サンド

信行会講義(5)

雑知識 仏像について
「南無」と「合掌」について 基本知識
数珠の話 如来像(1)
塔婆の話 如来像(2)
供華の話 菩薩像(1)
供香の話 菩薩像(2)
灯明の話 観音菩薩像
仏壇の話 明王像・天部の像(1)
墓の話 天部の像(2)
高座説教・繰り弁





実台寺信行会(第五十六回)資料
「南無」と「合掌」について
【南無】
 梵語Namas(ナマス)の音写。帰命(きみょう)と訳す。帰命(きみょう)とは身命を捧げて帰信することである。他に、「恭敬・敬従・敬礼・礼拝・屈膝・稽首」等と訳される。
 日蓮聖人における「南無」とは自分の全生命を妙法五字に捧げ、絶対なる信をもって帰依し従うことである。 (「日蓮宗大事典」)

 すべての神・仏を敬いたてまつる時には、まず最初に「南無」という字から始まっている。南無というのはインドの言葉で、中国や日本では帰命という。帰命とはわが命を仏に奉ることである。わが身にはそれぞれの分に応じて妻子や使用人、土地や資金等を持っている人もいるし、また持っていない人々もいる。しかしこうした財産を持っている人でも持っていない人であっても、命という財宝に過ぎた財宝はない。したがって昔の聖人・賢人といわれる人々は、自分の命を仏に奉って、その功徳で仏になったのである。  (「事理供養御書」)
【原文】「一切のかみ仏をうやまいたてまつる始めの句には、南無と申す文字を置き候なり。南無と申すはいかなる事ぞと申すに、南無と申すは天竺のことばにて候。漢土・日本には帰命と申す。帰命と申すは我が命を仏に奉ると申す事なり。我が身には分に随ひて妻子・眷属・所領・金銀等をもてる人々もあり、又財(たから)なき人々もあり。財あるも財なきも、命と申す財にすぎて候財は候はず。さればいにしへの聖人賢人と申すは、命を仏にまいらせて仏にはなり候なり。」
 (「事理供養御書」)
【合掌】
 左右の掌を合わせて礼拝すること。合爪とも書く。
 合掌は、仏を礼拝して恭敬の心を表すに最も相応しい。
 インド、ベトナム、タイを始め南方の仏教国では、僧俗を問わず日常の礼法として行われている。
 インドでは右手を神聖な手、左手は不浄な手として使い分けられているが、この両手を合せることは聖なるものと合一するという心を表すものである。
 古歌に「右ほとけ 左衆生と合わす手の うちぞゆかしき 南無のひと声」とある。
 合掌には種々の型があるが、本宗で用いている型は十二合掌の内、「堅実心合掌」にあたるもので、十指爪掌をぴったり合わせて、中指の先を咽喉の高さにして、両拇指の第一関節を軽く鳩尾の辺につけた形をとるものである。
 合掌の典拠を経文に求めれば「合掌以敬心」(方便品)、「合掌頂受」(信解品)、「一心合掌瞻仰尊顔」(神力品)などを始め随処に出てくる。(「日蓮宗大事典」)
又復た吾が祖に拠って細かに論ずれば、左右の十指は乃ち十界なり。その節は便ち二十八品、その左手の十四節は是れ本門十四品、右手の十四節は是れ迹門十四品なり。 (「道風規範・合掌」)

冒頭へ


実台寺信行会(第五十七回)資料
数珠の話

【数珠とは?】
 誦数、誦珠、呪珠、珠数、念珠などとも書く。糸や紐に金属や玉石,種子,香木などで作った小玉を連ね通して一環としたもの。
 数を記する珠の意で、本々は、題目・念仏・陀羅尼などを唱えるとき、一唱ごとに一玉を操って、何回唱えたかを数えるのに用いた。現在では、仏さまを念じる時に合掌する手に掛けて用いる。常に数珠を手にし仏さまを念じておれば、煩悩を消滅し、功徳をえるといわれる。仏教徒の必需品である。

  〔参考〕

「身を浄め、手を洗いて、数珠を取れ」(法然上人)。
「当山の念仏者の風情を見及ぶに、数珠の一連をも、持つ人なし。さるほどに仏をば手づかみにこ
 そせられたり。」(蓮如上人)。
上記:仏さまに向かうときには、数珠を手にするようにとの戒め。

【数珠の功徳について】(「木?子(もくくわんし)経(きょう)」より)
お釈迦さまが霊鷲山に居られたとき、ある国の王様が、『自分の国は小さく、辺境の地で盗賊が絶えず出没し、疫病もはやり、人民は非常に苦しんでおります。わたしも常に心安らかではありません。そこで、この苦しみから救われるよう、自分たちにも修行のできる方法をご教示ください。』とお釈迦さまにお願いしました。すると、お釈迦さまは、『木?子(ムクロジ)の実百八個を通して環をつくり、これを常に身体からはなさず、心から仏さまの御名(南無仏・南無法・南無僧)を唱え、一つずつ繰っていきなさい。それが二十万遍になったとき、心身に乱れがなくなり、人々の心も自然と安楽になり、国家も安泰になります。さらに百万遍になったとき、人間のもつ百八の煩悩も断ち切ることができます。』と説かれました。
王様は、早速、木子の実で千連の数珠をつくり、六親眷属に分け与えました。王様も、常に数珠を手にして、仏さまの御名を誦念しましたところ、国は次第に安定し、王様自身は仏道を成ずることができました。
「木?子(もくくわんし)」とはムクロジのことで、その種子は硬く黒色。羽子の球に用いる。
実際の数珠の起源は、仏教の起源よりも古いようです。

【数珠玉の数】
 個数は108珠が基本である。他に経典の説くところによれば1080珠,54珠,42珠,27珠,21珠,14珠の計7種があり,また36珠, 18珠のもの、これ以外の個数のものも存する。数珠の基本型は108珠で,これは百八煩悩にして百八尊の正しくして動じない心をあらわすとされる。

 日蓮宗では原則的に108顆の数珠を用いる。形態は、母珠2つで一方の母殊に20個の記子(2房)、もう一方の母珠に5・5・10の記子が3房つけられている。房が3つある側の記子10顆の房は「数取り」と呼ばれ、記子留はなく、唱題・読経を数えるために用いる。
 数珠を構成する房以外の珠は成珠と呼ばれ、その中で母珠から数えて8個目と22個目に種類の異なる珠が計4つ入っていて、通常は四天珠と呼ばれている。
 日蓮宗では数珠の珠の名称と法華経を呼応させ、2つの母珠を釈尊と多宝如来に当て、四天珠を四菩薩と称していて、上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩に対応させる。
 現在使用されている珠数は厳密には、108顆に母珠2つ、四菩薩、記子珠30、きし留(露珠)4、浄明(助明・補処)1、数取り珠10の合計159顆を必要とする。(右図参照)

  〔参考〕

「金剛頂瑜伽(こんごうちょうゆが)念(ねん)珠(じゅ)経(きょう)」に曰く、「念珠の功徳に四種有り。上品と最勝と及び中下なり、一千八十を以て上と為す、一百八種を最勝と為す、五十四珠を以て中と為す、二十七珠を以て下類と為す。」
テキスト ボックス: 上図:日蓮宗の数珠

【数珠玉の材料】
 植物の種子…菩提樹・木?樹(むくろじゅ)・多羅樹(たらじゅ)・ハスなど

   <「菩提樹」余話>

菩提樹は、お釈迦さまがその下で悟りを開かれたという木。その実でつくられた数珠は尊ばれ、経典にも「無量の福、最勝の益」を得ると説かれている。
外道を信じている男が、「仏教の諸仏には、どのような力があるのか試そう。」と、亡くなった息子を菩提樹の根元に置いて、七日間仏の名を唱えたところ、その息子が蘇ったので、それから菩提樹は延命樹と呼ばれるようになった。

 木  珠… 紫檀、黒檀、梅など。香木として、伽羅、沈香、白檀など。
 金  属… 金・銀・銅・赤銅・鉄など
 玉石など… 水晶・真珠・サンゴ・メノウ・瑠璃(ガラス)など

〔参考〕

「?量(こうりょう)数珠(じゅず)功徳(くどく)経(きょう)」に曰く、「この珠若し木?を以て為(つく)るもの、或は?(つまぐ)りて一たび過せば福を得ること千倍、蓮子にて為るものは福を得ること萬倍、水晶にて為るものは福を得ること千億倍、菩提子にて為るものは福を得ること無量なり。」と。

【数珠の種類】
 日蓮宗で使用される数珠は、頭付撚房(よりふさ)が付いた装束(しょうぞく)数珠(じゅず)と、日常使用する普通仕立ての菊房数珠がある。装束数珠は、僧侶が正装し導師を勤めるときに用いる。
 日蓮宗の装束数珠は水晶を本義とする。
  ※数珠は、一連、二連と数える。

【数珠の大きさ】
八寸(約240ミリ)・一尺(約300ミリ)・一尺二寸(約360ミリ)・一尺四寸(約420ミリ)位までのものが主流である。

【数珠の掛け方】
   右図を参照


〔余話〕

○廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていた明治の当初、曹洞宗管長の西有穆山禅師は、馬車一台もの数珠を買ってきて、出会う人ごとに数珠を与え、「仏教を信じなされ。幸福を与え、身を護る数珠でござる。」と、街頭伝道をした。
○数珠には、如意宝珠(あらゆる願いを叶える不思議な珠)のような除災招福の神力があるとされ、持っているだけで魔除けになるといわれる。
御数珠頂戴…信濃の善光寺で、住職が本堂に登詣する途上、道にしゃがんでいる信者たちの頭を数珠でなでる行事。これも数珠の霊力をいただく風習であろう。
日蓮宗の祈祷で、木剣と数珠を、頭などの患部に押し当てるのも同じである。

