏性ということを考えると、私たち凡夫は気付いていないが誰の中にも仏性があるということでもある。そしてそれは、法華経を学べば明らかになる。ちょうど、自分のまつげは直接には眼で見ることはできないが、鏡に映せば見ることがでるようなものである、と言っている。
 しかしまた「父をあなどり、母を疎かに思う」心は地獄の心とあるように、そのような心に陥りがちなのも確かである。よくよく自制することが大切である。
 

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第21日 「父母への孝養
 

教主釈尊の御宝前(ごほうぜん)に母の骨を安置し、五体を地に投げ合掌して両眼を開き(そん)(よう)を拝し、歓喜(かんぎ)身に余り心の苦しみ(たちま)()む。我が(こうべ)は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。(たと)えば種子(たね)菓子(このみ)と、身と影とのごとし。


【訳】
(富木殿、あなたは)教主釈尊の御前(みまえ)に母上の遺骨を安置し、五体を地に投げ出してその前にひれ伏し、合掌して両眼を開いて教主釈尊の尊容を拝すると、宗教的な悦びが身体にあふれて、心の苦しみもたちまちに消えてしまった。そもそも、私の頭は父母の頭、私の足は父母の足、私の十指は父母の十指、私の口は父母の口であるというように、自分の肉体はすべて父母から受け継いだものなのである。それは、たとえていえば種子と果実、身と影とのように切っても切れない関係にあるのだ。
【語釈】
①教主…教祖。宗教の一派を開いた人。仏教では釈尊。
②御宝前…神仏の御前。賽銭箱のある辺り。
③五体を地に投げ…五体投地。両膝・両肘・額を地につけて、尊者・仏像などを拝すること。最高の礼法。接足礼。頂礼。
④合掌…左右の手のひらを合わせて尊い対象を礼拝すること。
⑤歓喜(かんぎ)…宗教的なよろこび。「歓喜踊躍(かんぎゆやく)」 cf.歓喜(かんき)…大そうよろこぶこと。
【大意】
母の遺骨を釈尊の尊用の前に安置すると、安らかな心になった。自分の肉体は親から受け継いだもので切っても切れない関係にある。

【主題】
  「父母への孝養」

【出典】 
 「忘持(ぼうじ)経事(きょうじ)」建治2年(1276)3月、55歳、於身延、富木常忍宛、  

【解説】
富木氏に宛てられた書状。この年の2月下旬、富木常忍の母が90歳を越えて死去した。常忍は遺骨を首にかけて、はるばる身延の日蓮聖人のもとに訪れ、教主釈尊の御宝前に遺骨を安置して追善の供養をうけ、聖人とともに母を偲ぶ語らいがあった。このように、心ゆくまで亡母の供養の仏事を営んだのち、心おきなく常忍は身延を去ったのであるが、その折、つねに所持している法華経の経巻を忘れたので、修行中の弟子に持たせて届ける旨をしたためている。このことから、「忘持経事」(持経を忘るる事)という題号がつけられている。
この中で、中国の歴史上もの忘れのひどい人として夏の桀王、殷の紂王の例(己を忘れる)、仏弟子・須梨槃特の例(自分の名前を忘れる→世界一の忘れん坊)を挙げ、常忍上人は持経を忘れたのであるから日本第一の忘れん坊か、とユーモアを交えて諭している。
ついで、いまの諸宗の人々も釈尊の本意を忘れていることを批判する。そして、富木氏の主君への勤めと、母への孝養を讃えている。

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第22日 「夫と妻
 
 女人(にょにん)はをとこを(たから)とし、をとこは女人をいのちとす。

【訳】
妻は夫を宝物のように大切に思い、夫は妻を命のように大切にする。
【大意】
妻は夫を大切に思い、夫も妻を大切にする。
【主題】
夫婦お互いの大切さ
【出典】
「上野殿御返事」 弘安2年(1279)、58歳、於身延、
【解説】
餅九十枚・山芋五本を、正月三日に、駿河国上野から甲州身延に使者をたてて届けてくれたお礼の書。海辺では木が、山では塩が、旱魃には水が、暗闇では灯火が宝物になる。いま厳しい状況の自分には、そのような大変ありがたい贈り物だ、という文面。
亡き父上は人情熱い方であった。そのお子さんの貴殿もそれを受け継いでいる。「藍よりも青く、水よりもつめたき氷かな」との感謝の言葉がある。
 をとこははしらのごとし、女はなかわのごとし。をとこは足のごとし、女人は身のごとし。をとこは羽のごとし、女はみのごとし。羽とみとべちべちになりなば、なにをもってかとぶべき。はしらたふれなばなかわ地に堕ちなん。いへにをとこなければ人のたましひなきがごとし。

