Blue 2



約束通り、その夜クラヴィスは候補達からの見舞いを持ってジュリアスの館を訪れた。
自分とけっして相入れぬ同僚に対して、光の守護聖は当然のごとく不機嫌を隠さない。
女王候補らに押し付けられたと言うと、ジュリアスの眉が動いた。
「…ふん。」
鼻で笑って、クラヴィスは思う。
 こやつでも、あれらにとまどうか?
「候補らがあまりにも心配しているのでな。
 特にお前の気に入りの、
 あれは自分の方が倒れそうな顔をしていたぞ。」
カマをかけてみると、
「…知らぬわ。」
ジュリアスがまた反応した。
 あれに惑わされたか。
クラヴィスは愉快になる一方だった。

ろくに言葉を交わすこともなく、ジュリアスの館を去った。

馬鹿げた愉しみに興じながら、クラヴィスは飛空都市をそぞろ歩いた。
聖殿、王立研究院、次元回廊の潜む洞窟、と歩き、
女王候補のための特別寮の前でふと歩みを止めた。
一方の部屋は既に暗く、もう一方は柔らかな灯りがまだ点っている。
かすかに古風な旋律が洩れ聴こえる。
夜の闇を押しやることなく控えめに、ヴァイオリンが歌っているのだ。
あまりにも小さな音なので、何の曲かはわからない。

音が止むと灯りも消え、再び静寂の戻った夜の闇を
クラヴィスはまた歩き始めた。

公園には寄らず、火竜族の女が営む占いの館の前を過ぎて、森の湖に到着した。
馴染みの場所。
もういつだったか思い出せない程昔の、ここと似た場所を思い、
とうに去ってしまった幸せな記憶を思う。
それも既に習慣と成り果てている。
だから、憂う。
クラヴィスはさらにその奥へと進んだ。


月と星に照らされた桜の下で、先客とかちあう。
 お前もだ
と、寂し気に佇むルヴァを見遣り、去らずに近寄る。
邪魔であろうと、知るものか。

「今晩は。」
ルヴァは嫌がることなくクラヴィスを迎えた。
「…ちょっと人恋しくなっていました。夜桜など観ていたせいか。」
応えずにクラヴィスは側に腰を降ろした。
倣って自分も座ったルヴァに、
「…あっちでもこっちでも、調子が狂うか?」
とつぶやいた。
ルヴァは小さく
「そうみたいですね。」
と曖昧に肯定した。
「…首座殿は、なんてことはない。成人の『はしか』が重症なまでよ。」
「そうですか… そうなんでしょうねえ… やっぱり…」
思い当たることがあるときた、とクラヴィスは思った。
「あいつも、お前も、全く趣味の悪い…」
「そんなことありませんよ。」

堪らず、クラヴィスは失笑した。

「…ああ、そんなに笑わなくてもいいじゃありませんか。」
なんだか憤慨している。
「貴方はただ知らないだけですよ。」
「何を。」
咽の奥で笑い続けるクラヴィス。
「私が何を知らぬと言うのだ。」
「…優しい娘なんですよ。」
「会議の時にも庇っていたな。」
言われてルヴァが気まずげになる。
「それから?」
「真面目で、自分に厳しいんです。」
  それがどうした
「美しい、可愛い娘です… 少なくとも、」
「お前には?」
言われてルヴァは言葉を詰らせたが
「ええ、私には。」
と肯定した。

「…愚かなことだ。」
クラヴィスは静かに言った。
「女王候補に、恋などするものではない…」
ルヴァは黙って耳を貸す。
「お前だって。知っていように。」
  手の届かぬものと、わかっていように
「…はい」
肯定。

終末を控えた桜が闇に降る。

「…私もわかってはいると思うんですけど、ねえ」
ルヴァも静かに口を開いた。
「どういうわけか、これでいいと、思ってしまうんです。」
クラヴィスは慎重に耳を傾ける。
「こんな、時間が止まっている世界で」
  淀み凝る、守護聖としての時間
「逢っているときだけ、時間が動き出すようです。」
  遠い、だが覚えのある感覚
「…生命の満ちる世界は美しいです。
 それが、あの、例えば、彼女が隣にいたりなんかすると…」
  より鮮やかな美しさとなるのだろう?

クラヴィスは鼻先だけで、しかし優しく、笑った。
「…隣にいるのが私で悪かったな。」

「あ〜〜〜、あのですねえ、クラヴィス、」
ルヴァが少しだけ声をあげる。
「あ〜、その、いいえ、いいえ、です。クラヴィス。
 貴方とこういう話をするようになるなんて、
 私はちょっと嬉しいですよ。」
「…なんだ、少しだけなのか。」
「からかわないでくださいよ。あ〜、いやですね、また笑う。
 貴方も随分笑い上戸になったものですね。知りませんでしたよ。」
「まあ、わからなくはない。あれは美しい、興味深い娘だ…」
「…ああ、貴方がそんな風に言うなんて、今日は驚くことばかりです。」
「世界に変化が訪れたのだろう? …その中に私がいて、何がおかしい?」
何年ぶりかに聞くクラヴィスの楽し気な声に驚くルヴァに、もうひと言続けてやる。
「いつぞや、お前がそう言ったではないか。私に。」
「…そうでした。そうでしたね。」
思い出してルヴァも笑った。