冒頭へ


平成17年6月12日(日) 実台寺信行会(第五十八回)資料
塔婆の話
  
塔婆の話

【塔婆とは?】
梵語の〈ストウパ〉の音写。〈卒塔婆、率塔婆、率都婆〉等とも書き、単に〈塔婆〉、〈塔〉ともいう。

〔参考〕本(もと)は〈そとうば〉という。それを〈そとば〉と言いなした。そのはじめのことばを除いて〈とうば〉という。〈とうば〉を、猶つづめて〈塔〉という。」(口語訳)
           「菩提心集」(東大寺僧・珍海 平安時代) わが国最古の卒塔婆音転考
【塔婆の起源・歴史】
 @釈尊捏磐の後、遺体は火葬にされ八つの王国に分けられた。王達は自分の国に
  塔を建てて、釈尊のご遺骨(舎利)を安置して供養した。鉢をふせたような型に
  土をたかくもりあげ、その上に傘(さん)蓋(がい)をかたどったものを建てた。これがスツー
  パ(塔)である。(図1)
  傘蓋は日よけの傘を意味する。インドは熱いので、王や高貴の人にはつねに日
  よけの傘をさしかけるが、それは権威を象徴するもので、塔の上に傘蓋を立て
  るのは、これに由来する。(本堂にある天蓋も同じ意味)。
 Aやがて、この土饅頭の型が、二段、三段と高く大きくなる。(図2)
 Bその上に立つ傘蓋もその数を増してゆく。(図3)
 C中国に伝わって、楼閣建築と結びついて、多宝塔・三重塔・五重塔になる。こ
  のとき、多数の日傘は一本の竿に整理されて、「相輪」となり、「卒塔婆」は
  「塔」と称される。(図4)
 D石造の十三重塔も建造される。(図5)
 E簡略化されて、板塔婆(図6)・角塔婆・経木塔婆等になる。


【五輪塔と板塔婆】
 五大(五輪)…仏教では、この宇宙の万物は「地・水・火・風・
       空」の五大(五つの構成要素)からなっていると説く。
   *地(かたい性質・方) *水(湿の性質・円)
   *火〈熱の性質・三角) *風(動の性質・半円)
   *空(それらをたがいに存在させているもの・宝珠〉
  この「地・水・火・風・空」の五つを、「方・円・三角・半
 円・宝珠」の形で象徴させて、塔の下から積み上げていったも
 のが五輪塔である。
  板塔婆・角塔婆は、この五輪塔の型をうつしたもので、板塔
 婆・角塔婆に刻まれている切り込みは、五輪塔の「宝珠、半円・三角・円・方型」
 をあらわしている。
【塔婆の種類】
 角塔婆・板塔婆・経木塔婆・生木塔婆等がある。(塔婆は祖霊菩提供養又は報恩のために立てる。)
  @角塔婆…御遠忌・開堂入仏或は特殊法要に用いる。
  A板塔婆…角塔を簡略にしたもので追善のために用いる。
  B経木塔婆・・水塔婆とも称して川施餓鬼に用いる。
  C生木塔婆・「うれつき塔婆、または、杉塔婆」とも言う。葉のついた生木の塔婆で
        三十三回忌あるいは五十回忌の忌止めの時に立てる。
【塔婆の表記】
日蓮宗の板塔婆
 南無妙法蓮華経   為〇〇家先祖代々之霊追善供養者也
  (−−−〇〇家先祖代々之霊の為に追善供養するもの也)
 表にお題目を書きその下に「見二如来」、「二仏並座」などと、書く。
 これは『法華経』のなかに「法華経が説かれたときに、宝塔が地中より湧出し
その中に居られた多宝如来が、その教えが真実であることを証明する。そして、
釈迦如来を多宝塔の中に招き入れて、多宝如来とともに並び座られる。」とある
ことに基く。
 従って、お題目の書いてある板塔婆は多宝塔を表わす。
【塔婆供養の意味】
  塔婆の裏には経文の一句を書く。これは、写経供養をしてその功徳をたむける
 意味である。
  法華経には「童子がたわむれにでも砂で塔をつくればそれでも仏道を行じたこ
 とになる」とか、「法華経のあるところは、樹の下でも、山でも、谷でも、野原
 でもどこでも塔を建てて供養しなさい、そこは諸仏の道場であり、仏さまのおら
 れるところだ。」と塔を建てて供養することが説かれている。
  すなわち、板塔婆は、塔を建てる功徳と写経供養の功徳との二つを、亡き人の追善供養の
 ためのそなえることになる。
【塔婆供養の功徳】
「去りぬる幼子のむすめ御前の十三年に、丈六のそとばをたてて、其面に南無妙法蓮華経の
七字を顕はしてをはしませば、北風吹けば南海のいろくづ(魚族)、其風にあたりて大海の
苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿、其風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に
生まれん。況やかのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。(略)
此より後々の御そとばにも法華経の題目を顕はし給へ。」(「中興入道御消息」)

「中興入道御消息」 弘安二年(一二七九)、幼くして世を去った姫御前の十三回忌供養の
ため佐渡から、身延の草庵を訪ねた中興信重に託して、故入道の未亡人に送られた手紙。

冒頭へ


平成17年7月12日(火) 実台寺信行会(第五十九回)資料
供華(くげ)の話
  供華(くげ)の話

【供華】仏前に供養する花のこと。
花には、色と香りの徳があり、見るものの心を和ませ、周囲を清める作用がある。
【供華のはじまり】
釈尊が前世において菩薩として修行していた頃、燃灯仏という仏さまに対し、何もご供養するものがないので、近くにいた花売女から五茎の青蓮華を買って供養した。これが仏さまへの供華のはじまりとされる。
【花を供養する法】
*本来、印度では、@華鬘(けまん)をつくり、A盤に盛り、または、B散華(さんげ)するなどした。
*立(りっ)華(か)という、枝についたままの花を瓶に挿して供える方法は、中国唐代に始まっ たものといわれる。
「華鬘」…仏前を荘厳するために、仏堂内陣の欄間などにかける装飾。元、インドの風俗として男女の身体を装飾するために生花の花輪を用いたものであった。(右図)
華鬘

「散華」…花びらを散らして、その場を清め、仏様に供養する。
「雨曼陀羅華 散仏及大衆」(寿量品)…天女が花を降らして仏徳を讃える。

【蓮華】

多くの花のなかでも供花の第一とされる。それは、@蓮華は、汚れた泥の中にあるが、その汚れに染まない清らかな花を咲かせる。菩薩の生き方を象徴、また、A花が開いているとき(因)に、すでに花の中に実を結んでいる(果)ことから、因果の二法、あるいは凡夫も仏性をそなえていることの象徴、とされるからである。

【常華(金木華)】

寺や各家のご本尊の前に飾られる金色の蓮華。蕾と花と実がすべて具わって、過去・現在・未来の三世の相をあらわすとともに、経文にある金色に輝く浄土の蓮華を表わす。
常華

この蓮華の花組みは「立花(りっか)」とよばれ、室町時代から華道の形式になり、中心に立つ花は「しん」と呼ばれて仏・神の宿る場を意味している。

【一本花】

旅の途上で、釈尊の弟子の大迦葉が、一枝の花を持った一人の婆(ば)羅門(らもん)に出会い、釈尊の入滅を知らされたことに由来する。
【白または銀色の蓮華の常華(施主花)】
釈尊の入滅の時、その両側に生えていた沙羅双樹の木が一時に枯れて白色に変じ、遠くから望むと鶴がとまっているように見えたという故事に基づく。(ここから、釈尊入滅の地を「鶴林」という。)

※ 棘のある木の花、嫌な臭いの花、むくげの花、は避けるとの言い伝え。

樒の花と葉           樒の実

※ 樒(しきみ)…インドから中国へ伝わり、日本へは奈良時代に鑑真和尚が伝えたと言われる。仏前に供えるのは、青蓮華に葉の形が似ているからとか。
昔、棺に樒の葉を詰めて埋葬したのは、その実に毒があり野犬などに荒らされないため、と言われる。

【供華に関する記述】 (「優陀那(うだな)院日輝」)
「諸の供養物の中に香・花・灯明の三、最も心気を資け道念を補養する者也」
(優陀那(うだな)院日輝『充治園礼誦儀記』)
「供養の厳重なること花を挙るに過たるは莫し。其の中に蓮華の供養尤も妙なる者か」 (優陀那院日輝『十種供養式』)
なお、供花には向上相(花の表を本尊に向ける)、向中相(花を八方に向ける)、向下相(花の背を本尊に向ける)の三法あるが、供養する者の「心気を資け道念を補養する」ために向下相を基本とする。
(優陀那院日輝『充洽園礼誦儀記』十種供養)

冒頭へ


平成17年8月12日(金) 実台寺信行会(第六十回)資料
「供香(こう)」の話
「香(こう)」の話

【香】
    良い香りの成分を多く含んだ木や、その樹皮、あるいは花などから製する。
    火にくべて香りを出したり、身に塗ったり、地面や壁、行坐に塗り、身衣に焚きこめるなど様々の用法がある。