【訳】
家屋にたとえると、男は柱のようなもので、女は桁(けた)のようなものである。身体にたとえると、男は足のようなもので、女は胴体のようなものである。鳥にたとえると、男は羽のようなもので、女は体のようなものである。羽と体とが別々になってしまったら、どうして飛ぶことができようか。柱が倒れたら、桁は地に落ちて家屋は壊れてしまうだろう。同じように、家庭に男(おとこ)主人(あるじ)がいないと、人から魂が抜けてしまったようなものになる。

【語釈】
①なかわ…桁(けた)。柱の上に横に渡して垂木(たるき)を受ける材。
【大意】
男と女は互いに支え合う、なくてはならない関係にある。どちらが欠けても不完全になる。
【主題】
夫婦相互の不可欠性
【出典】
「千日尼御返事」 弘安三年(一二八〇)七月二日、五九歳、於身延、
【解説】
千日尼とは、佐渡の妙宣寺の開山となった阿仏房日得の妻。千日尼という法号は、聖人が佐渡に流されている間約千日間に及んで供養したことにちなんで授けられたものという。阿仏房夫妻は、役人たちが厳しく弾圧したにもかかわらず献身的に聖人の世話をした。
ここは、夫の阿仏坊を亡くした千日尼に対して、男主人のいなくなった寂しさを例文のようにたとえて同情し、しかし法華経信仰によって霊山浄土に成仏できていると慰めている。
阿仏房は老齢をもかえりみず佐渡から三度も身延に聖人を慰問しているが、阿仏房の没後は、子の藤九郎守綱が、法華信仰を継承して、父の遺骨の埋葬とその墓参のために少なくとも二度は身延登山をしている。聖人はそれを「子にすぎたる財(たから)なし、子にすぎたる財なし」と讃えている。それらの事実を蔭で支えていたのが千日尼の深い信仰あったことはいうまでもない。

 

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第23日 「女人の力」
 
 女人となる事は物に随つて物を随へる身也。

【訳】
およそ女性という存在は相手に随いながらも、かえって相手を随えるものである。
【大意】
女性は、一見相手に従っているように見えて、実は相手を動かす力を持つ。
【主題】
女性の影響力
【出典】
「兄弟鈔」文永12(1275)年 身延にて 54歳 
【解説】
池上(東京都大田区)に在住した池上宗仲と宗長の兄弟、および夫人たちへの書状。兄弟は早くから聖人の教えに帰依していたが、父の康光は、聖人が批判していた良観房忍性の熱心な信者であった。そのため、信仰を異にする父と子の葛藤が生じ、父は兄弟を威圧して改信を迫った。そこで、この書状を身延から送り、兄弟とその妻たちに堅固な信仰を勧奨し、「一切はおやに随ふべきにてこそ候へども、仏になる道は随はぬが孝養の本にて候か」と、世俗的倫理よりも、宗教的倫理の大切なることを教示された。兄宗仲は二度勘当されるが、兄弟が力を合わせて父をいさめたので、ついに父康光も法華信仰に入ったのであった。
この部分は、兄の宗仲のみならず、弟宗長、さらには夫人たちにまで心をくだいて、励まされていることがうかがえるのである。