桜はずっと降り続けていた。
ルヴァのターバンや暗緑色のフードに降り
クラヴィスの長い黒髪と黒のローブにも降り積む。
銀灰色に揺らぐ夜桜の元で、穏やかに時が過ぎていく。
旧友同士、もう何も話さない。
降りしきる花びらが、思い出も今の事象も、境目をわからなくする。

夜明け前にクラヴィスが去るまで、夜桜見物は続いた。


翌日の朝、会議室にルヴァの姿は見えなかった。
ジュリアスを見舞うつもりだとか言っていたので、
どうせそのまま話し込んでしまっているのだろうと、
クラヴィスは眠気の覚めやらぬ頭で思った。
ディアが明日からのジュリアスの復職予定を告げ、解散となった。

早くから来ていた育成熱心なロザリアとすれ違い、守護聖達との挨拶が続く。
目線が動いて誰かの姿を探すが、やがて少しだけ肩が下がる。
クラヴィスと目が合うと、ぷいと横を向いてしまった。
「いかがなされましたか?」
とリュミエールに問われ、クラヴィスは無言でそのまま執務室に向かった。

執務室に籠ってしばらくの間うつらうつらしていると、ノックの音がした。
無視しているといつまでも鳴りやまず、頭にきたので思いきり扉を開いてやると、
廊下には勝ち誇ったような顔の女王候補の姿があった。
「ごきげんよう、クラヴィス様。やっぱりいらっしゃいましたわね。」
睨み付けてやったが、するりと脇を抜けて部屋の中に入って来てしまった。

なんでこんなに元気なのだろうとぼんやり思い、面倒なので黙って机に戻る。
「…何用か。」
クラヴィスの不機嫌な声にもたじろがない。
「お話を伺いに参りましたの。」
「…お前に話す事などない。」
しかしロザリアは全く臆しない。
仕方なく、クラヴィスは折れてやる。
「…何を聞きたいか。」
するとロザリアは一瞬笑顔になり、そしていつもの様に取り澄ます。
「ジュリアス様はいかがでしたでしょう?」
「…なんだ、そっちの方でいいのか?」
質問はわからないという顔になるロザリア。
クラヴィスはどうでもよさそうに話した。
「…明日からまた仕事に出るそうだ。」
「よかったですわ。」
今度は安堵するような、苦笑するような、なんとも複雑な顔をしている。
「…ちゃんと渡した。」
見舞いの品のことを言う。
ロザリアはすぐに気付いて
「お手数をおかけいたしました。有り難うございます。」
と言って深々と礼をした。

用事は済んだとばかりに出て行こうとするロザリアに、
クラヴィスはふと悪戯心を起こした。
「…昨日は一緒に夜桜を観た。」
と言ってみる。
「ジュリアス様とですか?」
「そうではない。
 …もう一人、調子の狂った男がいたろう。」
「…」
誰のことを言ったか気付いた様だが、そしらぬ顔をしているロザリア。
「…お前は趣味が悪い。」
  さあ、いつまで気取っていられるか?
「趣味が良いの間違いではなくて?」
「…同じ事を言ってやったら、怒った。」
「当然ですわ。」
すまし屋の仮面をはずさないロザリアに、クラヴィスはとどめを差す。
「…あれとも長い付き合いになるが、あんなにのろけられるとは思わなんだ。」
「…」
薄暗い執務室の中でもわかってしまうほど頬が赤くなる。
驚ろき、困惑、怒り、歓び、
そのどれもが次々と面に浮かぶのを見て、クラヴィスは
 確かに興味深い娘だ
と思った。

「…それで、お前はいつ、試験を諦めるのだ?」
「何をおっしゃいますの?」
きっぱりと瞬時に応えが返る。
「お戯れをおっしゃいますな。」
と言っておかしなものを見る様に笑みをこぼす。
そう、完璧を気取る女王候補の顔。
 いや、そうではない
とクラヴィスは思った。
「わたくしは、諦めませんわ。」
見る者を射抜く様に、ロザリアの蒼い瞳が輝いた。
「わたくしは完璧な女王となります。」
「…では、あれはどうなる?」
クラヴィスの胸に古い痛みが蘇る。

けれど、ロザリアは胸を張る。
「完璧な幸福を、わたくし、手に入れてみせますわ。」

  傲慢な、蒼い光
  美しい、蒼

「強欲な娘だ…」
あきれながらも、クラヴィスは楽しくなる。そう、楽しい。
ロザリアはクラヴィスが今迄見たことのないほど優しい顔で笑っているのを見ると、
その花のかんばせを綻ばせた。

 淀み凝る翳りを無慈悲にも切り裂いて、新しい世界を彩るか。

クラヴィスは執務室を去って行くロザリアを目で追いながら、
心が凪いで行くのを感じた。

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[WithLuva]