【供香】(くこう・そなえこう)
    仏に供養するために香を焚く。
法華経の授記品、法師品、提婆達多品などに「焼香」の文字があり、分別功徳品には「衆宝妙香炉、焼無価之香、自然悉周気、供養諸世尊」などとあり、この他、開結の二経等の諸経に、焼香供養の文字が出てくることからも、仏に供養するために香を焚くことが、古くから行われていたことが知られる。
【香の起こり】
インドで起こる。インドは酷暑の国ゆえ臭気が強く、その臭気の対策として古代から、種々の香が製された。
「天竺は、国熱く、又、身臭きを以ての故に、香を以て身に塗りて諸仏及び僧を供養す。乃至或は以て地を塗り、壁及び行坐の処に塗るなり。」『大智度論』。
*中国・日本では、元は香をたく習慣はなく、仏教伝来と共に行われるようになった。
【香のはたらき(功徳)】
   諸の臭穢を除いて清浄ならしめる。(即ち、諸悪を断じて諸善を奉行する。)
「香は穢を解き、芬を流し、人をして聞かんことを願はしむ。」(『僧史略』)
「須達長者、仏を請待せんとして、竟夜、通楼に登って手に香炉を取って信心を発す。茲に知んぬ。香を信心の使いとなすなり。」(「香は仏使なり」という故事)(『僧史略』)
【香之十徳】
1.精気を増益する 2.身体を芳潔にする 3.身体の温涼を調節する 4.寿命を延ばす 5.顔色をひきたてる 6.精神を爽快にする 7.耳目を鋭くする 8.健康にする 9.媚態と愛嬌を増す 10.品位を高める。(「華厳経」)
【香の種類】
   香を分類すると塗香、焼香、華香に分けられる。(用い方による分類)
塗香…香を手や身に塗って行者の身を清めること。(香水・香油・香薬など)
     インドでは塗香が主に用いられた。(上記の「大智度論」参照)
華香…芳香を持つ花を摘み集めてそのままを散布する。
     現在も南方の諸国で行われている。
焼香(薫香)…香木を焚き香りを燻らせる。(丸香・抹香・練香・線香など)
  形状によって分類すると、
「香木そのもの」…伽羅を始めとする沈香、白檀香など
「抹香」…数種の香木を細かく刻んで調合したもの、
「練香」(丸香)…粉末状にして練合せたもの
「押香」…型押しにしたもの、
「線香」…長い棒状にしたもの(巻線香のように長時間保つ工夫がされているものもある)
※線香のこと
線香の伝来:「寛文七年に五島一官という者、中国の福州より伝え、その子一官長崎にて始めて之を製す」(『近代世事談』)とある。江戸時代初期に用い始めた。
線香を立てる時の注意:
 香炉の中央に真直に立てるようにすること。
 蓋付の香炉には線香の火点を左にして横たえて用いること。
 香炉の灰は常に綺麗にして古い燃え残りなどを残して置かぬこと。

【香木のこと】
  
  沈水香(じんすいこう)

代表的な香木。(沈香(じんこう)あるいは単に沈(じん)ともいう)
ジンチョウゲ科の常緑高木に、樹脂が長い間を経て擬結してできたもの。それから採取した天然香料。
これをたくと、特有の清潔で上品な香りがする。木は、熱帯アジアに産し、高さ約10メートル。木質堅く、水に沈むので沈という。花は白色。
土中に埋め、または自然に腐敗させて香料を得、光沢ある黒色の優良品を伽羅(きゃら)という。材は高級調度品にも用いる。沈水香。沈。
沈水香の伝来
「推古天皇三年(595)夏四月、沈水、淡路島に漂ひ着けり。其の大きさ一囲、島人、沈水を知らず、薪に交えて、かまどに焼く。その煙気遠く薫る。即ち、異なりとして献る。」(『日本書紀』)とある。
  白檀(びゃくだん) 
インド、東南アジアなどで産出する常緑樹で、香料の他、彫刻材や扇子などで広く使われている馴染みの深い香木である。爽やかな香りがする。インドマイソール地方のものは最高品質で「老山白檀」と称される。

 《伽羅に関する話》

優雅な香りのする沈香の最高級品「伽羅」は昔から大変貴重なもので、庶民にはとても手がでない高価な香料だった。そこで、伽羅への憧れが、ほめ言葉の代名詞となり、江戸時代には「伽羅」と言えば、「素晴らしい」とか「素敵な」とか「美しい」などの代名詞として使用されていた。

○「伽羅をいう」…お世辞をいうこと、
○「伽羅者」…お世辞の上手い、世渡り上手なひと、
○「伽羅女(きゃらめ)」…美しい女性のこと。

【焼香】

焼香の時には右手の空指(拇指)と風指(人さし指)にて香をつまみ火にくべる。導師、献香師等の焼香は三?、その他の諸役及び参詣者等の焼香は一?する。三?するのは「第一?は、天魔波旬を遠離すと念じ、第二?は、仏祖の影現を念じ、第三?は、諸天善神の擁護を念ずべし」との意味によるといい、一?のみするのは「一心不乱」の意味であるとしている。
なお、焼香のことを拈香、捻香、?香、行香などともいう。    ?の部分は「火」へんに「主」という字が入る。

【香奠について】

香典・香銭・香資ともいう。
奠はすすめる義、仏前または死者の霊前にすすめる香物をいい、典はものを買い取る趣旨で、銭・資の字を当てるのも同じで『勅修百丈清規』に「香銭ハ仏前ニ供エル香ノ費用ヲ扶ケル銭」という。つまり香華の代りに贈る銭貨の謂で、仏事法要を営む家の負担を軽くしようという趣旨であった。

近頃では香奠返しと称して物品を返す風習が行われ、或は寺院に対しては御回向料又は下山料として返す慣わしもある。
『緯嚢鈔』六に「当時僧斉なんどに出す料足を香田とは何ぞや、香田と書くは当字(あてじ)歟。香銭(コウデン)と書く也。銭をテンと読むは宋音歟。銭の字にテンの音(おん)なし。香奠なるべし、禅宗に礼銭と云ふ詞なり」と。

地方によっては村香奠(むらこうでん)と称し、部落の人達が米麦野菜などを贈り合って喪家を助け、葬費の軽減を計った風習も残っている。
(「日蓮宗大事典」)

冒頭へ


平成17年9月12日(月) 実台寺信行会(第六十一回)資料
「灯明」の話」
  「灯明」の話」

【灯明】

仏さまに供養する灯火のこと。「燃灯」、「みあかし」または「あかし」などともいう。
ロウソク・ランプ・電灯などを用いる。
【灯明の起源】
仏滅時の「自灯明・法灯明」の遺言に起因する、といわれる。
   「自灯明・法灯明」の教え
釈尊の入滅時に阿難が質問:「世尊が亡くなられたら私たちは、だれを頼りにして生きていけばいいのでしょうか。」
釈尊の答え:「阿難よ、あなたたちは、自らを灯明とし、自らをたよりとしなさい。他人をたよりとしてはいけません。また、法(真理)を灯明とし、法をよりどころとしなさい。他のものをよりどころとしてはいけません。」
(解説)先ず、自分をよりどころにする。他人をよりどころにしたのでは、その人の変化によって、自分も左右される。では、自分はなにをよりどころとするか。それは、法(真理)以外にない。それ以外の他のものをよりどころとしてはいけない。(他のものとは、例えば、天上から世界を支配している神のような存在。)よりどころに出来るのは、「法、即ち、真理」だけである、ということ。
『施灯功徳経』に「仏・法・僧の三宝を信じて、三宝に少しでも灯明を供養すれば、その福徳は大きい。仏塔や寺において一灯あるいは多灯を供養すれば、その功徳は無量である。」と説かれている。仏前に灯明をあげるのは、この経説によっている。
【灯明の働き】
灯明は仏の智恵を象徴する。それは灯明の光が一切の暗黒を消除するように、仏の智恵のはたらきが衆生の無明を照らし滅するからである。
 <参考>「如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇」
       (日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す)
ローソクにこだわり、電気なんて使うべきでないという意見もあるが、仏様の知恵を象徴的に表す「あかり」という意味では同じで、安全性の面からも、普段は電気の明かりで差し支えない。また、仏の慈悲の象徴ともいえる。それは暗闇を滅し周囲を明るくするので、人の心に安堵感をもたらすからである。
小さいローソクの火はわずかな光のようであるが、暗闇でみるときは驚くはど明るくあたりを照らしている。それは、暗闇にいる人にとっては大変な心の安らぎを与えられることになる。
特に、ローソクは己が身を焦がしすり減らして周りを照らすので、菩薩の生き方に通じるとされる。
黙々として燃えている仏壇の小さなローソクは、ローソクに学べ、ローソクに習え、と仏さまが仏壇のなかから語りかけておられるとも考えられる。

【灯明の供養】

灯明の供養については「貧者の一灯」の話が有名である。現在ではロウソクを用いるのが一般的であるが、昔は油が用いられた。
「貧者の一灯」
インドの王舎城のアジャータシャトル王が食事の供養のほかにお釈迦さまに灯明を供養しようと、百石の麻の油を車で山房に贈りました。
この車の行列を見ている一人の貧しい老婆がありました。老婆は、いつもお釈迦さまに何かご供養をしたいと願っていたのですが、貧乏だったためにどうすることもできませんでした。しかしこの行列に出会ったとき、この時を逃したらいつまでたっても願いは実現できないことになるだろうと、老婆は灯明の供養を決意しました。
道行く人に乞うて、わずかな金を恵んでもらい、老婆はその金を持って油屋にいきました。老婆の貧しい身なりを見た油屋の主人が、「なぜそのお金で自分の食べる物を買わないのか?」とたずねると、彼女は、「仏さまに会えるというのは百劫の間に一度だけしかないと聞いています。わたしは仏さまの世に生まれた幸せ者です。今まで貧乏でなにもご供養することができなかったけれど、今日、王さまがお灯明の供養をするのを見て、私も決心いたしました。せめて心ばかりの一灯だけでも供養の心を捧げたいのです。」と、答えました。これを聞いた油屋の主人は大変に感激して、一合分の代金で五合の油を売ってやりました。
老婆の捧げた灯明は、王さまたちの捧げた幾百の灯明の中にまじって小さくゆらめいていました。やがて夜が更けていき、嵐が出てきました。そのため次つぎと灯りが消えていきましたが、ただ一つ老婆の灯明だけはあかあかとともっています。
夜が明けて、あたりが明るくなっても老婆の供養した灯明だけは燃えつづけています。お弟子さんたちが消そうとして衣の袖であおるのですが、灯明は消えるどころかさらに輝きをますばかりでした。
老婆の、仏さまに供養をささげたいという一途なまごころは、何ものもさまたげることはできなかったのです。
灯明に限らずこの話には、仏に供養するときの心構えが説かれている。

【五具足・三具足】
お花、灯明、お香は、三大供養と言い、仏様にお参りするときの必需品である。

五具足(ごぐそく)…「花立て一対・燭台一対・香炉一つ」のセット。
三具足(みつぐそく)…「花立て・燭台・香炉」各一つずつのセット。
    三具足の場合、仏壇に向かって右側が燭台、中央が香炉、左側に花立て、と配置する。
三具足                      五具足
花鳥三具足 蓮華地紋五具足
【供養物について】
「諸の供養物の中に香、花、燈明の三、最も心気を資け、道念を補養する者也。(略)燈明は心気を厳粛ならしむ、戒心を資く。」
「油燈、蝋燈宜しきに従うべし。」〔『充洽園礼誦儀記』(優陀那日輝)〕