 やのはしる事は弓のちから、くものゆくことはりう(竜)のちから、おとこのしわざは女のちからなり。

【訳】
矢が飛ぶのは弓の力によるものであり、雲が動いて行くのは竜の力によるものである。それと同様に、夫の行ないは妻の影響力によるものである。
【大意】
夫の行ないは妻の影響力によるものである。
【主題】
女性の夫への影響力
【出典】
「富木(とき)尼(あま)御前(ごぜん)御書(ごしょ)」建治2(1276)年 身延にて 55歳 真蹟:中山 法華経寺(重要文化財)
【解説】
「鵞目(がもく)一貫並びに筒(つつ)ひとつ給ひ候ひ了(おわ)んぬ。」という(銭一貫、酒一筒への)お礼の言葉から始まる。
富木氏が母尼の遺骨を持して身延の聖人を訪れた時、病床にある富木氏の妻の尼御前に宛てた書状。富木氏が今ここに訪ねて来たのも妻のあなたの力によるものと言っている。
書状の内容は、まず尼御前が夫を助け、姑に仕えた労をいたわり、強盛に信心すれば病も平癒しますよと励ましている。
もし悲嘆の時には蒙古来襲のため九州へ赴いた武士のことを想いなさい。それに比べれば、今の私たちの苦しみなどは物の数ではないと思って耐えなければならない。

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第24日 「生命の尊厳」

 わざわいは口より出でて身をやぶる。さいわいは心よりいでて我をかざる。

【訳】
うっかりした不注意な言葉が災いを引き起こしその身を破滅させる。一方、心のこもった行為は幸いを招き寄せ我が身を栄えさせる。
【大意】
不注意なことばは災いを引き起こし、心のこもった行為は幸いを招き寄せる。
【主題】
真心からの行為の大切さ
【出典】
「重須殿(おもんすどの)女房(にょうぼう)御返事(ごへんじ)」 弘安4(1281)年  身延にて  60歳
【解説】
「十(むし)字(もち)一百まい・かしひとこ給ひ了んぬ。」(むし餅百枚・果物一籠頂戴いたしました)というお礼の言葉から書き出される。お礼に添えて、地獄と仏について教示し、その両者ともに「我等が五尺の身の内に候と見えて候」としている。
重須殿とは、駿河国富士郡重須(現・富士宮市北山)に住した石河新兵衛入道道念。その妻が重須殿女房で、道念の没後には後家尼となって日蓮聖人に仕えた。

 (うお)は水にすむ、水を宝とす。木は地の上に()て候、地を(たから)とす。人は食によ(しょう)あり食を財とす。いのちと申す物は一切の財の中に第一の財なり。

【訳】
魚は水中に住んでいて、水を宝のように大切なものとしている。木は大地の上に生えていて、土地を財としている。同様に、人間は食物によって生命を繋いでいるのであり、食物を財としている。そして、命というものはすべての財宝の中でも最も大切な財宝なのである。
【大意】
あらゆる生き物はその命を繋いでいるものを宝としている。そして、命は宝の中の宝である。
【主題】
命の大切さ
【出典】
「事理(じり)供養(くよう)御書(ごしょ)」 建治2(1276)年  身延にて 55歳
【解説】
「白米一俵、けいもひとたわら、こふのりひとかご、御つかひをもつてわざわざおくられて候。」という書き出しで、白米や芋・海苔などをご供養した檀越へ宛てた御書である。
主旨は、「生きている者にとって、衣・食は大切なものであるが、すべての物の中で第一に大切なものは生命である。」としている。
法華経を供養する場合、聖人や賢人の供養は「事の供養(仏法を実践すること)」であり、凡夫の供養は「理の供養(仏の教えに従う)」であるとして、ここからこの御書の題名がつけられた。
「理」→普遍的絶対的な真理(理論)  「事」→個別的具体的な事象(実践)
日蓮聖人は、「天台宗は理、自己(日蓮)は事、本門は事の法門」と規定された。
◎諸経と法華経
「心から万法(すべてのもの)が生じてくる。たとえば心は大地のようなものであって、そこに生えている草木は万法のようなものである」(諸経)
「心がすなわち大地であり、大地はただちに草木である」(法華経)
「心の澄むのは月のごとく、心の清らかなことは花のごとくである」(諸経)
「月こそ心であり、花こそ心である」(法華経)

諸経は世間の法と仏法を関係づけて説き、心の深い教えに思えるが、法華経に比するとまだ浅い。法華経では、世間の法がそのまま仏法の全体であると説いている。 

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第25日「知恩報恩」
 
 孝と申すは(こう)なり。天高けれども孝よりも高からず。また孝とは(こう)なり。地あつけれども孝よりは厚からず。聖賢(せいけん)の二類は孝の家よりいでたり。いかにいわんや仏法を学せん人、()(おん)報恩(ほうおん)なかるべしや。仏弟子は必ず()(おん)をしつて知恩報恩をほうずべし。