冒頭へ


平成17年10月12日(水) 実台寺信行会(第六十二回)資料
「高座説教・繰り弁」
 「高座説教・繰り弁」

【高座説教】

高座説教とは、檀信徒大衆より一段高く設けた席で行なう説教のこと。(説教中に、繰り弁を入れる)。
日蓮宗においては高さ4尺5寸、幅4尺4寸、奥行き3尺5寸の台を用いる。
 (説教の時、何らかの台を用いるのは仏陀以来の伝統であるが、このような高い台を用いることは、他宗には例を見ない。)

高座は木製で、回りに金襴などで作られた高座掛でおおわれ、上部を板で押さえ、経函、金丸、科註箱などの用具を置く。
説教師は手に香炉を持ち、侍者を従えて入場・登高座し、一定の儀式に従って、説教を行なう。
(このような儀式も本宗独自のものである)

高座説教は明治初期まで盛んに行われたが、明治末期から、大正と下火になり、戦後は高座の無い寺の方が多くなってしまった。しかし、再び布教院が開かれ、ここで伝承され、今日に至っている。

【繰り弁】

 繰り弁とは、日蓮聖人の御一代やお弟子の方々の話を語呂のよい言葉、調子のよい口調、抑揚ある語りで作った説教を言う。講談のように中啓、笏(しゃく)などをつかって、往時の情景などが脳裏によみがえるよう語る。
 繰り弁は、全集になっていて何百篇という種類があり、話の内容・時候などにより、どれを取り入れるかが説教者の聞かせ所となる。
 日蓮宗においてこの形式が確立したのは徳川中期といわれ、諸本山の出開帳が盛んに行なわれ、名説教師といわれる先師が多数輩出されたのと時を同じくしている。

  〈繰り弁の特質〉
(一)繰り弁は、祖伝及び先師伝であって釈尊伝ではない。
(二)徳川幕府が、新宗の創設や他宗批判を禁じ、檀家制度を取り入れるなど、金しばりの政策を行う中で、各教団は内にとじこもり、自宗が如何に勝れているかを説くよりも、身内の人々に祖師上人が如何にありがたいかを説くという傾向になっていった。内容が、ありがたさ主体となると、口調も淀みなく流れるよう、抑揚宜しきを得た語りが大衆うけするようになり、時には役者のまねまでする人がいたといわれている。こうした土壌、こうした流れの中で「繰り弁」は育った。
◎深沢友遠師の高座説教繰り弁「日蓮聖人御一代記」のビデオ拝観
  佐渡流罪から御入滅まで、約35分間
<参考>
  【ばっちょう笠】(バンジョウガサ(番匠笠)の転訛か) 真竹の皮で作った笠。

冒頭へ


平成17年12月12日(月) 実台寺信行会(第六十三回)資料
仏壇の話
 仏壇の話

【仏壇とは?】
仏さま(本尊)をお祀りする壇。(箱型厨子(ずし)、または龕(がん)ともいう。)
<参考> 厨子…仏像・舎利または経巻を安置する仏具。両開きの扉がある。
 龕…仏像を納める厨子。 (「広辞苑」より)
〔日蓮宗大事典〕 崇敬の仏像・曼荼羅本尊及び宗祖御像並びに先祖の霊牌・過去帳を安置し、五(ご)供(く)(香・華・灯燭・浄水湯茶・飯食膳霊)を供え、朝夕礼拝供養し報恩感謝の誠を捧げる壇のこと。
仏壇は、仏さま(本尊)をおまつりして祈りの対象とし、また、精神的なよりどころとするものである。同時に大切だった亡き人やご先祖を供養するところとしての役割もあわせもつ。従って、人が亡くなったから必要というものではなく、一家に一台は備えるべきものである。
【仏壇の起源】
天武天皇が家ごとに仏舎を作り、仏像と経典を安置し、礼拝・供養せよと詔(みことのり)されたのが始まりで、江戸中期以降、一般家庭に普及した。
法隆寺にある「玉虫厨子」は日本の仏壇のルーツ的存在といえる。
*「天武天皇十四年(六八五)二月詔して諸国毎家に仏舎を作り乃ち仏像及び経典を置き以て礼拝供養せしむ。」『日本書紀』二十九
*「佛壇。毎家に佛舎を作る」『日本書紀通論』第三十四
【仏壇の様式】
宗派による様式のちがいは、あまりなくて、本尊荘厳具等に若干の差がある。
【仏壇の種類・材質】
左:唐木仏壇     右:金仏壇
金仏壇 金仏壇
@金仏壇…金箔押漆塗(うるしぬり)
漆と金箔の輝く荘厳な印象をあたえる。
A唐木仏壇
銘木を使用し、落ち着いた重厚な風合いを出す。
紫檀・黒檀・桜・桑・欅など
B家具調仏壇(都市型仏壇)
伝統的なデザインにこだわらずに、自由に、モダンなデザインで製作したもの。
*伝統的に浄土真宗では「金仏壇」を、他宗では「唐木仏壇」を置いている家が多いが、これは必ずしも決まりではない。
【仏壇の置き場所】
@南面北座…北を背にした南向き
A本山中心…仏壇の前で合掌して拝む方向の延長線上に本山があるように置く。
以上のように方角を指示する説もあるが、
要は、毎日落ち着いて礼拝できる所に安置すれば良く、向きは部屋の都合でどちらを向いても気にする必要はない。(居間や寝室に置いて、日常生活と密着させるのもいいし、客間や専用の仏間などに置いて、日常から少し切り離して特別な意味を持たせるのもいい。)
〈仏壇と神棚〉仏壇と神棚を同じ部屋に置いてもかまわない。ただ、神棚と向かい合わせにすると、どちらかを礼拝する時に、もう一方に尻を向けることになるので、これは避けた方がいい。
【仏壇の開眼】(御霊(みたま)入れ)
新たに仏壇を調えたときは、菩提寺の住職に依頼し、ご本尊を掲げ、開眼供養をしてもらう。(遠方の場合は、ご本尊だけを開眼供養して、仏壇に祀ってもよい。)
【仏壇の荘厳】
1)中心にご本尊を奉安する。
 宗祖の御尊像を安置するときは、ご本尊の前・真下に安置する。
2)位牌・過去帳は、ご本尊の両脇、または一段下の段にお祀りする。
3)供え物
 @茶・水
 A香…香りは、霊の食物といわれる。線香は、一本または三本を香炉の   中心に垂直に立てる。
   焼香は、導師は三?、他の人は一?すればよい。
B霊膳(右下図参照)
C灯明
D供華
E供物 〔米と塩〕 米は左、塩は右。
     〔生果と製菓〕 生果は左、製菓は右。
       (上記の左右は、仏壇に向かって)
   (注) おつぼ(深めの器)…主に、和え物
      おひら(浅い器)…煮物・てんぷら、など
  

冒頭へ


平成18年2月12日(日) 実台寺信行会(第六十四回)資料
墓の話
 墓の話

【墓とは?】
遺骸・遺骨・遺髪・遺爪などを葬った場所、施設。
※インドの葬送…風・水・土・火の四種
風は、屍を獣鳥に供養する。水は、魚族に供養する。土は、草木に供養する。
わが国では土葬が主で土饅頭(円墳、天皇は前方後円)の形を用いた。
※墓・塚・墳
※ 墓‥土中に平らに遺骸を埋めた所。
※ 塚‥土中に遺骸を埋め、土を低く盛上げた所。
※ 墳‥土中に遺骸を埋め、土を高く盛上げた所。

【墓の語源】
「はふりか(葬処・放処)」または「はてか(果処)」の略語。
【墓の字源】
「莫(ナシ)」‥草の中に日が隠れて見えなくなる意。
「墓」‥土の中に埋めて見えなくする
【墓の起源】(埋葬の歴史) 
縄文時代…土壙墓(「壙」は穴・墓穴の意)。地表面に壙穴を掘った最も簡単な方法。(屈葬)が多い。遺棄することも多い。
配合墓(遺骸を土中に埋めて、その上に自然の石を置く。)
岩陰墓・洞穴墓(自然の岩陰・洞穴に遺骸を葬る)

弥生時代…土壙墓(伸展葬が多い。木棺に納めたものも。)

箱式棺墓(板石を組み合わせて四方を囲み蓋石で覆う。…階級性への傾斜。)
古墳時代…古墳墓(古墳)政治的支配者の特殊な墳墓。
円墳・方墳・上円下方墳・前方後円墳(日本固有の古墳)など。
横穴式系埋葬施設 石室
奈良・平安時代…合葬墳(夫婦など同一家族の遺骸をひとつの石室に葬る。墓碑らしきもの が出現。)
    貴族・僧侶階層に火葬が始まる。一般人の火葬は明治時代以降。墓堂が造られる。
鎌倉時代…仏教信仰と結びつく。卒塔婆を立てて追善供養。
五輪塔 …地(方)・水(円)・火(三角)・風(半円)・空(宝珠)の五大に象る。
宝篋印塔(ほうきょういんとう)… 宝篋印陀羅尼(だらに)を納める。後に、供養塔・墓碑塔として建てられた。
多宝塔(宝塔) …釈尊・多宝2仏や大日如来をまつる塔。密教寺院に多い。
卵塔(無縫塔) …卵形の墓塔。鎌倉時代は禅宗の僧の墓として発達。

   江戸時代〜明治時代
墓標・墓碑を建てる。
角碑が一般的。由来は、位牌(死者の霊位・霊魂を祀る碑)に基づく
【墓の様式】

【両墓制】
死者を埋めた埋(うめ)墓(ばか)のほかに、詣でるための詣(まいり)墓(ばか)を別に作る風習。埋墓が河川敷・山中・海浜などに設置されるのに対し,詣墓は村内の寺・堂などの境内に設けられる。
埋墓は共有地の場合が多く,死亡順に埋葬していって,埋葬する場所がなくなれば,またもとの場所へもどる。また,埋葬地には石などを置くくらいで永久的な施設を設けることがない。したがって,死者埋葬後は埋墓へ墓参することもなく,もっぱら彼岸・盆などの墓参りは詣墓の方へ行われている。
【墓石の材質】


 《極上の石》
 
  庵治(あじ)
国内産出花崗岩の中で、最も高価な石。石目に鱗状のかすかな紋様が浮ぶのが特徴。
  本小松
歴史が古く、石質は堅硬で耐火性に優れている。
  大島
細目のよくそろった青みかげで、墓石材としては、わが国の数多いみかげ石の中でも指折り。




庵治(極上)
(香川県)
国内産出花崗岩の中で、最も高価な石。石目に鱗状のかすかな紋様が浮ぶのが特徴。
本小松
(極上)
(神奈川県)
歴史が古く、石質は堅硬で耐火性に優れている。
大島極上
(愛媛県)
細目のよくそろった青みかげで、墓石材としては、わが国の数多いみかげ石の中でも指折り。



冒頭へ


平成19年12月12日(水) 実台寺信行会(第八十三回)資料
仏像について 1.基本知識
1.造像の禁止
仏像の始まりは、釈尊の姿がモデルである。しかし、初期には、仏像を造ることは禁じられていた。それは、釈尊が偉大な存在であったため、一般の人間の姿で表すことは恐れ多いと考えたためである。

2.仏伝図
釈尊の生涯に関する伝記(仏伝)を描いた仏伝図が作られるが、そこでも釈尊は人間の姿では描かず、釈尊の生涯の四大事に関係づけてシンボル化された。

@ 誕生を「蓮華」で表す。釈尊の生誕の折に後から蓮華が咲いたとの伝説による。
A 成道(じょうどう)を「菩提樹」で表す。釈尊が菩提樹の下で成道(悟りを開く)したことによる。
B 初転法輪(しょてんぼうりん)を「法輪」で表す。初転法輪とは最初の説法のこと。
C 涅槃(ねはん)を「仏塔」で表す。仏塔は釈尊の遺骨を納めた塔。

この他にも、「仏座」や「仏足跡」などが、釈尊のシンボルとして描かれた。また、傘蓋を描きその下を空白にして、釈尊の存在を暗示した。
以上は、礼拝の対象を求める人々の熱い思いを表すもので、やがて仏像を生み出す原動力になる。

3.仏像の誕生
釈迦如来像
ガンダーラ仏…最初の仏像、紀元1世紀、パキスタン。
マトゥラー仏…二番目の仏像、紀元2世紀、中部インド。
諸仏の誕生
以後、大乗仏教の普及により、毘盧舎那仏・過去七仏・弥勒仏・阿弥陀仏・薬師仏などの仏像が誕生した。

4.仏像の種類
仏像とは、厳密には如来(仏)の像だけであるが、一般に、菩薩・明王・天・高僧などの像も仏像と称している。
@如来像
仏教の開祖・釈尊をモデルにしたもの。後に、阿弥陀如来・薬師如来などが考え出された。
A菩薩像
釈尊の悟りを開く前の姿が原型。後に、大乗仏教の普及に伴い、観音・普賢・文殊・地蔵などの諸菩薩が考え出された。如来に付き従う脇侍として造られることが多い。
B明王
密教の思想に基づき考え出される。明(光明)は智慧を表す。恐ろしい忿怒(ふんぬ)の相で、手ごわい相手を教え導く。
C天
神。もともとインドの神々だったものが多い。梵天・帝釈天・弁財天など。仏教の信者の護り役。

5.仏像の形
@如来像
出家の姿。従って、法衣のみで装身具(宝冠・アクセサリー)は身に着けていない。(大日如来は例外)。三十二相・八十種好(32の超人的特徴と80の小さな特徴)を備えもつ。 眉間白亳相(みけんびゃくごうそう)・肉髻(にくけい)・金色相・偏平足・手足具千輻輪相(しゅそくぐせんぷくりんそう)・梵声相(ぼんじょうそう)など
A菩薩像
悟りを求めて修行中の人。在家の貴人の姿がモデルといわれる。従って、胸・首・腕などに豪華な装身具をつけ、髪を伸ばし、きらびやかな宝冠を冠っている。(地蔵菩薩は例外)
B明王
忿怒形(ふんぬぎょう)(怒りの姿)。如来が姿を変え、如来の使者として現われたといえる。優しい仕方では教えを聴こうとしない悪人や捻(ひね)くれた考えのものを怖い顔で威嚇し教え導く。 髑髏の首飾りや虎の皮の衣など人を震え上がらせるようなものを身につけている。光背は、光ではなく燃え盛る火炎である。
C天
「神さま」で、仏教を守護する役割を担う。
神像形…甲冑を身につけている。→帝釈天・毘沙門天など。
天女形…女性の姿。→吉祥天・弁財天など。
鬼形(きぎょう)…鬼のような醜悪凶暴な表情。→羅刹夜叉(らせつやしゃ)・鬼形鬼子母神など。
畜形(ちくぎょう)…鳥獣の姿。→伽楼羅(かるら)


6.仏像の姿勢
@立像(りゅうぞう)
立った姿で、正立像(しょうりゅうぞう)・斜勢像・経行(きんひん)像などがある。
A座像(ざぞう)
結跏趺坐・半跏趺坐・蹲踞坐など
B臥像(がぞう)
涅槃図などに見られる。右腹を下に横になって寝そべる。

7.仏像の持物(じぶつ)
@蓮華
菩薩の持物。観音菩薩は必ずといえるほど蓮華をもっている。
A錫杖
先端に輪の付いた杖。地蔵菩薩がもっている。
B如意宝珠
如意輪観音、地蔵菩薩の持物。欲しいものを意の如くに出すから。
C水瓶(すいびょう)
水を入れる容器。梵天・千手観音。
D薬壺(やっこ)
薬を入れる容器。薬師如来。
Eその他

8.仏像の衣と装身具
衣の基本は三依(さんね)という三枚の衣。
(1.下半身を覆う小さい布。2.胸までを覆う中くらいの布。3. 肩から被る大きな布。)
初期の修行僧が着用していた。今もタイなどの僧侶は着用している。
○通肩(つうけん)
大きな布で両肩を覆う。釈尊像は常に通肩に造る。(例外もある)
○偏袒右肩(へんたんうけん)
通肩の右肩を脱いだもの。釈尊や師、目上の人に対する着用法。

冒頭へ


平成20年2月12日(火) 実台寺信行会(第八十四回)資料
仏像について 2.如来像(1)
如来とは?→如(=真理)の世界から来た人。
「真理に到達して、その真理を教えて人々を救うために、真理の世界からやって来た」のである。
ブッダ(仏陀=悟った者)とも言い、略して「仏」という。

1.釈迦如来像
特徴
@持ち物を持たず、冠・装飾品など一切身につけていない。
A衣は、通肩(つうけん)(両肩を覆う)が原則。偏袒右肩(へんたんうけん)(右肩を脱ぐ)のものもある。
B坐像が多い。立像もある。
C印は、施無畏印(せむいいん)・与願印(よがんいん)が一般的、禅宗では定印(じょういん)が多い。
D脇侍(わきじ)として、文殊菩薩・普賢菩薩を従える。(釈迦三尊)
(これは平安時代以降で、古い釈迦三尊像には色々な菩薩がつき従う。)
*施無畏印 「無畏(おそ畏れ無し)を施す」意で、緊張を和らげる身振り。(まあ、お楽にお聞きなさい。)
*与願印 仏が人々の願いをかなえてくれることを表わす。施無畏印と対をなす。
*禅定印 瞑想にはいる時の形で心の安定を表わす。座禅などで見られる。

「釈尊伝」による釈迦像
@.誕生仏 A釈迦苦行像 B降魔成道像 C初転法輪像 D涅槃像

「法華経」に因む釈迦像
二仏併座(にぶつびょうざ)像…釈迦如来と多宝如来が並び座る形。(「法華経・見宝塔品十一」)
上図の三宝尊(題目塔を中心に、向って左が釈迦如来、右が多宝如来)
清涼寺式釈迦像(別名、優填王思慕(うでんのうしぼ)像)
京都・嵯峨野の清涼寺に祀る。やや彫りの深い容貌で縄状に編んだ毛髪など異国風の特徴を持つ釈迦像。
【由来】古代インドの中の一国の王・優填王(ウダヤナ王)は、熱心な仏教信者で釈尊を崇拝していた。釈尊がしばらく留守にしていた間、親しく教えを聴くことができない苦しみから病に罹ってしまう。これを心配した家来が、栴檀(香木)で5尺の釈迦像を造ったところ王の病は治ったという。 上記は、史実ではないが、インドの仏像の起源とされる。 玄奘三蔵は、この優填王思慕像と称する像を見たと「大唐西域記」に記している。彼はこれを模刻して持ち帰り、これが中国各地で模刻された。その中の一体を、遣唐使で中国に渡った僧が持ち帰り清涼寺に安置した、といわれる。これがさらに模刻されて多く造られ、清涼寺式という独特の様式が出来た。

2.阿弥陀如来像
西方の極楽浄土にて教えを説き、無限の仏の光明で人間を永遠に救ってくれる仏。
 異称:無量寿如来(アミターユス)…無限の寿命を持った仏。
 無量光如来(アミターバ)…無限に慈悲の光を放ち続ける仏。
上の両者に共通のアミタを音写して、阿弥陀(如来)という。アミタは「無量」の意。