【訳】
孝ということは(高と同音であり)高いという意味も具えている。天は高いものであるが、孝の徳より高いことはない。また、孝とは(厚と同音で)厚いということでもあるが、大地がどれほど厚いといっても孝の徳より厚いことはない。儒教の説く聖人と賢人との二種類の人は「孝」を重んじる家から出ている。まして仏法を学ぶ人は、恩を知って恩に報いることを行わないということがあってはならないことである。仏弟子はかならず父母の恩・一切衆生の恩・国王の恩・三宝の恩という四つの恩を知って、「恩を知って恩に報いる」という教えを実践しなければならない。
【語釈】
①孝…親に良く仕え、大切にすること。
②聖賢…聖人と賢人。知恵の最も傑出した人。  ≪参考≫清酒と濁酒
③仏法…仏の説いた教え。⇔王法・世法
④知恩…人から受けた恩を有難く思う。
⑤報恩…人から受けた恩に報いる。恩返しをする。
⑥四恩…衆生がこの世で受ける4種の恩。父母・国王・衆生・三宝の恩。
⑦奉ず…信じて、それにそむかず生きる。

【大意】
孝とは、天よりも高く地よりも厚い優れた徳である。仏法を学ぶものは、四恩ということを良く理解して、父母の恩に報いなければならない。

【主題】  親孝行の奨励

【出典】  「開目鈔」文永9年(1272)、51歳、於 佐渡塚原三昧堂、 

【解説】
開目抄について
佐渡ケ島の雪中の塚原三昧堂において、「日蓮のかたみ」として著わした。
 「開目」とは、目を見開いて良く理解せよということ。(次の二点を)
①法華経こそ末法の人々を救う教えであるということ
②それを伝える導師は日蓮であるということ
「開目鈔」中、人口に膾炙している文
「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし。本(もと)願を立つ。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてゝ観経等について後生を期せよ。父母の頚(くび)を刎(は)ねん、念仏申さずわ。なんどの種々の大難出来(しゅったい)すとも、智者に我(わが)義(ぎ)やぶられずば用じとなり。其外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。」


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第26日懺悔滅罪
 

それ、針は水にしずむ。雨は(そら)にとどまらず。蟻子(あり)を殺せる者は地獄に入り、死にかばね(屍)を切れる者は悪道をまぬがれず。いかにいんや、人身をうけたる者をころせる人をや。ただし大石も海にうかぶ、船の力なり。大火もきゆる事、水の用にあらずや。小罪なれども、懺悔(さんげ)せざれば悪道をまぬかれず。大逆なれども、懺悔すれば罪きぬ。 


【訳】
そもそも当たり前のこととして、針は水の中に沈み、雨は空中にとどまらない。同様に、蟻を殺した者は地獄に堕ち、死んだ屍体を切った者は地獄・餓鬼・畜生の三悪道へ堕ちることから免れない。ましてや、人間を殺した者はなおさらのことです。ただ、大きな石も海に浮かぶことができる、それは船の力を借りることによってである。また、大火も消えることがあるのは水の働きによってである。同様に、小さな罪であっても悔い改めなければ必ず悪道に堕ちるが、大きな罪を犯した人であっても悔い改めればその罪は消える。

【語釈】
①地獄〕…六道の一。現世に悪業(あくごう)をなした者がその報いとして死後に苦果を受ける所。
贍部(せんぶ)洲の地下にあり、閻魔(えんま)が主宰し、鬼類が罪人を呵責(かしゃく)するという。八大地獄・八寒地獄など、多くの種類がある。 (梵語 naraka 奈落)
②悪道…この世での悪事の報いとして、死後におちる苦悩の世界。地獄・餓鬼・畜生の三道。悪趣。
③懺悔…過去に犯した罪を神仏や人々の前で告白して許しを請うこと。
(梵語でksama「懺」はその音写、「悔」はその意訳。慚愧(ざんき)懺悔(さんげ)と熟して用いることが多かったために、ザンギの影響で濁音化して江戸時代にザンゲとなったかという)
④大逆…人倫にそむく悪逆のおこない。主君や親を殺す類。
【大意】
悪事をなせば当然悪道に堕ちるが、懺悔をすればその罪も消すことができる。

【主題】  懺悔による滅罪

【出典】  「光(こう)日房(にちぼう)御書(ごしょ)」建治2年(1276)3月、55歳、於身延、光日房宛、

【解説】 
安房天津の尼・光日房が子の弥四郎の死去を手紙でしらせたことに対して、母の心痛を思いやり、弔意を述べる。
「弥四郎はかつて人を殺害した者であるから、後生はどのような所へ生まれてくるのか心配である」との問いに対して、以前に弥四郎が悩みの相談に日蓮聖人を訪ねた際に教え諭したことを伝え、子のための追善菩提を勧め、弥四郎の後生善処を教示する。
【弥四郎の悩み・訴え】
「無常は世の習いなのでいつ命を失うかはわからない。その上、自分は武士となった身であり、また近いうちに刀を用いなければならない。それにつけても後生が恐ろしく思われるので、どうか助けていただきたい。また、父はすでになくなり寡婦の母がいる。この母より先に死ぬことは、この上ない不孝だと考える。もし私が死ぬようなことがあれば、是非母をお弟子にしていただきたい。」

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第27日「三業受持」
 
 日蓮は明日佐渡国へまかるなり。今夜のさむきに付ても、牢のうちの ありさま、思ひやられていたはしくこそ候へ。あはれ殿は、法華経一部色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母六親一切衆生をもたすけ給ふべき御身なり

【訳】
日蓮は明日佐渡の国へ流されて行きます。今夜の寒さを思うにつけても、牢の中はいかばかりかと大変な様子が思われて、いたわしい限りです。ああ、あなたは法華経のすべてを、よく理解し、よく身をもって実践なされたお方ですから、父母を始めとする六親やすべての生きとし生けるものを助けることができるお方なのです。

【語釈】
①まかる…(罷る)貴人・他人の前から退き去る。退出する。⇔参る
②牢…(元は牛馬を入れておく檻の意)鎌倉の光則寺にある土龍。
③いたはし…(労し)気の毒だ。不憫である。
④法華経一部…「妙法蓮華経」は、一部八巻二十八品といって、八冊の経本、二十八の章から成り立ち、これを一部経または部経と称している。文字数は六万九千三百八十四文字である。全て読むのに普通の速さで約八時間はかかる。
⑤色心…物と心、身体と精神。色法と心法のことで「色心二法」ともいう。
⑥六親…六種の親族。父・母・兄・弟・妻・子。また、父・子・兄・弟・夫・婦。
  
 ※三業(さんごう)…①身業(身体的な行動)②口業(ことばを発すること)③意業(心に思う働き)
      三業受持とは、法華経を身と口と心にたもつこと。

【大意】  牢の生活は大変でも、法華経の行者としての自信をもってお過ごしなさい。

【主題】  三業の受持

【出典】  「土篭御書」文永8年(1271)50歳

【解説】
依智(今の厚木市)から入牢中の日朗に宛てた書状。翌日の佐渡への出発を前にして書いたもの。日蓮聖人の弟子に注ぐ細やかな愛情が見て取れる。同時期に「五人土篭御書」という御遺文があり、これを踏まえて「土篭御書」が書かれたと思われる。ここから、牢に入れられたのは五人と分かる。
この土牢は、鎌倉の光則寺の裏山に現存する。光則寺は宿谷(やどや)光則(みつのり)が自邸を寺とし創建した。
宿谷光則は、五代執権北条時頼に仕えた役人。竜口法難のとき光則は日朗ら六人を預かり囚禁したが、獄中における日朗の行儀に感じ徳容にうたれて帰依した。
その前に、日蓮聖人は、光則を介して時頼に『立正安国論』を提出している。

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第28日「信心成仏」

 法華経を信ずる人は冬のごとし、冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかず、みず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には、「もし法を聞くこと有らん者は、一として成仏すということ無けん」と、とかれて候ふ。