昔、インドの国王が仏法に感動して、王位を捨てて修行僧となり、法蔵菩薩となった。法蔵は、五劫という長期間思惟して48の大願を発し、成就して阿弥陀仏となったという。

「阿弥陀の四十八願」という。
中でも、第十八願(「念仏往生の願」)を特に重視する。
第十八願「念仏を10回唱えても極楽往生できない人がいたら、私は仏になるのを止めよう。」
特徴
「如来の通相」といって、釈迦如来・薬師如来と殆ど共通している。
印相も共通するものが多い(施無畏印・与願印・定印など)。
来迎印は阿弥陀如来に独特な印である。両手とも親指と人差し指で輪を作る。
脇侍仏
観音菩薩と勢至菩薩(「左観音、右勢至」という)
観音は蓮華を手に持ち、勢至は合掌して侍する。
両菩薩とも跪座のことが多く、体は前に傾けている。これは、往生を願う人のところへ一刻も早く迎えに行く姿勢を示したものである。

 

九品の弥陀(阿弥陀様の9種類の印)
●手がどの位置にあるかで3種類。。
  上品(へその前で手を組む)、中品(両手が胸の前)、下品(右手が胸、左手ひざ)
●どの指で輪を作るかで3種類
  上生(親指と人さし指)、中生(親指と中指)、下生(親指と薬指)
上記の組み合わせで9種類の印ができ、上品下生印のように、一つの名称となる。


冒頭へ


平成20年3月12日(水) 実台寺信行会(第八十五回)資料
仏像について 3.如来像(2)

3.薬師如来像
東方の浄瑠璃浄土(瑠璃光浄土)にて教えを説き、衆生の病苦を救い、無明の痼疾を癒してくれる仏。(薬師経に説かれる)
 
異称 : 薬師瑠璃光如来。薬師仏。
特徴 :
@左手に「薬壷」を持つ。「薬壷」が薬師如来のシンボルである。
他は、「如来の通相」で、釈迦如来などと区別しにくい。古くは薬壷を持たない像が多かったため、釈迦如来とまったく区別できないものもある。
A印相:左手は指を開いて上に向けへその下あたりに置き薬壷をのせる。
 右手は、施無畏印、または、薬師の「三界印」を結ぶ。
 ※薬師の「三界印」とは、人差し指を曲げて親指をそれに添え、他の三本はまっすぐに伸ばした形。
脇侍仏 :
日光菩薩(日耀)と月光菩薩(月浄)。
 詳しくは、日光遍照菩薩・月光遍照菩薩といい、日光と月光があまねく届くことを意味する。円形の日輪と三日月形の月輪を持つ。
眷属(従者) : 十二神将
十二神将は、薬師如来の十二の大願や十二支と結びつき、それぞれの方位や時刻を守る、つまり、昼夜を分かたず薬師如来を信仰するものを護ってくれるといわれる。 昔、菩薩であったとき「十二の大願」を発して成就し、薬師仏となったという。
第三願「私が仏になったら、一切衆生が欲するものは、何でも不足することなく得られるようにしよう。」
第六願「私が仏になったら、身体に障害を持つ一切の人々に、例えば目の見えない人には目を与え、耳の聞こえない人には耳を与えて、その障害を取り除いてあげよう。」。
第七願「私が仏になったら、一切衆生の病気を治し、心身共に健康にしてあげよう。」
このように、薬師如来の大願は現世利益的なものであったので、盛んに信仰された。(あした朝かんのん観音・ゆう夕やくし薬師といわれた)。

4.毘盧遮那(びるしゃな)如来像
梵語でヴァイローチャナ、「太陽」の意。太陽のように常に宇宙の中心にあって全宇宙を照らし続けている仏。密教では大日如来という。法身仏(法を人格化した仏)である。(華厳経に説かれる)

*「毘盧遮那」は新訳華厳経で、「盧舎那仏」は旧訳華厳経で用いられる。

蓮華蔵世界の蓮の花の上で教えを説いている。毘盧遮那如来蓮台には千枚の花びらがあり、その一枚一枚に大釈迦が1人ずついて、それぞれ教えを説く。また、その千枚の花びらの一枚一枚に百億の仏の世界があって、そこには小釈迦が1人ずついる。つまり、毘盧遮那仏の世界には、合計十一兆の大小の釈迦がいることになる。

広大無辺の世界の仏なので、実際の毘盧遮那仏も奈良の大仏のように巨大になる。
日本では、奈良の東大寺、唐招提寺、九州筑紫の戒壇院にあるだけである。
異称:
盧舎那仏。遍照遮那仏。光明遍照。浄満。
東大寺大仏の特徴
@結跏趺坐、印相は施無畏印・与願印、衣は通肩。
A台座のそれぞれの蓮弁には、釈迦如来と蓮華蔵世界が毛彫り(線彫り)で描かれ、様々な菩薩が描かれている。釈迦如来像は偏袒右肩になっている。
 

5.大日如来像
毘盧遮那如来の密教での呼称。その光明が遍(あまね)く照らすところから遍照(へんじょう)または大日という。(大日経・金剛頂経) 全宇宙を神格化したもの。

密教では、釈迦如来はじめすべての如来・菩薩・明王などは、大日如来の化身とされる。特に、不動明王は大日如来の教令輪身(きょうりょうりんじん)と呼ばれる。

※「教令輪身」とは、いくら説教しても聞き入れない、深い煩悩にとらわれた衆生を教化するために、大日如来が仮の姿を示したもの。
異称 : 遍照如来。遍照尊。遮那教主。
金剛界大日如来(金剛頂経系) と胎蔵界大日如来(大日経系)との二種の像がある。
@金剛界大日如来
智慧の面からとらえたもの。 森羅万象は何ものにも揺らがない大日如来の智慧が作り出したものと考える。 金剛はダイヤモンド。
A胎蔵界大日如来
慈悲の面からとらえたもの。 森羅万象は母の母胎のような大日如来の中に優しく包まれていると考える。
特徴 :
如来は、装身具をつけないのが原則。(悟りの世界に居り俗界を離れているからである。)しかし、大日如来だけは、宝冠を被り様々な装飾品を身につける。(しかも、大日如来の宝冠・装飾品は菩薩のものとは比較にならないほど絢爛豪華である。上図) 理由は、すべての仏を包括する偉大な大日如来は、他の如来と同じ姿ではこと足りないということか?
金剛界大日如来
印相は智拳印(忍術のような印・上図、智慧の固さを表す)。宝冠は、頭髪全体を覆う五智宝冠、身体は、白色。
胎蔵界大日如来
印相は法界定印(深い慈悲を表す)。宝冠は、五仏宝冠。身体は、金色。

冒頭へ


平成20年4月12日(土) 実台寺信行会(第八十六回)資料
仏像について 4.菩薩像(1)

菩薩像
菩薩(ぼさつ)とは?…菩提薩垂(ぼだいさった)(梵語で、ボーディ・サットヴァ)の略。(薩垂の"垂"の文字は正しくは土辺が付く) 「悟りを求めるもの」の意。
如来の悟りを目指して修行中の人。(菩提は悟り、薩垂は衆生の意。)
「上求菩提(じょうぐぼだい)、下化衆生(げけしゅじょう)」…菩薩の性格を表し、上(理想)は菩提(悟り)を目指し、下(現実)は衆生(悩める人々)を救おう、という意味。

*小乗仏教と大乗仏教について
小乗仏教は、自分ひとりが悟りを開くことを目指す。(「自利行」という)
大乗仏教は、自らの悟りを求めると共に、そこに安住せずに人々を救済すること(「利他行」)を理想とする。この
理想を目指して行動するものは皆、菩薩であると考える。(ここから、「菩薩乗」とも言う。)

菩薩の役割…如来の衆生救済の仕事を手伝う。如来の脇侍として従う。
菩薩の姿…冠など種々の装身具を身に纏う。まだ世俗との関わりを断っていないためである。

1.弥勒菩薩像
弥勒菩薩
梵語でマイトレーヤ、「慈しみの人」の意。「慈氏」と意訳する。
弥勒の話
インドのバラモンの家に生まれる。ある時、祇園精舎で釈尊の説法を聞きすぐに理解してしまう。釈尊は弥勒のこの優れた資質を見抜き、将来必ず悟りを開いて仏になるであろうと確約を与えたと伝える。これゆえ、「仏嗣(ぶっし)弥勒」(仏嗣は後継者の意)の別称を持つ。(「弥勒上生経(じょうしょうきょう)」)
未来仏の話
弥勒菩薩は釈尊の説法を聞いて12年後に兜率天に昇り、下生の時期を待つ。 仏滅後、56億7千万年後に修梵摩という大臣とその妻・梵摩越という優れた夫妻を父母と定めて、その右脇腹から生誕する。その後、竜華樹という木の下で悟りを開いて仏となり、釈尊が救済しきれなかった衆生を救ってくれるといわれる。当来仏ともいう。
弥勒の形
菩薩形と如来形がある。主に以下の3種類。
@半跏思惟像
菩薩形。普通左脚を垂れ、右脚を屈げ左の膝頭に乗せて腰かけ、右手を頬のあたりに挙げ思考にふける姿。(跏は、足の裏。)将来、下生した時にどのようにして衆生を救おうか考えているのである。京都広隆寺が有名。
A菩薩像
菩薩なので宝冠を被り持ち物を持つ。小さな仏塔を持つのが特徴。仏塔は五輪塔の場合が多い。薬師寺・興福寺など。
B如来像
未来物としての像。如来の通相に作られる(通肩の衣、与願印・施無畏印)。釈迦如来像と見分けにくい。
*布袋尊(ほてい)
中国では弥勒菩薩の化身とされる。
布袋は中国の唐代に実在した人物である。市中を廻って物を乞い、食べられるものは何でも食べてしまったので、極端に肥満したといわれる。今伝えられているのと同じようなユーモラスで温和な風貌で親しまれたという。

2.文殊菩薩像
文殊菩薩
梵語でマンジュシュリーといい、妙首・妙吉祥などと訳す。 普賢菩薩と共に釈迦如来の脇侍として仕え、智慧を司る。 経典によると、娑婆世界の東北方に清涼山という山があり、そこには過去のあらゆる菩薩が住んでいるといわれる。文殊菩薩はここで一万人の菩薩のために法を説いているといわれる。 これにより、中国山西省・五台山の清涼山が文殊菩薩の霊場として信仰を集めた。
文殊の智慧
「三人寄れば文殊の智慧」といわれる。 大富豪の維摩(ゆいま)居士は大変聡明で仏教の奥義にも通じていた。仏弟子の中でだれも議論して居士に敵う者が無かったが、文殊菩薩だけは対等に議論出来たといわれる。 純粋に理性的に、主観を交えず判断できた。これが悟りの智慧である。
文殊の形
形はさまざまである。
@一般の像
獅子に乗る。右手に剣、左手に経巻を持つ。経巻は智慧の象徴で、剣はその智慧が鋭く研ぎすまされていることを表す。獅子に乗るのは、智慧の勢いの盛んなさま。極まれに孔雀に乗るのもあるという。」
A髪と冠
髪はまげに結う。まげの数が一つのものや、五、六、八などがある。冠は着ける場合と着けない場合がある。
まげの数により、一髻(いちけい)文殊、五髻文殊…などがある。
童形文殊
子供の姿に作られたもの
僧形文殊
文殊菩薩を修行僧の最長老に見立て、食堂や講堂に安置して戒律などを監視するものとした。)
渡海文殊
大きな青獅子の上に結跏趺坐した文殊菩薩が、眷属を引き連れて大海原を渡る様子を画き、彫ったもの。

冒頭へ


平成20年5月12日(月) 実台寺信行会(第八十七回)資料
仏像について 5.菩薩像(2)

3.普賢菩薩像
普賢菩薩
梵語でサマンタバドラ。サマンタは「行き渡ること(普)」、バドラは「賢、または吉祥(めでたいこと)」の意。「普賢、または遍吉」と意訳する。「吉祥が四方八方に行き渡ること」を意味する。
普賢の形
一般的に、白象の上の蓮台に座る。手は合掌し、持ち物は持たない。
釈迦三尊の脇侍として、釈尊の右側に仕える。(左は獅子に乗った文殊菩薩)
普賢の行
文殊の智慧に対して、白象に乗った普賢菩薩は行(修行)を司るといわれる。智慧と修行がバランスよく行われるのが仏教の理想である。

4.虚空蔵(こくぞう)菩薩像
虚空蔵菩薩
梵語でアーカーシャバルガ。アーカーシャは「虚空」、バルガは母胎という意味で「蔵」と訳す。(母親が胎児を優しく包み込むように、虚空をすっぽり包み込むという意味)。虚空孕(こくうよう)菩薩とも訳す。 虚空のように広大な智慧、福徳を備え、この菩薩の名を唱える者に、幸福と智慧を与えてくれる。
虚空蔵の形
密教で発達した菩薩で、曼荼羅に描かれる。形態は様々である(省略)。
記憶力を増益
「虚空蔵求聞持法(ぐもんじほう)」という修法の本尊とされ、この行法は偉大な記憶力を授けてくれるといわれる。 日蓮聖人が、清澄寺の虚空蔵菩薩の前において、「日本第一の智者となし給え」と祈念したと伝えられるのもこの故といえよう。

5.地蔵菩薩像
地蔵菩薩
梵語でクシティ・ガルバといい、「大地の母胎(大地のあらゆる恵みをやさしく育む)」の意味で「地蔵」と訳す。元は、インドの大地の神。
無仏の時代
釈尊の滅後、56億7千万年後の弥勒仏の出現までの間をいう。 釈尊に頼まれ、地蔵菩薩は無仏の時代に娑婆世界に留まって衆生を救済する誓いを立てる。これを成就するまでは自分も成仏しないと決意して、目下その勤めを実行中といわれる。
地蔵の形
一般に僧侶の姿(我々と同じ娑婆世界にいることを表す) 右手に錫杖、左手に宝珠を持ち、蓮華の台座に立つ。(坐像もある)
六地蔵
地蔵菩薩は娑婆世界を守る使命により、娑婆世界を構成する六道の世界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を守るといわれる。
子供と地蔵
子が親に先立つことは、親を悲しませることから、最大の罪といわれる。そこで閻魔大王の裁きを受ける。このとき、地蔵菩薩が親代わりになって守ってくれるという。路傍のお地蔵さまに涎掛けをかけたり、おもちゃや菓子などを供えてあるのはそのような親の悲痛な願いがこめられているのである。これは日本特有の風習である。

6.その他の菩薩像
勢至菩薩
阿弥陀三尊として阿弥陀如来の脇侍として仕える。観音像のように単独で信仰されることはない。観音が慈悲の力で人々を救うのに対して、勢至は智慧の力で救うといわれる。
日光菩薩・月光菩薩
この二尊は、薬師如来の脇侍としてのみ祀られ、単独に祀られることはない。
日光菩薩は、左手に金色の日輪、右手に曼殊沙華を持つ。
月光菩薩は、左手に銀色の月輪、右手に紅の蓮華を持つ。

冒頭へ


平成20年6月12日(木) 実台寺信行会(第八十八回)資料
仏像について 6.観音菩薩像

観音菩薩像
観音菩薩は、正しくは、「観世音菩薩」または「観自在菩薩」といい、梵語でアヴァローキテーシュバラという。苦からの救いを求める人々の声(世音)を(観)察して、意のままに(自在に)救う、ということ。

「念彼観音力」…彼の観音の力を念ずれば (「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」)
苦しみにあえぐ衆生が、観世音菩薩の名を一心に唱えるならば、観音様はその声を聞いて直ちにその人に応じて三十三の変化の身となって救ってくれる。

普陀落山(ふだらく)…観世音菩薩の浄土。梵語でポタラカ。チベットのポタラ宮、熊野の那智山、日光の二荒山(ふたらさん)などが著名。
三十三身に化身して衆生を救うといわれるところから、いろいろな像が造られた。

@聖(しょう)観音
梵語で、アーリア・アヴァローキテーシュバラという。アーリアは「聖・聖者」の意。 観音の基本ともいえるので、正(しょう)観音ともいわれる。 阿弥陀如来の脇侍として、勢至菩薩とともに安置されるが、単独でも祀られる。
 
聖観音の形
一面二臂(ひ)像(顔が一つ、手が二本)。 立像で、蓮の花や水瓶を持つもの、施無畏印のものなど色々ある。 宝冠を被り、宝冠には阿弥陀如来の化仏(けぶつ)が置かれる。
*化仏(けぶつ)
仏像や菩薩像などの頭上、または光背に配置されている小さな仏の形像。菩薩の場合は、その本地仏を表すため、頭上に頂く仏形をいう。観音の頭上の阿弥陀像がその例である。また仏ではないが、馬頭観音の頭上の馬も化仏と呼ぶ場合がある。

A十一面観音
梵語で、エーカダシャ(十一の)・ムッカ(顔)。
 
十一面の意味
正面の三面(慈悲相・優しい顔)、左の三面(瞋怒相・怒った顔)、右の三面(白牙上出相・白い牙を剥き出す)、後ろの一面(暴大笑相・大笑い)、頭上(如来相)→ それぞれの人の特性に応じて、観音様の慈悲を以って導く。
*四方八方に顔を向けて一切衆生を救済するということが、現世利益を求める当時の人々に支持され、厚く信仰される。
十一面観音の形
本面と合わせて十二面が一般的。左手に水瓶を持ち、右手は施無畏印に組む。(水瓶の口に蓮華を差しているものもある。) 四臂像もある。
(十一面観音の登場はヒンドゥー教の影響で、これ以後、多面多臂像が造られるようになる。)

B不空羂索(ふくうけんじゃく)観音
梵語で、アモーガ(不空)・バーシャ(羂索)。 不空は、「空しくしない、絶対に失敗しない確実さ」を表す。羂索の「羂」は魚や鳥獣を捕らえる網、「索」は魚を釣る糸のこと。 従って、観音様が大慈悲心で釣り糸を垂れ網を用いて迷い悩める衆生を救いあげて下さる、しかも絶対に失敗がないということである。
 
不空羂索観音の形
非常にヴァリエーションに富む。一面二臂像〜十一面三十二臂像、一面三目二臂像などさまざま。いずれも長い布切れ(羂索)を垂らしている。

C千手(せんじゅ)観音
梵語で、サハスラ・ブジャ(千の手を持つもの)。正式には、「せんじゅ千手せんげん千眼観音」という。 千本の手の掌に眼が一つずつあり、この千の眼で一切衆生の願いを余すところなく見届け、あらゆる手段(千の手)でその願いを叶えてくれる。(千は無限を表す)
 
千手観音の形
一面三眼千臂千眼が基本的な形。次第に、四十二臂像が一般的になる。(一本の手が二十五世間の衆生を救う。40×25=1000になる。中央の合掌した2本は別。)

D如意輪(にょいりん)観音
梵語で、チンターマニ(如意=如意宝珠)・チャクラ(輪=法輪)。如意宝珠は、孫悟空の如意棒のように思い通りに働き、願いが意のままに叶う珠。法輪は、人々を教え導く仏の教え。
 
如意輪観音の形
二臂像〜十二臂像などの多臂像もある。六臂像が最も多く見られる。身体は金色で、化仏の付いた法輪をかぶり、衣は偏袒右肩に着る。右膝を立てて両足の裏を合わせたような姿が特徴(輪王座)。右の一手は肘を曲げ頬に当てる(思惟手)。

E馬頭観音
梵語で、ハヤグリーヴァ(馬の頭を持つもの)。 天馬のように縦横無尽に駆け巡りあらゆる障害を乗り越えて目的を達成する。
 
馬頭観音の形
忿怒形(ふんぬぎょう)(怒りの表情)。手ごわい煩悩を除くには優しい慈悲の表情では出来ないと考える。観音様で忿怒形は馬頭観音だけである。 頭上に馬頭を頂く。人身馬頭の形もある。顔と手の数もさまざま。

冒頭へ


平成20年7月12日(土) 実台寺信行会(第八十九回)資料
仏像について 7.明王像・天部の像(1)