【訳】
法華経を信じる人は寒い冬のようなものです。冬は必ず暖かい春になります。昔から開いたことも見たこともありません、冬が秋に逆戻りしたなどということを。同じように、まだ聞いたことがありません、法華経を信じる人が成仏をしないで凡夫のままでいるということを。だから法華経の方便品には「もし、法華経の教えを聞く機会に会った人は、一人として成仏しないということはない」と説かれています。
【語釈】
①凡夫…平凡な人普通の人。煩悩にとらわれて迷う衆生。
②成仏…煩悩を断じて悟りを開くこと。

【大意】  法華経を信じる人は、冬が必ず春になるように、今は凡夫でも必ず成仏できる。

【主題】  法華経信仰による成仏

【出典】  「妙一尼御前御消息」建治元年(1275)、54歳、於身延。

【解説】
妙一尼は、鎌倉在住の女性檀越。「さじきの女房」「さじきの尼御前」とも称する。
「さじき」とは、源頼朝が常栄寺裏の山上に由比ケ浜を遠望するために作った桟敷が地名として残ったという。日蓮聖人が佐渡に流されている間に夫が死に、幼な子と老母が残ったが、聖人への節を曲げることなく外護した。
本書の中にも、「佐渡の国といい、ここ身延といい、召使いを一人遣わしてくださったことは、いつの世にも忘れられないほどありがたく思っています。」というお礼の言葉があり、聖人を篤く外護したことがわかる。
本書は、妙一尼が身延に衣を送ったのを謝し、法華経を信奉した亡夫の成仏を説いて尼の悲しみを慰めている。

          【春景色2題】

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第29日広宣流布

 衆流(しゅうる)あつまりて大海となる。微塵つもりて須弥山(しゅみせん)となれり。日蓮が法華経を信じ(はじめ)しは日本国には一渧(いったい)一微塵のごとし。法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、(みょう)(がく)の須弥山ともなり、大涅槃(だいねはん)の大海ともなるべし。仏になる道は此よりほかに又もとむる事なかれ。


 【訳】
多くの流れが集まって大海となり、細かい塵が積み重なって須弥山のような巨山となったのである。日蓮が法華経を信じはじめた時は、この日本国においては、一滴の水か、一つの細かい塵のようなものであった。しかしながら、法華経の題目を二人・三人・十人・百千万億人と次第に唱え伝えてゆくならば、塵が積もって山となるように、仏の悟りを得た須弥山のような大きな安らぎの世界が生じ、大涅槃の境地に達した大海のような大きな安らぎの世界が生じるにちがいない。悟りを得るには、この法華経の信仰のほかに何物も求める必要はないのである。

【語釈】
①衆流…たくさんの川の流れ
②微塵…細かい塵
③須弥山…仏教の世界説で、世界の中心にそびえ立つという高山。海中にあり、高さは八万由旬。頂上は帝釈天が住む忉利天で、中腹には四天王が住む。周囲は9山8海に囲まれ、その海中に閻浮提(南贍部洲)などの4洲がある。日月星辰は須弥山の周囲を回転している。
④一渧…ひとしずく。一滴。
⑤妙覚…すばらしい悟り。仏の悟り。
⑥涅槃…煩悩の火が吹き消された状態の安らぎ・悟りの境地。仏教における理想の境地。

【大意】
法華経を少しずつでも広めてゆくならば、大きな安らぎの世界が生じる。悟りに至るには、法華経の信仰のみで十分なのである。

【主題】 法華経の広宣流布

【出典】 「撰時抄(せんじしょう)」建治元(1275)年。54歳。重要文化財。

【解説】
日本国の救済は法華経によってのみ可能であり、末法の今こそが法華経流布の必然の時であることを明らかにする。
「一天四海 皆帰妙法」(一天四海 皆妙法に帰す)→世界中のすべての人が、法華経に帰依しますように、という日蓮宗のスローガン
≪参考≫世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。(宮澤賢治)

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第30日「慈悲広大」
 日蓮が慈悲曠大(こうだい)ならば、南無妙法蓮華経は万年の(ほか)未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄(むげんじごく)の道をふさぎぬ。此功徳は伝教(でんぎょう)天台(てんだい)にも超へ、龍樹(りゅうじゅ)迦葉(かしょう)にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土(えど)の一日の功に及ばず。正像(しょうぞう)二千年の弘通(ぐずう)は末法一時に劣るか。(これ)はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむるのみ

【訳】
(すべての人びとを救いたいと願う)日蓮の慈悲の心が広大であるならば、南無妙法蓮華経という末法の一切衆生を救済する教えは、万年どころか未来永劫までも弘まるであろう。それは、日本国のすべての人びとの盲目を開いてくれる功徳があり、無間地獄へ堕ちる道を塞いでくれる。この功徳は伝教大師や天台大師のもたらす功徳よりも勝れ、竜樹菩薩や迦葉尊者よりも勝れている。極楽浄土で積む百年間の修行の功徳も、この迷苦に満ちた穢土で積む一日の唱題修行の功徳には及ばない。正法時と像法時にわたる二千年間もの仏教弘通の功徳も、末法におけるほんの少時間の題目弘通の功徳には及ばないことだ。これはけっして日蓮の智恵が賢いことによるのではない。末法という時の必然がそうさせただけなのである。

【語釈】
①慈悲… 仏・菩薩が衆生をあわれみ、いつくしむ心。慈=与楽、悲=抜苦。
  大乗仏教では、智慧と並べて重視される。   ※大慈大悲
②衆生…いのちあるもの。生きとし生けるもの。 ※「一切衆生悉有仏性」
③功徳…よい果報をもたらすもととなる善行。
※回向…みずから積んだ功徳を、他の人々に振り向けること
④無限地獄…阿鼻地獄。八大地獄の第八。諸地獄中で最も苦しい地獄。五逆・謗法の大悪を犯した者、間断なく剣樹・刀山・鑊(かく)湯(とう)などの苦しみを受ける。※阿鼻叫喚
⑤伝教(大師)… 最澄(さいちょう)。日本天台宗の開祖。              ※大師
⑥天台(大師)… 智顗(ちぎ)。中国の天台第3祖、実質的には開祖。     ※三国四師
⑦龍樹(りゅうじゅ)…初期大乗仏教を確立。空の思想を説いた。諸宗はすべて竜樹の思想を承けているので、八宗の祖という。
⑧迦葉(かしょう)…釈尊十大弟子の一。頭陀第一。釈尊の滅後教団の統率者となり、王舎城の第一回仏典結集の主任となってこれを大成。特に禅宗では尊信される。
⑨極楽…極楽浄土。阿弥陀仏の居所である浄土。西方十万億土を経た所にある。
⑩穢土…けがれた国土。凡夫の住む娑婆。この世。現世。(←→浄土)
⑪正法…釈尊入滅後の五百年または千年間。正しい教えが行われるという。←→像法・末法
⑫弘通…仏法が広まること。

【大意】
南無妙法蓮華経の教えは未来永劫までも弘まり、その功徳は及ぶもののないほど優れている。

【主題】  唱題修行の功徳

【出典】  「報恩抄(ほうおんじょう)」建治2(1276)年、祖寿55歳、身延にて。

【解説】
報恩抄は、旧師道善房の死去の知らせを受けた日蓮聖人が、報恩回向のために撰述したもの。日蓮聖人の生涯にわたる法華経信仰の功徳を旧師に追善回向し、報恩思想を体系づけている。真実の報恩とは法華経によって成仏せしめることにあるとし、世俗的な倫理を超えた仏法至上の立場を明らかにに論じている。使者を派遣して墓前で読ませたといわれる。

 


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第31日「絶対の浄土」
今 本時の娑婆世界は、三災を離れ四劫(しこう)を出でたる常住の浄土なり。仏すでに過去にも滅せず、未来にも生ぜず、所化(しょけ)以て同体なり。これ即ち己心(こしん)の三千具足、三種の世間なり。

【訳】
今、本時と呼ばれる久遠本仏が常住している娑婆世界は、火・水・風の三災による破壊もなく、成劫・住劫・壊(え)劫・空劫の四劫の変遷もない常住不変の浄土である。そこに居住する久遠本仏・釈尊は、過去に於いて入滅されたわけでもなく、未来においても生まれるのでもない三世常住のみ仏で、教化を受ける者(弟子・信徒・一切衆生)も、みな悉く久遠の釈尊と同じということである。これが即ち私ども凡夫の心に「三千世界」を具えているということであり、「三種の世間」を具えているということなのである。