明王像
明王とは?
梵語で、ヴィドゥヤー(明呪(みょうじゅ)=真言)・ラージャ(王)。
明呪を尊重して伝える → 明呪の王 →「明王」 となった。
@大日如来の化身
密教が7世紀頃から盛んになり、バラモン教・ヒンドゥー教の神々を取り入れた。密教では、大日如来が根本の仏で、すべての仏・菩薩等は大日如来の化身と考える。真言(陀羅尼)を重視する。
A忿怒(ふんぬ)の相
普通では教化できない、深い煩悩にとらわれている者(=難化(なんげ)の衆生)を威圧し、有無を言わさずに救済する。そのために、恐ろしい顔を持つ。
手にはさまざまな武器を持ち、蛇や髑髏などを身につける。 背には、火焔(燃えさかる炎、激しい怒りを表す)を背負う。

1.不動明王像
意味 : 
梵語で、アチャラナータ(動かない)。
ヒンドゥー教のシヴァ神に由来する。シヴァ神はモンスーンの威力を神格化したもの。 破壊と救済を兼ね備える。(すさまじい破壊力とモンスーンが通り過ぎた後の万物が甦るエネルギーを象徴する。)
形 :
さまざまであるが、一面二臂の座像が多い。 一面二臂の座像(右図参照) 童子形(どうじぎょう)(子供の体形)、忿怒の表情、火焔の光背、右手に剣、左手に羂索。天地眼(左右の目が天と地の両方を見る。すべてを見通す意。)、上の歯で下唇を咬む。身体の色は、赤・青・黒・黄色・赤黄色・青黒色など。
眷属 :
矜羯羅(こんぴら)・制咤迦(せいだか)の二童子を従える。その他、六童子、八童子もある。
  ※成田山新勝寺、高野山の波切不動尊など

2.愛染明王像
意味 : 
梵語で、ラーガ(愛欲)・ラージャ(王)。愛欲は人の欲望の中でも最も断ちがたいもので、「愛欲の王」は仏教にそぐわない。 愛染明王は愛欲を悟りの心に高めて、男女間の様々な悩みから救う。「煩悩即菩提」
形 :
忿怒形、身体の色は真紅、頭に獅子冠をかぶり、髪を逆立て、牙をむき出して口をカッと開き、一面三目六臂像が多い。座像のみ。
左手は、@金鈴、A弓、B拳を挙げる
右手は、@五鈷杵(ごこしょ)、A矢、B蓮華
※仁和寺、醍醐寺、高野山などが有名
八大明王…不動・降三世(ごうさんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳・金剛夜叉・烏枢沙摩(うすさま)・無能勝(むのうしょう)・馬頭。
その他、孔雀明王、大元帥明王、など。


天部の像
天とは?
梵語で、デーヴァ(音写してだいば提婆)。超人的な力を持った神。 古代インドのバラモン教・ヒンドゥー教の神が、仏教に取り入れられて仏教の守護神となった。自然現象やその働きなどが神格化された。 住処は仏教の世界観に基づく諸天にある。

1.梵天(ぼんてん)
意味 : 
梵語で、ブラフマン(呪文の神秘的な霊力)。大梵天ともいう。 呪文があらゆるものを生み出す力を持つ→世界創造神→ヒンドゥー教の最高神→仏教を護る神 色界の十七天中に住む。 欲界の帝釈天と並んで仏教の二大護法神とされる。
形 :
二臂像、密教伝来後は四面四臂像も造られる。 中国風のゆったりした衣装で、払子・宝鏡・羽扇などを持つ。
≪参考≫
「ぼんてん梵天かんじょう勧請」(H19.3.12 「釈尊の生涯二」参照) 釈尊は自らが気づいた真理の内容(仏法)を人々に伝えるべきかどうか迷った。その内容があまりに深くて衆生には理解できないだろうと思ったからである。ある日瞑想をしているとき、目の前に梵天が現れて、池に咲く蓮に背丈の高いものや低いものがあるように人にも様々な理解力の人がいるから、その人たちに応じて説法をしてほしいと懇願したといわれている。これを「梵天勧請」という。これによって、釈尊は説法をする決意をし、伝道の旅にでていくことになる。

2.帝釈天(たいしゃくてん)
意味 : 
梵語で、インドラ(因陀羅:いんだら)。釈提桓因(しゃくだいかんにん)。雷霆神(らいてい)で武勇の神(豪雨を伴い水をもたらす荒々しい神)→仏教・仏道修行の人を護る神 欲界の第二天に住む。梵天と併祀されることも多い。
形 :
二臂像。密教では、他の形もある。 中国風の俗人の衣装で、したに鎧を着ける。伐折羅(ばさら)(金剛杵:こんごうしょ)や払子を持つ。
≪参考≫
インドの神・インドラ時代の話 豪放磊落、浮気者で酒好きの乱暴者だった。
@ある仙人の奥さんを好きになり、仙人に変身して奥さんを抱いてしまう。仙人の呪詛に遭い、身体に千の女陰をつけられてしまう。困って懸命に仏道修行をして、千の女陰を千の眼に変えることが出来た。→「千眼天」の異名。
A阿修羅との戦い
阿修羅に舎脂(しゃし)という美しい娘がいた。阿修羅は娘を帝釈天の妻にしようと思っていた。ところが、帝釈天は偶然舎脂と出会った途端、暴力で彼女の貞操を奪ってしまう。父親の阿修羅は怒って、帝釈天に戦いを挑む。しかし、帝釈天は武勇無双の戦士である。阿修羅は負ける。だが、諦めずにまた闘う。三度、四度、五度…何度負けても戦いを挑む。かくして阿修羅は執念の鬼と化し、闘争の権化となる。
※後日談@
舎脂はその後帝釈天の妻となり幸せな毎日を送ったようだ。(「今昔物語集」)
 後日談A
阿修羅と帝釈天の戦いで、珍しく帝釈天が劣勢のときがあった。帝釈天の軍勢が逃げる時、その前に何千匹・何万匹のありの大群がいた。帝釈天はそれを殺すに忍びなく軍を止めて、引き返せと命じる。阿修羅軍は驚いて、何か策略に違いないと逃げ出してしまい、この戦いも帝釈天が勝利した。(「今昔物語集」)
阿修羅の怒りは正義の怒りだが狭量である(身も心も憔悴させる→修羅道の苦しみ)
帝釈天には、小さい生き物に同情する心の余裕があるということか?


冒頭へ


平成20年8月12日(火) 実台寺信行会(第九十回)資料
仏像について 8.天部の像(2)

3.四天王
意味 : 
梵語で、チャタスラ・マハー・ラージカー(「四方を護る偉大な王」の意)。
四天王は、さまざまな鬼人を従えて仏教とその信者を守護する。 また、帝釈天の配下として須弥山の4つの門を護る。 ここから、寺院では須弥壇に、本尊を中心にして四方に四天王を配する。
当山の四天王像
1.持国天(東:右手に剣、左手は垂らす。)
2.広目天(西:右手に筆、左手に経巻。)
3.増長天(南:左手にさんさげき三叉戟、右手は肘を曲げて腰に当てる。)
4.多聞天(北:毘沙門天:左手を高く上げ掌の上に宝塔を置き、右手に三叉戟を持つ。)
いずれも、中国風の甲冑を身に着け、忿怒の表情で天邪鬼を踏みつけている。
*あまのじゃく天邪鬼…仏教の教え・仏教の信者に害を与える邪悪なものを象徴。 何事につけ人の意見に逆らうこと、また、その人。ひねくれ者。

4.毘沙門天
意味 : 
梵語で、ヴァイシュラヴィナ(びしゃもん毘沙門天)。四天王の1人・多聞天のことであるが、単独で祀る場合は毘沙門天と呼ばれる。 須弥山の中腹に住み、北方を守護する。
その他 :
北方の守護神ということで京都の北方、鞍馬寺に祀られた。 東北地方に多く毘沙門天像が残っている。 上杉謙信は、自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていた。

5.その他の天
○吉祥天(きちじょうてん)
吉祥は、幸福の意。五穀豊穣・富貴の神。毘沙門天の妻(妹とも)。美しい女神としての性格も。(鎌倉時代以降、人気を弁財天に奪われる)
○弁才天(べんざいてん)
河川の神。川を流れる音が音楽に譬えられて音楽の神となり、雄弁に語る弁舌の神となり、学問の神となり福徳の神ともなる。足を崩し琵琶を抱く姿。福の神として「弁財天」とも。鎌倉の銭洗弁天も。 水辺に弁天堂。(三弁天:@江ノ島、A竹生島、B厳島、の弁天堂)
○鬼子母神
鬼神の妻。鬼子の母。他人の子を食べる悪神→安産・子育ての善神。 天女像、鬼形像。日蓮宗が多い。入谷、雑司が谷が有名。 石榴は、豊穣のシンボル・「吉祥果」として鬼子母神と切っても切れない縁がある。
○大黒天
古来、戦闘の神。「おおくにぬしの大国主みこと命」と混同され、烏帽子・袴・大きな袋・俵に乗る、といった柔和な姿の大黒像。農耕の神、福徳円満の神。 台所の神→ 寺の奥さんを「大黒さん」という。
○仁王
本来は、執金剛神(しゅこんごうじん)。→ 阿吽(あうん)二体の金剛力士像。(「二王」とも)。 上半身裸で筋肉隆々。
一般に、口を開いた阿形(あぎょう)が向って左に、口を閉じた吽形(うんぎょう)が右に置かれる。
*「阿・吽」について
阿形は、五十音のはじめの「あ」で、吐く息を表す。万物の根源であることを意味し、真理に到達することを意味する。 吽形は、最後の「ん」で吸う息を表す。終極で、すべての智慧の帰結するところであり、悪の門を閉ざして罪悪を遮断することを意味する。 「阿吽の呼吸」で、ぴたりと息を合わせて一切のあくを遮断する、意味合い。
○閻魔
梵語でヤマ(夜摩)。もと天上の王、最初の人間、最初の死者、死者の王。
○摩利支天
陽炎を神格化。除災増益の神。当山の像は、猪の上に立つ。
○韋駄天
天軍一の俊足を誇る。(「韋駄天走り」)。寺院の伽藍の守護神。 捷疾鬼が仏舎利を奪って逃げた時、追いかけて捕らえたといわれる。


冒頭へ



メール アイコン
メール
トップ アイコン
トップ


サンド