【語釈】
①今本時の娑婆世界…寿量品に開顕された久遠本仏が常住している常寂光土のこと。
・今…法華経が説かれて、それから後のこと。
・本時…本来の時(寿量品の説かれる時。釈尊が久遠の昔に成道したその時)
如来寿量品において、釈尊は自ら菩提樹下で始めて悟りを開いた始(し)成(じょう)正覚(しょうがく)を否定して、久遠の昔に成道した本仏であることを顕した。この時を本時という。
・娑婆世界(=娑婆)…忍土・忍界。 苦しみが多く、忍耐すべき世界の意。
②三災…三つのわざわい。①水災・火災・兵災。②小三災。減劫の終りに起る刀兵災・疾疫災・飢饉災。③大三災。壊劫(えこう)の終りに起る火災・水災・風災。
③四劫…一つの世界が成立してから破滅に至るまでの世界の変遷を四期に分けたもの。
成劫(じょうこう)…世界が成立し、生物などが出現する
住劫(じゅうこう)…世界が存続し、人間がそこに住んでいる
壊劫(えこう)…世界が崩壊していく
空劫(くうこう)…そのあとに続く空無の時期である 
この四劫全部の時間が一大劫。
④常住…生滅・変化なく永久に常に存在すること。⇔無常。
特に迷いの世界の無常に対し、悟りの世界の永遠性を意味する。
「常住此説法」(常にここに住して法を説く)
⑤浄土…「清浄国土」を2字につづめた言葉。仏の国土で浄らかにして安穏な世界。十方に諸仏の浄土があるとされる。極楽浄土、密厳浄土、霊山浄土、浄瑠璃浄土、など。⇔穢土。
⑥所化(しょけ)…(教化されるものの意) 仏・菩薩に教化される一切衆生をいう。僧侶の弟子。寺で修行中の僧。⇔能化(のうけ)(一切衆生を教化する者、即ち、仏・菩薩・高僧。)
⑦己心…自己の心。
⑧三千具足…三千種の世間を円満に備えること。「具足」は、みち備わる。
・三千大千世界…須弥山を中心に、日・月・三十三天・夜摩天・兜率天・楽変化天・他化自在天・梵世天などを含んだものを小世界とし、これを千個合せたものを小千世界、それを千個合せたものを中千世界とし、それを千個合せたものを大千世界とする。大千世界のことを三千大千世界ともいう (小千・中千・大千と千が三つ)。われわれが住む世界の全体。三千世界とも。
この三千世界が一仏の「化土」(仏さまの教えの加わる範囲)という。



⑧三種世間…三世間とも。移ろい行く現象世界(世間)を三種に分類したもの。衆生世間・五蘊世間・国土世間のこと。
・衆生世間(衆生が一緒に集まって生活している社会。「社会・国家」)
・五蘊世間(人の心と心が互いに影響を与えあっている関係の世間。狭義の「生活環境」)
・国土世間(多くの社会や国家が、関係しあっている世間。「世界」のこと。)

【大意】
久遠本仏が常住しているこの娑婆世界は、常住不変の浄土であり、そこに居住する教化を受ける私たちも、みな悉く久遠の釈尊と同一の体相(すがた)である。

【主題】  娑婆即寂光

【出典】
 「観心本尊抄」(正確には、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」)佐渡の一(いちの)谷(さわ)、下総の富木常忍宛て
釈尊入滅後、今日に至るまで明らかにされなかった教え(観心と本尊)を始めて明らかにしたというのが題号の意味である。真蹟は中山法華経寺に格護されている。

【解説】 
浄土を別の世界に求める(西方極楽浄土)、自分の心中に求める(禅宗の悟り)、などがある。
しかし、法華経の教えでは、この婆婆世界に浄土を実現して行こうと考える。人はみな心に仏性を具えているのだから、法華経を学ぶことによって、その仏性を育てて、苦しみや悩みに満ちているこの世をそのまま浄土に変えようのである。ここが、法華経の教えと他の教えとの違いである。
また、私たちには尊い仏性が具わっている。その仏性を仏の教えによって育てて行けば、私たちも仏と同じに成れるということであるから、能化の仏と同様に私たちの生命も無限であると言え、「所化もって同体なり」となるのである。
  

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